toy box



世界の隅で



多分、なんてことないのだ。
誰も知らない世界の隅では。


飛び散った赤い何かに瞳を手の平で覆えば、鼻に届いた嗅ぎ慣れない香りに息を止める。
耳に届く鈍い何かを貫く音に、銃声。大きな荒い怒号はすぐに悲鳴に変わって、知らぬ間に呻き声が静かになる。艶めいていた爪先に届いた真っ赤な液体は、まるで此方に指を伸ばしているようで。今まで見たどんな薔薇よりも、果実よりも鮮やかに映った。

王族や貴族の集まる盛大なパーティー会場は、溢れるばかりの煌めく料理に、眩い装飾。耳に届く音楽は教養がなくとも素晴らしいとわかるだろうものばかり。ほんの少し突いただけの湯気が消えたばかりの大皿が給仕に下げられれば、また新しい料理が机に置かれる。
隣の席に凛と座る同行者を見やれば、丁寧な手付きで口に運ばれたローストビーフが薄い唇に触れる。ふと重なった視線に俯けば、
「食べないんですか?」
柔らかな馴染みの良い声が耳に届く。
「仕事中、でしょう?」
上司らしく告げてみるも、優しいのか皮肉なのか、判断しかねる瞳がそっと細まって。
「ここで出される料理は一級品です。毒味の心配もないほどに。」
周りを見渡せば、そこにいるのは丁重に扱われる貴族ばかり。
「それに、」
赤ワインをくるりと回して、微笑んだ口元は余りに魅力的。
「仕事だからこそ、食べないと。悪目立ちしますよ。」
そっとテーブルに追加された果実の盛り合わせを眺めれば、それもそうかとフォークを伸ばす。

途端、硝子の割れる大きな音に、煩い金切り声。暗闇に包まれた会場に、似合わない火薬臭。
ぐっと乱暴に引かれた首元が締まれば、助けを求め部下の腕を掴もうと伸ばした指先が空を切って。
「カリファ。」
小さく溢れた掠れた声に、振り向くことなく飛び上がった金色の髪が見えて、
「長官、」
耳に届いた声は確かに穏やかで。
「世界の隅で。」
そう、甘く笑った気がした。


大きく響いた銃声に目を覚ますも、そこは何一つない殺風景な部屋。小さな薄汚い空間に詰め込まれた数人は確かに華やかなパーティーの参加者で。怯えて泣き出す少女や、大きな声で喚く老人。誰もが皆、哀れに見える。
潜入型の警備が今回の仕事だったにも関わらずこんな状態では、また部下の溜息を聞くことになるのだろうと壁に背を当て膝を抱えれば、それでもきっと彼はきてくれるだろうと信じて疑わない自分にも呆れてしまう。
彼なら扉を蹴破ってすぐに脱出するのだろうと考えたところで、自分にはそんな力は無くて。じっとりとした空気にパーティー会場を想定した衣装では、この部屋はあまりに寒すぎて。時折、脅しのようにガンガンと叩かれる扉にびくりと肩を跳ねさせながらも、ぼんやりとデスクに向かって新しい書類にサインをする自分の姿が脳裏に浮かぶ。何故だか自分は大丈夫だと確信して、すでに全てが終わった後の情景を思い浮かべているのだと気が付けば、同じ部屋の中、過ごす周りの人物達が書類に並んだ活字のように思われて。なんだか、狂っているなとゾッとする。
日々、面倒だと欠伸をしながら判子を押し、なんなら中身を見ることなく署名していたあの文字だらけの紙には、きっと誰かの命が乗っていて。
考えただけで気分の悪いことを忘れようと首を振れば、だから、なんだというのだと思い返す。
「だって、私には、関係ないじゃない。」
ぽつりと漏れた声と同時に、扉が爆風に乗って弾け飛べば、どかどかと品のない足音と共に海兵達が流れ込む。
「大丈夫ですか。安全な場所へご案内します。」
そう告げられた言葉は自分には向いていなくて。きっと海兵達が手にした資料の中に招待客でない自分の名前があるはずなくて。身体が透けるような心地がする。
立ち上がって、案内も何もなく扉の向こうに歩き掛ければ、ぱんっとすぐ側で弾けた男性の頭に、大きく響く太い声がして。武器を手に汚れた衣服を纏った男達が津波のように押し寄せてくる。
「おれ達は被害者だ!」
「ただ、金が必要なだけで!」
「貴族なんか、居なければ…!」
ざわざわと取り巻く無数の声に、床に転がり指先を痙攣させる頭部のない身体から視線を逸らす。
貴方達が被害者?お金が必要なだけ?だから、なんだというのだろう。床に転がった冷たい生き物だった何か。これは
「貴方達が、居なければ、」
小さく呟いた瞬間に、身体がふわりと持ち上げられて。
「こんなところで、迷子ですか?」
甘ったるい息が耳元に掛かる。
軽い足取りで進む廊下には倒れた誰ともつかぬ多くの人々。
「カリファに見捨てられたから。」
そう少し感情の欠落した声で告げれば、そっと胸元に触れた指先が柔らかな谷に沈んで真珠玉に似た何かを摘まみ取る。
「探知機がなければ、この場所を割り出せませんから。」
悪びれる事なく告げられた言葉に、ひょいっと床に投げ落とされたパールが踏み潰されて。
「そうね。」
短く返して、相手の肩を押し自分の足で立つ。
深く沈むカーペットとは違い、固くひびの目立つ木製の廊下にはパーティーヒールは歩きづらくて。それでも立ち止まる事なく足を進める。
廊下の向こうから歩いて来た男達に、聞こえた銃声は余りに軽やかに乾いた空気に響く。宙を舞うように踊った鞭にパラパラと落ちる弾。真っ直ぐに射抜かれた男達の心臓に、ぬらりと瞬く革手袋に包まれた人差し指。
人の終わりを見たくなくて、視界を手の平で遮れば、ごとりと何かが倒れる音を聞く。何度も何度も繰り返す日常、なのに慣れないこの感覚。胃がムカムカするような、異様に喉が乾くような、この不思議な感覚。
足元に伸びてきた真っ赤なそれに爪先を引こうとして、ぐっと掴まれた手首に世界を見る。
「行きますよ。」
煌めくカトラリーでローストビーフを楽しんでいた唇が告げれば、踏み出した靴裏で世界で一番鮮やかな赤を踏む。

外に続く扉の前に集まった海兵と人質達。
こちらの姿をみてすぐに敬礼を示すあたり、作戦の協力依頼は受けているようで。
「電伝虫にて迎えを用意いたしますので、待機のご協力を。」
駆け寄ってきた海兵の手にある通信機を掴んだその手は優しさに満ちていて、
「これは長官が。」
そう差し出された電伝虫を受け取った瞬間に、目の前が真っ赤に染まる。
ぶわりと冷たい風を切る音に、ごとごとと肉が落ちる音。全ての火が一度に消えたような冷たさが背筋に走って。ガシャリと手にしていた通信機まで握りつぶされる。

「ここが世界の端?」
パーティー会場で聞いた言葉を思い出して尋ねれば、
「ここが世界の中心だと思いますか?」
そう冷たい声に尋ね返される。
「食べ物もなく、冷たい家屋で過ごす人々が集う。ここが世界の端?なら、煌びやかで明る過ぎるあの会場は世界の中心なの?」
べっとりと汚れた足先を見つめ睫毛が振れれば、空気を揺らすように甘く温かな吐息が聞こえて。するりと引き抜かれた手袋が床に落ちれば
「違いますよ。」
そう抱き締められる。
するすると腰を滑る指先に、近付く唇。熱い視線が絡まれば、身体から力が抜けていく。

「今回の作戦では、誰も助けません。」
はっと見開いた瞳に、甘過ぎる笑顔が映れば、
「全て消すのが今回の任務なので。」
大きな城が目立つ島を目前にして、告げられた言葉に唾液を呑み込む。
「大丈夫ですよ。長官。」
顎に添えられた指先に、唇が重なれば、
「いつもと同じです。」
暗示のように囁かれる。
「私には、関係ない?」
怯える幼子のように尋ねれば、
「ええ。」
抱き寄せられた肩に、またキスされて。

「誰が何処で何をしようと、」
真っ赤な床に立てているのかすらわからなくて、
「長官のデスクに積まれる無駄な紙になるのなら、」
菫色の瞳をじっと見つめることしかできなくて、
「それは貴女に関係のない世界の隅の出来事です。」
唇から伝わる熱に浮かされれば、何もかもがどうでもよくなる。


「帰ったら、木苺のソルベが食べたい。」
抱き上げられた足を揺らせば、果実のように真紅の靴底から何が滴る。
「先にシャワーを浴びても?」
首筋に寄せられた鼻筋に、少し甘えた声を出して、
「ソルベが先。」
我儘を言えば、やれやれと零れた溜息すら愛おしくて。

「だって、そんなこと私には関係ないもの。」
燃え崩れる家屋を振り返りもせず、呟いた。




きっと、この腕の中が世界の中心なのだと。
そう、願って。









2021.01.09
彼のキスは、世界の隅に蓋をする。





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