toy box



batti batti



甘ったるい香りに、温かなミルクが優美な音楽を思わせて。砂糖をまぶした睫毛が揺れる。


「人違いだと思いたいんだが。」
冷たいルッチの声にホール端に向けた視線に映ったのは、甘いラベンダー色の髪を持つバニーガール。ふわりと波打つ髪におどおどとこの場に不慣れな仕草と表情は、遠目から見ても明らかに自分達の上司で。
はあっと深い溜息が漏れる。確か、今回の計画では裏で別の任務があるはずの無能が、何故ここにいるかなど考えるだけ時間の無駄で。
「行くぞ。」
どうでもいいというふりをして歩き出す。

今夜の舞台は特殊な社交場。裕福な貴族たちの秘密の遊び場。
給仕を行う女性たちは皆、ウサギを模した際どい格好でホールを歩く。給仕係にも階級があるらしく、身につけた衣装が少しずつ違う。質の良いショールやボレロを羽織った者、細い足を覆うタイツですら素材が違っているようで。ソファーに腰掛け男たちの腕に抱かれ笑顔を振りまくウサギたちの身を包むのは、確かに質の良いシルクやファーばかり。
それに引き替え、丸い盆を手にテーブルを回る間抜けな上司の衣装は薄っぺらくて心許ない。胸元をどうにか覆うカップに、ぴったりと身体に張り付く光沢素材。材料費削減のためかがっつりと開いた背中に、目の粗い網タイツは同情を誘うほどに貧相に見えて。それ自体が、この施設の策略なのだろうとすら思われる。
「ほら、こっちへ。」
そう甘ったるい声で囁く男性に腰を抱かれる上司を眺めれば、深く腰掛けたソファーで真っ赤なリップを瞬かせたウサギが注いだワインを口に運ぶ。
「新入りさんかな?君もすぐにトップにしてあげるからね。」
するりと滑った太い指が編み目越しの太腿に触れたのが目に着けば、揺れるアメジストから視線を外しターゲットを探す。
「あの、私は、ドリンクを運ぶお仕事が。」
困ったように震える声が耳に届けば、それだけで不愉快で。それでいて、不要な接触はしたくなくて。馬鹿な女にまた深く息を吐く。
少し離れたテーブルで楽しげな笑い声が聞こえれば、数匹のウサギ越しに腰掛けるルッチに視線をやって、輪の中心人物に意識を向ける。
遠目からもわかる質の良い衣服に、恰幅の良い身体。資料で見知った年齢からは想像できないほどの若々しい表情。女たちが群がるその人物は今回狙うべき標的で。柔らかな笑顔に低く通る声、それでいて時折見せる野性的な視線がまるでウサギを狩る肉食獣のようで。クラッカーを口元へと差し出した給仕係をそのままに立ち上がろうと視線を降ろせば、一際大きく響いたターゲットの声。
「此方の子兎に飲み物を!」
多くのウサギたちを押し退けるように伸ばされた腕に引き寄せられた人物は、波打つ髪に合わせ頭につけた長い耳を揺らす。軽い身体が引かれたままに傾けば、太い腕が折れそうな程に細い腰元に回されて、まるで子供のように男の膝上に腰掛けさせられる女の様は誰が見ても初々しい。慌てながらも、事を荒げる訳にはいかないと考えたのか大人しく膝元を閉じ、今にも泣きそうな表情で標的の意のままにされるその女は、確かによく知る無能な上司で。
あまりの展開にがたりと立ち上がれば、
「どうかしたのか?」
状況をわかっていながらもゆったりと尋ねる同僚に、静かに甘い笑みを作る。
「知り合いを見つけたから、挨拶してくる。」
絡みつくように密着したウサギの群れに聞こえるように告げれば、眼鏡を静かに上げ、ターゲットの元に向かう。

柔らかな笑みを貼り付けそっと近づけば、目的人物ではなく馬鹿な上司に手を伸ばす。
「おれがお膳立てしてやったんだ。もう少し上品に振る舞ってはどうです?」
はっと上げられた瞳は透き通った睫毛に飾られた宝石のようで、艶めいた唇がうるりと開くのがわかって。
「子兎の無礼をお許しください、ミスター。」
繊細な指先を引いて男の膝から立ち上がらせれば、腰を引き寄せ零しかけた声を遮るように言葉を被せる。不審げに眉を寄せた標的に視線をやれば礼儀正しく頭を下げて。
「こちらの子兎をここの給仕に推薦したのは私なんです。なにせ見た目はいいのに能はない者で、経済援助を切望されまして。今夜は様子を見にきたつもりだったんですが、まさかここまで考えなしな行為に出るとは思わず。ミスターにお怪我などはありませんか?」
ぴくりと震えた肩に合わせて長い耳飾りが揺れたのがわかるも隣には目もくれず、眉を下げ柔らかな声で囁いてみれば、なるほどと言いたげな口元が弧を描いて。
「これは無駄な心配を掛けてしまったようだ。その子は何もしていない。新人であると知りながら、呼びかけたのは私だ。部下が愛らしい子兎がいると教えてくれてね。」
静かに向けられた視線の先に映るのは、確か給仕中の長官に話しかけていた男で。
「無礼がないのならよいのですが。」
安心したというように息を吐いてみせれば、そのまま上司を回収しようと引き寄せた腕に力を込める。
「君はその子のパトロン希望者なのか?」
目敏く尋ねられた言葉に、わざとらしく曲線を描いた腰元をゆったりと撫で降ろせば、
「いいえ。」
嫌味たらしく微笑んだ。
「どれほど容姿がよくとも、教養のない女には興味が無いもので。」
はっと見開いた瞳が潤んだのがわかるも、そんなこと気付かないふりをして、ターゲットに向け露出した背中をそっと押しやる。
「この子を酔わせるには安く甘い酒を与えれば充分です。例えば、寝室に同行させる前にはホットミルクにチョコレートリキュールを仕込めばいい。こちらでも取り扱いがあるのでしょうか、作曲家の名を取った有名なリキュールは。」
すらすらと告げる言葉に、ふたりの間、数人の視線の真ん中で立ち尽くした子兎は震える。それでいて、きゅっと胸元で祈る様に握り締められた手の平に、何かを思い出そうとちらちら瞬く瞳はきっと誰も気づいていやしなくて。
「このサロンは敷居が高い。推薦書類の為に彼女に様々な質問を。もちろん、商品に手を出すような事はしていません。もし、ミスターがこの子の所有者を希望されるなら喜んで、」
そう言い掛けた途端、ぐらりと傾いた上司の身体に細い肩に回された逞しい腕。抱き締められた華奢な背中の向こう、
「ならば、この子を我が館へ招くことにする。」
ぎらつく視線は隙がなくて。
「その前に、」
にやりと歪んだ唇に、
「君の名前を聞いておかないとな。」
震える白い肩がやけに目についた。
「ええ、もちろんです。」
用意しておいた名刺を出そうとジャケットに手をかければ、ふっと聞こえた息遣いが余りに不愉快で。
「必要ない。」
ぐっと白い顎を掴んだ指先に強引に上げられた美しい瞳と視線が合わされば、今にも泣き出しそうな潤んだアメジストが光る。
「この子兎なら、知っているはずだろう?」
不適に笑った表情に周りのざわめきがぴたりと止んで、
「私は立場柄、命を脅かされる心配があってね。申し訳ないが念には念を入れさせてもらおう。君とは初対面だ、疑って申し訳ないがスパイでないとは言い切れまい。君が推薦したという割に子兎は君について何も話さない。まるで初対面で何も知らないようだ。」
ぐっと腹部に回された腕に男の太腿に跨がることを強いられた細い脚では、抵抗することもできないようで。作戦内容を中途半端にしか知らない分、口を挟まなかった長官の行為が返ってターゲットの目に付いたようで。
「この部屋で出会い、脅して利用しようとしているのでは?この子は見るからに新入りだ。使い捨てるには便利だろう。震えるこの子は嘘をつくのが下手そうだし素直に答えてくれるだろうね。」
太い腕に乗った胸部はカップから溢れ出してしまいそうで、困ったように揺れる睫毛にふうっと深く息を吸う。
「いいでしょう。疑われることには慣れていますし、貴方の立場もよくわかる。私が誠実なこのサロンの会員であることを証明できればいいのですね?」
この数日間で偽装した名簿には、自分と同僚の偽名ははっきりと記されているはずで。ただ、間抜けな上司は今回の計画書をきちんと読んでいないこともよく知っていて。
「彼女が答えた私の名前がゲスト名簿で確認できればよいのでしょう?」
深く息を吸って、ウサギの耳をつけた間抜けな女を見れば、
「すきなリキュールの話までしたんだ。おれの名前くらい覚えているだろ、」
そっと意地悪に笑って。
「ツェルリーナ。」
チョコレートシロップのような甘ったるい声で呼びかけた。



「これ、美味しい。」
白い手に包まれたマグカップにはチョコレート色をしたホットミルク。
「モーツァルトと言う名のチョコレートリキュール入りです。今回の計画を聞いて思い出したので取り寄せました。」
淡々と告げてみれば、それでも嬉しげに微笑む表情が愛らしく思えて。
「今回の作戦は音楽に関係しているの?」
仕事机に積まれた書類の中に答えがありますよ、なんて温かな寝室では言う気にもなれなくて。
「今回のターゲットは表向きは女性好きの貴族、裏では自分の屋敷に連れ帰った女から有益な情報を聞き出す詐欺師です。今回、政府関係者が魔性の男の手に落ち機密事項を漏らしたという事で厳重処分となっています。」
ふーんと暢気にカップに口を付けるこの女にはきっと、厳重処分というものがどんなものなのか想像もできないのだろう。そのくせ、普段に増して興味を持っているらしい様に何故か心の奥が熱くなって。
「無責任な女性の口封じは終えたものの、機密を知ったままのターゲットをそのままにする事はできません。だから、今回はその詐欺師を始末する任務、ジョヴァンニ計画がサイファーポールに委ねられました。まだ詳しく決まったわけではありませんが、偽名を名乗って彼のお気に入りのサロンに潜入する予定です。」
とろりと眠たげに触れた睫毛に小さく目を細めてみれば、
「ジョヴァンニと言うのが、ターゲットの名前?」
温かな声が小さく響いて、手元から零れてしまいそうなマグを静かに取り上げる。
「そんなあからさまな作戦名にするわけがないでしょう。この名前はそのリキュール名にもなったモーツァルトが作ったオペラに由来します。」

ある情熱の国にドン・ジョヴァンニという名の貴族がいた。彼は隣国では知らぬものがいないほどの女誑しであったが、どんな女性をも魅了する整った容姿を持ち合わせていた。ある晩、自分の娘を彼の魔の手から救おうと立ち向かった騎士長をドン・ジョヴァンニは刺し殺してしまう。だが、そんなことは気にもとめず新たな女を求めるジョヴァン二に愛らしい娘が誘惑される。彼女は恋人との結婚が決まり喜び歌っていたばかりだというのに、魅力的なドン・ジョヴァンニの誘いに惹かれ、彼の手を取ってしまうのだ。

「その子はとっても愚かな子ね。」
ソファーの上で眠たげな相手に語るオペラのあらすじは、まるでベッドに潜った子供に聞かせる御伽噺のようで。
「それほどまで、ドン・ジョヴァンニは口が上手いんでしょう。」
作り話の登場人物に気持ちを寄せるような無駄な時間は必要ないと立ち上がれば、とろりと溶けてしまいそうな温かな身体を抱き上げてベッドに運ぶ。
「貴女が言う、愚かな娘の名はツェルリーナ。そして、そのフィアンセの名は、」



「マゼット。」
艶めいた唇がほろりと呟けば、
「彼の名前はマゼット。」
無能な上司が、任務の為に与えられた偽名を言い当てる。
はっと見開かれたターゲットの瞳がソファー越しに立つ部下の男に向けられたのがわかれば、
「名簿の確認をしていただいて構いません。まだ気になるのでしたら、誕生日でもお答えしましょうか?」
名刺を差し出し、ふわりと笑って、
「確かにその名は記録にあります。」
帳面を眺め静かに告げられた言葉に視線を向ける。
「これは失礼をマゼットさん。」
ゆったりと肩の力が抜けたらしいターゲットに、未だ抱き締められたままの馬鹿な上司。
「子兎が脅えていたのは慣れない場所だったからのようだ。どうぞ、此方にお座りになって一緒に楽しみましょう。今夜は大変楽しい夜です。」
朗らかに向けられた表情に、傍を通った給仕係を呼び止めて、
「主人を得た子兎に祝いの飲み物を。」
そう伝え、招かれたままにソファーに座る。
普段、目にすることのない安っぽい布に包まれた白い肌に、粗い網タイツから晒された太股は不安げに揺れて。とんとそこに手のひらを置きやれば、大袈裟に跳ねる身体に瞳を細める。
「どうせ、役に立たないのだからこれでも持っておけ。」
テーブルに置かれた硝子製のボンボニエールを柔らかな両手に持たせれば、美しい庭園を飾る大理石の彫刻を思わせるその人に標的の表情が緩む。
「お待たせしました。」
高く柔らかな声に給仕のウサギが盆から差し出した酒は綺麗な琥珀色。
菓子入れを持ったことにより完成した芸術作品を壊さないようにとでも言うように、男の手がグラスに伸びて、揺らめく酒が艶めいた小さな口元に差し出される。
「ほら、君の為に用意させた祝いの酒だ。」
優しく笑いかけた瞳に映る美しい人の腿に指を這わせば、馬鹿でもわかるようにそっとクロスした二本の線を引く。
「このお酒は、私には強すぎるように思います。」
ぽそぽそと自信なさげに告げる声に引かれたように眉を寄せると、
「確かにこれでは酔わせるだけでは済まないでしょう。嘔吐物を処理するのは、さすがに面倒だ。」
酒を下げさせようと給仕に手を挙げかければ、
「では、私がいただこう。子兎にはもっと甘く軽い酒を。」
そう掲げたグラスに口を付けたターゲットに、夜空に向かい飛び立った豹を眺め、小さく笑った。



「本当に貴女は愚かですね。」
毒入り酒に倒れた標的のお陰でパニックに陥ったホールからするりと抜け出せば、抱き上げた軽い身体をジャケットで包む。
「ツェルリーナみたいに?」
眠気眼で聞いていたオペラのあらすじをどれだけ覚えているのか読めもしなくて、ふうっと深く溜息を吐く。
「あの時は殆ど夢の中だったのでは。」
興味がないというように抑揚なく告げてみれば、
「調べたの。カリファがあの夜、話してくれたから。」
腕の中で小さくなった身体がそっと密着して。
「教養があれば、すきになってくれるかもって。」
ぽそぽそと小さな声に聞こえないふりをする。


夜空を駆ける足に力を込めれば、意地悪に笑って。

「なら、愚かな娘が恋人に告げるべき言葉もご存知ですね?」


甘く、ほろ苦く囁いた。









2020.02.24
決して目移りなんてしていないけれど。




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