toy box



私の人質


「どうか。」
ふわりと細まった視線に首元をとらえたナイフ。揺れる淡い色の髪は暗闇で瞬いて。
「私の為に、」
震える指先にきゅうと力がこもれば、
「死んでほしい。」
どこか乾いた声が部屋に響いた。


「ねえ、カリファ。」
頬杖をついて尖らせた唇に乗ったリップは普段とは違って少し濃くて。
「少し休憩しない?」
ゆったりと立ち上がったその背中を眺めれば、そっとカップに注がれた湯にじんわりと広がるコーヒーの香り。
「火傷しないこともあるんですね。」
普段は自分から飲み物の用意などしない上司に嫌味を告げるも、気付いていないのか透き通った睫毛にアメジストが瞬いて。
「そうね。」
どこかぼんやりとした視線が笑う。
「美味しいクッキーが手に入って。でも、ひとりじゃ勿体なくて。」
お気に入りの店ではないらしい無地のボックスに、作り手はおろか店名すら記されていないそれは、あまりに異様に思われて。
「それを手にした経緯は?」
ひょいと持ち上げたボックスの中には2枚だけのココアクッキー。
「あと美味しいという情報は何処から?」
無防備で無能な上司の口にするものは大抵把握済みで。なのに、この小さな菓子の情報は自分の中には何もなくて。
「えっと、」
困ったように潤んだ瞳に噛みしめられた唇。
その表情が愛おしいなんて。なんて滑稽だろうと溜息を吐けば、
「昨日の呼び出しに関係が?」
そう囁いて、柔らかな髪を形よい耳に掛けてやる。
頷くのを待つまでもなく嘘をつけない瞳の中に肯定をみて、ぐしゃりと握りつぶした白い箱をそのままゴミ箱へと落とす。
「説明を。」

どこか戸惑うように揺れた髪に、下げられた視線。
「少し、話があっただけよ。顔も見たことのない上司さんからの伝言だって。」
俯いた瞳に何かが光った気がして。
「その時、いただいたの。美味しいお店のものだって。」
ことりとテーブルに置かれたマグカップに、いつもとは違う豆の匂い。
「コーヒーも頂き物。」
表情にでていたのだろうか、はたまた微妙な空気を感じ取ったのか、上司が笑う。
「カリファは間違い探しが得意ね。」
いつもの部屋で過ごす、いつもと同じはずの時間。どこか歪んでいるようで、ざわりと胸騒ぎがする。
「今日は紅茶をいただいても?」
瞳を細めれば、甘く頷くその人を視線から外して、ふたつのカップを下げる。
顔も知らない誰かからの贈り物。ココアクッキーも苦い香りを漂わせるコーヒーも、まるで身を潜め忍び寄る不吉な影を思わせて。
「カリファ。」
空気を揺らした透き通る声に、かつんと響くヒールのぶつかる音。
こぽこぽと湯立つ硝子ポットに、茶葉缶に触れたキャディスプーンが僅かに揺れれば、ふわりと零れた声はどこか不安げで。
「今夜、もう一度会えないかって、言われてて。」
誰になど尋ねる必要なく理解できて。
「お断りはしたの。でも、彼、私の部屋の場所を知ってるみたいで。」
背後に立つ馬鹿な女に視線をやるでもなく、お茶の準備を進める。先日届いたメレンゲ菓子も添えようか、なんて考えている最中にも、きっと愚かな上司は不安に押しつぶされそうな表情で目の前の背中に抱きつくべきかと迷っているのだろう。どうせ、そんな度胸もないのに。
「で、おれにどうしろと?」
先を聞かなくとも、求めていることは透けて見えて。だからこそ、その熟れた唇で告げさせようと考えて、
「長官、」
紅茶にとろりと甘い蜜を潜らせた。
「貴女の望みを。」


鍵の閉まった扉に、カーテンの引かれた窓。
「そうね。」
揺れた長い睫毛に、
「なら、」
透けた目映い紫の瞳。


「私の為に、死んで。」
ベッドの上、乱れた衣服に包まれた細い身体。まっすぐにこちらに向けられた視線は今にも零れ落ちそうで。
此方に向けられた銃口に
「長官に撃てるんですか。」
そう静かに尋ねてみる。
じっとこちらを見つめる瞳は潤んでいて、そんな視界じゃこの近さでさえ当てられないんじゃないか、なんて余計な事まで考えて。
「長官におれが撃てるんですか。」
意地悪くもう一度尋ね直せば、細い肩がぴくりと跳ねた。
どうせできやしないだろうと瞳を細めて、ゆっくりと掴んだピストルに白い手が震えているのがわかって。
「脅えるくらいならやめればよいものを。」
ぐっと奪い取った銃は細い腕が構えるには重すぎる気さえして。それでいて、何か物足りない。
「今回は何の遊びですか?」
ぽんと投げ捨てたそれに視線もくれず、馬鹿な女の手を取る。ほんの少し力を入れれば折れてしまいそうな手首をそっと引いて唇を寄せれば、ぴくりと痙攣した指先から視線を上げる。
そこにある泣きそうな瞳はゆっくりと細まって。弧を描いた唇は予想外で。
「あの銃には弾が入っていないの。」
やけに軽い違和感を思い出しはっとすれば、
「だって、」
大きく開いた胸元から取り出された短剣に、自分の表情が反射する。
「あれはダミーだから。」
ふいをつかれたところで恐るるに足りぬ相手だとわかっていて。だからこそ、鋭い刃が向かう先に視線が奪われて。
「ねえ、カリファ。」
まるで仕事部屋で談笑するような、軽く甘ったるい声で。
「あなたに、」
ゆったりとナイフの柄を握った手首が動けば、
「私の為に死んでほしいの。」
ぎらりと品無く反射するナイフが、細く白い美しい首元に押しつけられて。

「人質は、私よ。」

そう、ほろりと言葉が落ちた。




柔らかなはずのズタズタのブランケットは、今や、大きな雄豚をくるむ汚い布切れでしかなくて。
びくびくと跳ね喚く低い声すら不愉快で、喉奧へ押し込んだ元は布巾だった布切れを追加する。赤や青へと忙しく変わる顔色に、既にグショグショに濡れ目元が透けた目隠し。特段、顔を見られたところで困ることなどないか、と爪先でずらした布の隙間から覗いた視線は恐怖と憎悪に歪んでいて。

肩を震わせ泣きながら話す能無し上司の話に寄れば、低劣な政府上層部関係者に「部下のひとりでも始末してみろ」との試験的な課題が出されたらしい。できないようなら、今の立場も自分の部下の今後もどうなるかは保証できないと伝えられたらしい。つまるところ、その卑しくも不潔な男はできもしない任務を実績も何もない長官に与え、その失敗をダシにこの女を好きなようにしてやろうという考えなのだろう。実に腹立たしいと感じるのは、そんな単純な事実すら気付くことなく腕の中で震える、この無能な上司の存在なのだが。
「カリファなら、死んだふりくらいできると思って。」
すんすんと赤く色付いた鼻を鳴らすその人は、自分の側近の部下を始末したふりをして匿うつもりだったらしく。ほとほと能がなくて呆れてしまう。空なのだろう脳内ではきっとほとぼりが冷めてから「生きていました」とおれを登場させるつもりだったのだろう。なんとも馬鹿らしい。
「ごめん、なさい。」
弱々しくも響いた声に、なぜだかドキリとして。
「クッキーにも、コーヒーにも、睡眠薬を混ぜてたの。」
そんなこと知っていました、なんて教えてやるつもりもなくて。
「でも、もし飲んでたって、私はカリファを脅したりできなかったと、思うの。」
涙を拭くようにと差し出したハンカチに、ふわふわと溶ける声。
「だって、私は、カリファのことが、」
言い掛けて噤んだ唇は桃色で、気を引き締めるためにと乗せられたきつい紅の色とは根本的に違っていて。
「私ね、あなたに死んでほしいなんて頼んだけれど、きっと。きっとね。」
すうっと深呼吸するように吸い込んだ息に、涙を乗せて揺れる睫毛。
「私、あなたのためなら、」
睡眠薬を浸したハンカチを相手の手から抜き取れば、くったりと深い眠りについた愛しい人を柔らかにベッドに降ろす。
「おれのためなら、ね。」
椅子の背に掛けていたジャケットを手に、くしゃりと掻き上げた髪。指先に残る涙の温度を掻き消すように、窓際で煙草に火をつける。
ちらりと視界に入った電伝虫に手を伸ばせば、深く甘い紫煙を吐いて。

静かにそっと微笑んだ。


いつもの仕事部屋は真夜中でさえ、煌々と日の光が溢れていて。こぽこぽと音を立てるポットに、来客用のティーカップを用意する。電伝虫越しに招いた雄豚の足取りはきっと軽くて、何もかも計画通りだと欠落した楽観的思考では疑う事も知らないようで。ゆっくりと開いた扉に、驚きに見開いた瞳はあまりに滑稽。
世界は深夜、それでも眩しい太陽を背に金髪の男は甘く囁く。
「どうか。」
静かに笑った目元に丁寧すぎるほど柔らかな口調。
「私の為に」
赤いピアスとナイフが、
「死んでほしい。」
ぎらり瞬いた。


未だ眠りから醒めていないだろう上司の寝顔を思い浮かべて、ふうっと窓辺で煙を吐く。
足下に広がった真っ赤な血溜まりに、あの人愛用のブランケットにくるまれた肉を見下ろす。手元に重ねた数枚の汚職に関わる重要書類を、まるでメインディッシュに添えたローズマリーのようにそっと死体の上へ乗せれば、明るい太陽にまた紫煙を吐く。


寝ぼけた表情で仕事部屋にきた可愛い人が朝一番に目にするだろう光景を振り返って。
「また明日。」
返事すらしない躾のなっていない豚に告げれば、後ろ手にそっと扉を閉める。
泣きながら震えるあの細い肩を抱き締める感覚を思えば、窮屈だった黒のグローブからするりと指を抜いて。誰もいない廊下を歩いて、深く息を吸う。

「あなたのために、」
ぽつりと呟きネクタイを弛めれば、慣れた手付きで柔らかな吐息が漏れる寝室の扉を開く。
ジャケットを椅子の背に掛けて、温かな身体を抱き締めるように横になる。

もぞもぞと寝返りを打った愛おしく白い額に唇を寄せて。もう一度。

「あなたのために。」

そう、誓うように囁いた。









2020.08.15
これでもまだまだ生温い。





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