toy box



聖母の指先


「あのさァ、ルッチ。」
ぼんやりと吐き出した紫煙に、月夜に照らされた横顔が恋しくて。
「これって、夢じゃないんだよな。」
そう笑った瞳からボロボロと涙が零れた。


いつもの鮮やかなジャケットは降り止まぬ雨にぐっしょりと重くて、金色の髪からポタポタと雫が落ちる。泥だらけになりながら、瓦礫と土砂の山を掘り進めるその横顔が美しくて。狂おしい程、愛らしいと、そう思って。
「ルッチ!何、ぼーっとしてんだ!」
葉巻も咥えず、頬に土汚れまでつけて、必死に叫んだ声は泣きそうで、
「今、助けてやるからな!!」
高潮に呑まれ跡形のない家屋だったはずの泥山の中、顔見知りの子供の手を掴めるとでも思っているのだろう、考え無しの指先は既に血だらけで。

外の風を浴びようと屋根の上で海を眺めれば、見たことも無い大きな高潮。激しい雨に板を貼った硝子さえガタガタといわせる強風。
「おい、中に入れ!」
聞こえた声を無視して、とんと足を出して歩き出せば、頼みもしないのについてくるお人好しの愛しい人。
ザーザー降りの中、どうにかつけた葉巻を吸いながら、
「もうすぐアクア・ラグナがくるって知ってんだろ?」
そう尋ねながらも、どこか危機感のない声。
お互いの身体能力を知っていれば、そこまで心配する必要もないだろうという考えは同じらしい相手と、ふたりきりの街をずぶ濡れになって歩く。
「まァ、お前なら大丈夫だろうけどな。大変なんだぞ。波に脚を取られれば全てなくなっちまう。金も、家族も、な。」
なにかを思い出す様に、それでいて忘れたいと願っている様に呟かれた言葉を聞くと同時に、ゴゴゴゴっという地響きに、大きな影が2人を包んで。
相手のジャケットを掴めば、とんと空中に飛び上がる。店の出窓を足掛かりに建物の屋上へと降り立てば、瞬時、階下で古びた家が波に呑まれてガラガラと崩れ落ちる。
耳に届く泡の弾ける音に紛れて聞こえる微かな子供の声。確かあれは、数日前に隣で肩を震わせる恋人と話をしていたまだ幼い少年のもので。
「…ッ!」
潮が引くのを待たずに、転がるように飛び降りた身体に合わせ、はためくジャケットは晴天の海の色。金色の髪は機嫌の良い空に浮かぶ太陽の匂いすら思い出させる。
「おい!!大丈夫か!」
咥えていたはずの葉巻はいつのまにか流されて、瓦礫を退かし、見えた泥の山に躊躇うことなく手を伸ばす。

その様はまるで、純白で真っ当な正義で。

「ルッチ…!!」
叫ぶ様ないつもより少し高い声が鼓膜を揺らせば、それだけで幸せで。のろのろとした動きで、だらりとした細い腕が覗く瓦礫を片手で持ち上げた。


祭壇の真ん中には満面の笑みの少年の写真。小さな船のおもちゃを手に白い歯を見せる幼さの残るあどけない表情。
「まだ、聞こえる気がするんだ。おれの名前を呼ぶ声が。」
見慣れない真っ黒なスーツに、いつものジャケットを肩にかけて。
「アイツ、おれのジャケットを見て海の色だって。好きな色だって、笑ってたんだ。なのに、」
先を紡ごうとする震えた声に堪えられなくて、相手の耳元を手のひらで覆って、柔らかな金糸に指を絡ませて、唇を合わせた。
驚いた様に見開いた瞳からぽろりと涙が落ちれば、それだけで、死んだ少年が恨めしくて。純粋で澄んだ幼い声を遮る様に、ねっとりと舌を絡ませ相手の脳を甘ったるい水音で満たす。背中に回された指先に、未だ残った泥汚れが憎たらしくて、それでいてあまりに神聖で。

喪服のままベッドに押さえ込んで、夢であってくれと泣く相手を現実から引き離す様にシーツに押し沈めて。
「ルッチ。」
高波のあの日、投げ掛けられた涙を帯びた叫びにも似た、あの声に名前を呼ばれたくて。

瞳を閉じて、海の底へと潜る様に、深く息を吸った。








2019.10.13
泥に塗れたそれは、きっと聖母の指先。





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