toy box



煙草とマットルージュ



スモーキーピンクのルージュを引いて、弾くように唇を開いた。


「長官の前では吸わないんじゃなかったか?」
そう尋ねる同僚に、紫煙を揺らし瞳を細めた。
白く美しい壁に背中を預け煙草に火をつければ、ふうっと深く息を吐く。肺を満たす灰色の空気に、ゆったりと染み渡るほろ苦い憂鬱。
切ったばかりの通信に、電伝虫から聞こえた同僚の声。書類へのサインを忘れている馬鹿な上司の居場所を確認するその連絡に、紫煙混じりの返事を送れば返ってきた一言に、
「いいんだよ。どうせ、鏡と睨めっこしてて暫く帰ってこないから。」
そう告げて。
忘れるには近過ぎる過去、ほんの数分前のこの場所で見た化粧室に消える長官の背中を思い浮かべれば、ほわり、開いた口から煙が漏れた。

「カリファ。」
潤んだ瞳が此方を見上げれば、両手に持っていたハンガーをそのままに
「なにか?」
さらりと言葉を投げる。
「目が、痛いの。睫毛が入っちゃったのかも。」
ぱしぱしと長い睫毛が瞬けば珍しくも顰められた眉間に、手にしていた数着のワンピースを腕にかけて、白過ぎる頬に手を添える。
親指を添えた下瞼を柔らかな力で引いてみれば、確かに細かな長い異物が見えて、
「洗ったほうが賢明ですね。」
レジ前の店員に選びかけた衣服を手渡し、小さな手を取る。
「せっかくのお買い物、なのに。」
些細なことで泣き出しそうなその人に、
「あとで戻ればいいでしょう。」
呆れたように告げれば、化粧室に向かう。
様子を伺うようにちらちらとこちらに向けられる視線に、店頭で塗られたばかりのグロスがチロチロ瞬けば、
「ごゆっくり。」
ふわりと手を離し、桃色のファーコートと小さな紙袋を受け取れば先を促す。
「おれは此処で待っていますから。」
自然に出た営業スマイルで柔らかに囁けば、艶めいた唇が息を吐いた。



「カリファ。」
ひらひらと手を振って駆ければ大袈裟に吐かれた溜息に、
「もう目は大丈夫なんですか?」
そう言いながら綺麗に直したメイクを眺める宝石みたいな瞳を、そっと見上げる
少しお行儀悪く白い壁に凭れ掛かっていた背中がりんと立てば、預けていた紙袋をそのままにゆっくりと歩き出す彼の横に並ぶ。
「もう痛くないわ。」
ふわりと笑ったところで、きっと硝子越しの視線には私は映っていやしなくて。ほんのちょっぴり寂しい気がして。唇を尖らせて、そっと彼の袖を摘む。
「ねぇ、カリファ。」
甘い甘い声を出して、なんともないというように歩き続ける冷たい人に、
「あのね、」
ぴたりと足を止め、視線を揺らす。
「なんです?」
抑揚の少ない言葉に、繊細に動く眉。逸らした視線を強引に引き戻す指先に顎を包まれれば、近付く整った表情。
「もう、歩けない。」
視線を下げて遠慮がちに告げてみれば、ぱちくりと瞬いた瞳にまた大きな溜息が聞こえて。
「目の次は足ですか。」
言葉と同時に抱き上げられた身体に、さすがに人目を気にして頬を赤らめ抗議しようとすれば、
「靴擦れすら予見できないのなら、これくらい我慢してください。」
不機嫌そうに告げられる言葉に、結局、大好きな人の首筋に目元を埋め、揺られることを選択する。

薄暗い駐車場、見慣れた車の後部座席に下されれば、助手席ではないことを不思議に思って。相手の名前を呼ぼうと開きかけた口元を塞ぐように、深く深く口付けられる。
倒れ込むように沈んだシートに、ばたんと閉まるドアの音。覆い被さる彼の瞳は強く煌って、それだけで下腹部がきゅうっと熱くなる。
「長官。」
ふわりと耳元で響いた低く甘い声に、もう、何もかもどうでもよくて。
「カリファ。お願い。」
欲望を混ぜ込んで、相手の背中に腕を回した。


少し赤味を戻した鼻先にちょんちょんと粉を乗せてみれば、目の前の鏡に微笑みかける。小さなバッグに入るメイク道具なんて知れていて、お直し用のパウダーとリップさえあれば充分で。それでもゆったりと時間をかける。
化粧室の外、待っているだろう相手を思えば、瞳を閉じて深く息を吸う。
朝からのショッピングデート。彼にとっては退屈な時間。きっと、今頃は苛立ちが勝っていて、現に私のことを呼ぶ回数が増えている。
だからと考え、わざと作ったひとりきりの時間。彼はきっと煙草と浮気中。でも、そんなことに気付かないふりをして、塗られたばかりのグロスを拭う。
どれだけ馬鹿だと言われたって。どれだけ鈍感だと思われたって。私はこれでも長官ですので。そう彼の真似をするように心の中で呟いて、少しだけ威張って、唇にマットなリップを乗せる。
彼が苛々したら私のことを呼ぶのも、苛立ちを抑えるために煙草を吸おうと席を外すのも、そして今、貴方がとてつもなく口寂しいのだということを、全部、私は知っている。
小さな飴玉を口の中で転がせば、煙草味のキスを想って。恋人の唇が苦い分、きっと私の唇は飛び切り甘いだろうと考えて。彼の嫌いなグロスを外して、色移りの少ないマットなリップをそっと引く。


「カリファ。」
相手が呼ぶのと同じだけ、名前を呼んで。そうすることで、まるで彼の欲求が私のものになったような気さえして。
「寂しい、の。」
小さな声でぽろりと告げる。
「ん?どうして?」
柔らかな笑みが降ってくれば、それだけで幸せで堪らなくて。自分ですら、答えがなんなのか、わからなくて。

「もっと、ちょうだい。」

甘ったるい唇で、既に薄くなった口紅を拭うように、苦く優しいキスをした。









2020.03.21
おれが気付いていないとでも?





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