toy box



入道雲の秘密



ふわりと大きく揺れたレースのカーテンに、
窓から溢れる夏の風。


純白のシーツの中、溶けてしまいそうなほど透き通った柔肌に唇を寄せる。どこか遠くの木々の影、ジージーと鳴く虫の声に、僅かに届く波の音。夏の歌声に誘われれば、余所見をするなとでも言いたげな指先が頬に触れて。するすると撫でるように手のひらが滑れば、頬から首筋、そして項に触れる。
彫刻を思わせる滑らかな腿に捕らえられた脚元に、逃げることを許してはくれないだろう腕に引かれ従うままに寄せた顎元。この可愛い恋人は、こちらの望むことを全て満たしたいと懸命で。それでいて、自分の願うままに身体が動いているのに気付いていない。勿論、今の甘い時間に水を射す気も、それを指摘するつもりもないのだが。
淡い色をした唇に吐息をついて、こてんと額をあわせてみる。両手で包んだ形よい乳房に、とろりと甘い声が溢れるのを眺めれば、未だ触れ合わない口元に焦れったげに丸い腰が振れる。
近距離で視界を満たす整った顔立ちは、普段のものとは違っていて。ふやけて甘くて愛おしい。砂糖粒を纏った菓子のように、震えた睫毛に涙が光れば、その奥で揺れる瞳すら御伽噺の中の宝石のようで。消えてしまいそうだと考えれば、
「スモーカー。」
柄にもなく腕の中の愛しい人の名前を呼ぶ。
掠れた甘い声に澄んだ視線が心配げに揺れて、
「キスは、したくない?」
重なったままの額に、いつまでも触れ合わぬ唇。不安げに尋ねた恋人の声は優しく儚げで。
「まさか。」
そう笑って、触れるだけのキスをする。
「ただ、」
綺麗だと見とれていた、と伝えるには愛らしいその人はあまりに繊細すぎて。
「窓の外の秘密を暴いてやろうかと。」
はっと瞬いた瞳にくすりと笑って。何かを告げようと薄く開いた唇に、噛みつくようにキスをした。


「はい、ゼリー。」
よっこいせと身を屈め玄関扉をくぐれば、普段なら大きく開いているだろう部屋奥のカーテンが目について。
「日差しが強いから閉めているんです。」
視線に気付いてか告げられた言葉に、なぜか引っかかる。
手渡した菓子箱を冷蔵庫にしまう後ろ姿に、
「今日は珍しく早かったんですね。」
なんて、どこか白々しい言葉。
ぱたんと冷気を逃がさぬように閉じられた扉に、とんと片手をつけば、小さな身体を包むように影の中に捕らえて。
「何かあった?」
そう低い声で尋ねてみる。
取り調べも尋問も、きっと自分より目の前の恋人の方が得意だろうに。珍しく何かを隠そうとしているらしいその背中にどうしたもんかと息を吐く。それだけで、過敏に震える白い肩に虐めたいわけではないのだと、がしがしと髪を掻けば、
「…悪い。勘違いだ。」
柔らかに瞳を閉じた。
どうせ自分には相手が隠し事をしているという確証がある訳でもなければ、相手を傷つけてしまうのではという不安に堪えうる準備もなくて。そっと優しく背中から抱き締めれば、飴細工のように静かに瞬く髪に鼻先を寄せる。
途端に、ふわりと霞む視界に空気が柔らかに色づいて、
「抱き締める、なら、」
煙に溶けた恋人の鼻先がぎゅうっと胸に埋まって。ああ、なるほど、と先の言葉を望まずに細い腰に腕を回す。密着した身体は氷を司る自身にとっては熱すぎて。それでいて、自分より溶けて消えてしまいそうな存在に困ったなと笑ってしまう。
誰よりも一番に自分の恋人を想い尊重する美しい人。それでいて正面から抱き締めてほしいとすら口にできない恥ずかしがり屋の煙の身体。こんなに愛おしく愛らしい人が隠したがる秘密を無理矢理暴こうとするなんて。それは余りに酷ではないか。
「スモーカー。」
自分でも驚いてしまうほど酷く甘い声が響けば、
「明るい時間は初めてだっけ?」
そっと滑らかな頬に手のひらを添えて。
意味を理解してか寝室に向けられた視線に、それでいてこくんと素直に頷く恋人。
ほわりと熱を持った空気に、ふたりの心が氷の如く溶ける音がして。柔らかな身体をそっと抱き上げた。


「怒ってる?」
濡れた肌に潤んだ瞳がそう尋ねれば、湯気だか恋人だかに包まれた空気に力が抜ける。
「そう見える?」
片眉を上げ、長い髪をそっと耳に掛けやれば、ふにりと柔らかな胸が押しつけられるように触れて。白い腕が背中に回される。
「カーテンを閉めてたの、気にしてたから。」
泣きそうにすら聞こえる声に、おれには尋問なんて到底無理だ、とするりと腰を支えるように腕を添える。
「怒ってるって言ったら教えてくれるの?」
冗談めかして告げれば、小さな顎元を指先で撫でて優しく視線を絡める。
「なんて。言いたくないなら言わなくていい。おれはスモーカーの嫌がることはしたくないし。」
ね、っと、素直になれない相手の代わりに、まっすぐストレートに伝えてみる。別段、困ることはない上に、本心なのだ。恋人を傷つけ悲しませる訳でもない。ふたりは充分満たされているし。
なのに、ぽろぽろ落ちる涙にどうしていいのかわからなくて。
「ちがうの。ちがうから。」
赤くした頬に目元を隠すその愛おしい様に、みっともなくもあたふたしてしまう。
「見られたくない下着を干してたことにしようと思ってたの。」
ぎゅうっと抱き締めた腕の中で震えた声が小さく囁く。仕事場での大きく開いた胸元を思い出せば、あまり説得力のない嘘だな、なんてぼんやり考えながらも、今はそんなこと告げられるはずなくて。
「でもクザンさんは、私に正直なのに。私だけ隠し事をするなんて、堪えられなくて。」
きらきらと落ちる涙の理由に、本当にこの恋人は正義の人なんだと確信して。
「ねェ、スモーカー。」
大丈夫だよ、と微笑んで。
「冷えたゼリーも食べたいし、」
おどけた口調で囁いて。
「溶けちゃう前に、リビングで話そうか?」
目尻に溜まった煌めく滴に、そっとそっとキスをした。


宝石のように瞬く空色のクラッシュゼリーに、雲を思わせる生クリーム。つやつやとした鮮やかな果実に、小さなミントが揺れる。
「氷、みたい。」
涙のせいか、いつもより子供っぽい声に胸が熱くなれば、それだけで幸せで。行儀悪くも、窓辺にふたり立ちながら、ゼリーにスプーンを伸ばす。
「開けていいの?」
白いカーテンに触れて尋ねれば、こくんと頷いた動きにあわせ、乾いていない髪からぽたり胸元に水滴が踊る。
ふわりと開いたカーテンに、ベランダに続く硝子窓の向こう。夏空の下にはためくのは、正義の文字が目立つ眩しいほどに白いコート。
見慣れたはずのそれは、自分の思い違いでなければ、驚くほどに小さくて。
「洗濯して縮んじゃった、とか?」
振り返って見えた恋人のきょとんとした表情が次第に崩れれば、くすくすと楽しげに聞こえる笑い声は耳に心地よくて。
「違いますよ。」
手にしたゼリーをテーブルに置けば、ベランダに進んだその人の腕の中には、見覚えのある大きなぬいぐるみ。
海軍恒例の夏季親睦会。くだらないと言いつつも参加した恋人が最後のビンゴゲームで手にした景品は、確かに目の前にあるそれと同じもので。白くふんわりとした毛並みの大きなテディベアに、こんなもの必要ないと機嫌悪げに部下に告げていた姿が記憶に新しい。
それにしてもあの時のクマの額にはミントグリーンのアイマスクなんて、と考えたところで合点がいって。あまりに可愛い恋人に笑ってしまう。
「この子にクザンさんの服を着せたくて。でも、まだ、途中だった、から。」
完成したとして、ぬいぐるみなんて欲しがらないと話していた手前、素直に見せたかどうか怪しい事実なんて、もうどうでもよくて。ゼリーを掻き込んで、寝室に連れ込みたい衝動をどうにか押さえる。
「スモーカー。」
食べかけのデザートをテーブルに置けば、そっと白いクマの腕を引いて、元の位置に戻す。
きょとんと丸くなった瞳に、ふわりと広がる長い睫毛。


ぎゅうっと抱き締め寄せた耳元で
「愛してる。」
確かにそう囁けば。


返事も告げずに、大きな入道雲が寝室に逃げた。




ふわふわと揺れる毛並みに、つぶらなの瞳。
その向こうには、眩しい太陽と大きな白い入道雲。









2020.08.16
恥ずかしがり屋の入道雲も愛する気持ちは隠せない。





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