暗闇のその後に、
「映画に、行かない？」
震えた睫毛にそう尋ねられて、どうでもいいと言うように溜息を吐けば、
「断れば、取ったチケットが無駄になるんでしょう。」
瞳を細め、見えないように小さく笑う。
「で、この作品を？」
眉を潜め呟けば、未だよくわかっていないのだろう脳天気な女の瞳が瞬いて。
「すごく人気作らしいの。」
目の前に堂々と張られたポスターは、どう考えてもどちらの趣味でもない子供向けのアニメ映画。全国的に人気シリーズであることも、上映開始週から異例の客入りを見せていることも情報として知ってはいるものの、主人公は我らの宿敵である海賊で。
呆れたところで、きっと届きはしないのだろう無能な相手を見下ろせば、
「映画館なのにタピオカがある！」
なんて、子供みたいにはしゃぐ鮮やかなアメジスト。
揺れた柔らかな薄紫の髪に、透き通るように長い睫毛。丁寧に色を乗せられた唇は溶けてしまいそうなほど、甘ったるくて。ぼんやりと隣を歩けばグッズストアに並んだ関連商品を映した瞳が愛おしくて、告げ掛けた言葉を飲み込めばそっと目の前の小さなキーホルダーを摘む。
中身の見えないパッケージに、思った以上の値段が付けられた商品達。鑑賞後の麻痺した頭でこういうものを欲するのか、なんて考えて。浮かれた同伴者の事を想えば、
「カリファはそれがほしいの？」
きょとんと首を傾げた動きに合わせ、揺れた髪はふわりとして。
「いや。これはブラインドパッケージなんだな、と。」
相手の興味を引いたらしいものに手を伸ばしたとは言えず、さらりと返せば、よくわかっていないんだろう表情に、
「タピオカが飲みたいんでしたよね。」
そう話をそらせようと立ち上がる。
上映時間が近付いたからか賑わいを見せ始めたドリンク売場に、キャラメルポップコーンの甘ったるい香りが満ちれば、早めに購入するべきだろうと考え足先をそちらに向ける。
途端に隣を歩いているはずの小さな肩が踵を返して、ぱたぱたと駆ける胸には小さな何か。グッズ売場のレジに並べばコインで済むだろう支払いにカードを出して、もたつきながらも袋を手に隣へと返ってきて。
「そんなにめぼしいものが？」
俯いた表情にかかった髪を耳に掛けてやれば、真っ赤に色付いた頬が熟れた果実のようで。
欲しいなら買い与えてやるのに、なんて考えながらそっと腰を抱き寄せて、
「おれはコーヒーにしますが、どうします？」
選ぶものを知っていながら、静かに耳に唇を寄せた。
入場時に手渡された特典に戸惑う指先からそれを受け取って、小さなバッグに入らないだろうと自らの荷物に入れ込んで。少し照明の落とされたシアターの中、転ばないようにと手を取って座席に腰掛ける。
初めて取ったのだろう、映画鑑賞には向かないかなり前寄りの座席に、大きく映るスクリーン。見上げた画面の近さに不安げに揺れる瞳に、
「いい席ですね。」
なんて、皮肉にもとれる言葉を告げて。ふわりと嬉しげに微笑んだその人の今日までの日々を思い起こす。
数日前から、念入りに確認しているシネマ雑誌に、通る度に視線を向ける劇場広告。世間知らずの単純な人が、此処まで何かに執着するのは、きっと月に一度手にする女性向け雑誌からの安易な入れ知恵で。情報源は夏のデート特集やら男性へのアンケート結果など、根も葉もない未知の人気ページ。そこまで考えるも、仕事の資料に隠して紙面にペンで丸を付ける様が愛らしくすら思えて、コーヒーをカップに注ぎ、艶めく尖った唇に免じて考えるのをやめた。
そんな時間が脳裏を過ぎれば、文句をいう気になんてなれなくて、また息を吐いてチュロスのシナモンパウダーに塗れた可愛い唇に視線を向ける。ぱらぱらと衣服に降る甘い粉を払ってやれば、膝に大切そうに置かれた先程のグッズストアの袋が目について。
「それは、」
そんなに気に入ったものなのかと尋ね掛けて、
「これは！」
慌てたように少し大きくなった声に、唇に指先を押し当てて、
「ちゃんと、聞こえていますよ。」
上映前の映像に合わせたサウンドに紛れて、囁いた。
そらされた視線に、とんと胸元に押しつけられる小さな袋。
「これは、カリファに。」
真っ赤になった頬に、何かを紛らわせるように咥えたチュロス。
低く鳴った上映の合図に、暗闇を落とした劇場はしんと期待に静まりかえって。
画面の光だけがぼんやりと可愛い人を照らした。
ドリンクを取ろうと伸ばした指先を柔らかに包んで握りしめれば、大袈裟なほどに跳ねた細い肩。
アクションシーンが恐いかと思って、なんて言い訳まで浮かべながら、上映後にまたあのストアを覗こうと考え、微笑んだ。
「パンフレットを見てもいいですか？」
そう、手を引いて。
レジに差し出すのは、興味のない映画冊子なんかじゃなくて。
贈り物と同じ、中身のわからぬキーホルダー。
2019.08.18
仕事場で揺れる柄違いの贈り物。
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