toy box



御伽噺のマリア


朝日の溢れるカーテンに、温かなコーヒーの香り。目玉焼きが添えられた薄いハムが視界に映れば、何かを確かめるように新聞を開く。
柔らかな金色の髪に、春の空を思わせる清らかな碧い瞳。そっと抱き寄せた細い腰に、リップも引いていない淡い唇にキスをして。瞳を細めて、熱い熱い吐息をついた。


真っ赤な世界に立ってみれば響く呻き声が煩くて、足下に転がる頭部を視線も向けず踏み潰した。
薄暗い室内に、長い廊下に飾られた絵画は優雅で額の中に浮かぶ大きな船の写真に瞳を細めれば、蛆の如く沸き立つ男達に睫毛を揺らし、深く息を吐いて瞳を閉じた。
瞬間、背後から飛びかかる巨体を交わし、廊下の向こうから駆けてくる足を狙って爪を伸ばす。鋭い指先に食い込む熱を残した肉に、甲高い悲鳴。吹き出す真っ赤なそれは噎せ返るような不快な臭いに満ちていて。過去のその日を、連想させるには充分すぎて。
響きわたる非常ベルに肉片の散るその道を歩けば、重たげな鉄扉が閉じる前に奥の部屋に続くドアに手を掛けた。

「なんでもする!見逃してくれ!!」
そう言葉にしているわりに震えた腕で構えた銃の先はこちらに向いていて。適わないと悟っていながらも、無駄な抵抗を無意識に示す相手に哀れみすら感じられて。だだっ広い部屋の奥、壁に背を擦るように縮み上がったターゲットに向けて首を軽く傾げて見せれば、暖炉に置かれた写真立てを手に、一人掛けソファーを動かし腰掛けた。
薄い硝子越しに指に触れる碧い海に、金色に輝く太陽。帆を張る前の大きな船は、過去の図面整理の際、目にしたものに酷似していて。やはりな、とカタカタ震える子豚に視線をやればふわりと指を開いて、音もなく距離を積める。響きわたった発砲音に、壁に穴を開けた弾丸の風を切る声。落ちた写真立ての割れる軽い響きが耳に届くより早く、掴んだ首筋に爪を立てた。
まるまると太ったスクローファをこともなく宙に浮かせれば、ばたつかせる邪魔な足の皿を左右続けて蹴り砕いた。醜い鳴き声に掻き消されながらも主張する電伝虫に気がつかないふりをして、瞳を細め甘く囁く。
見開いた瞳に、荒くなった息遣い。真っ赤に茹だった頭部に、溜息を吐いて。
太い首筋をへし折った。


「ねェ、ルッチ。死んだ人は天使になるのよ。」
頬杖をついて星空を見上げた瞳は蕩けるように甘くて。
「子供の頃、教えてもらったの。純粋で清らかな人は死んだら天使になるのよって。だから、まっすぐ真面目に生きなさいって。」
ふわりと揺れた睫毛に絡まった宝石は、
「でもね。わたしは、」
月明かりを反射して瞬いて、
「きっと、天使にはなれないな。」
哀しげに笑った。


汚れた衣服のままバスルームに進めば、帽子を床に投げ捨て冷水を浴びる。シャワーから落ちた滴が闇のように暗い色の髪を伝って、床に赤い染みを残せば名残惜しげに排水溝に消える。
耳に残った悲鳴と呻き、響き渡る甲高いベルの音が脳内に木霊して。こてんとタイルの壁に額をつければ、瞼を落とす。思い出すだけで背筋がぞわりと逆立つ苛立ち深い真実に、やけに冷たい感情が心臓を撫でつけて。内から沸き立つ獣じみた激情に、牙が伸びれば。
プルプルプルと小さくポケットの中、呼ぶ電伝虫を取り出した。
「ルッチ?」
不安げに響いたその声は、今、一番聞きたくない甘いもので。それでいて、いつでも自分の欲する恋しい声音。
「さっき、部屋に行ったんだけどいないみたいで。どこに、いるのかなって。」
返事をしないことを知りながらも尋ねるその声は優しくて、あまりに愛おしい。
電伝虫を壁にやれば、ゆったりとジャケットを脱いで床に落とす。肌に貼り付いたシャツにべっとりとついた血液は鮮やかで、
「今夜は、会えない?」
対照的に淡い声が湯気にまみれた浴室に満ちた。


息絶えた相手を足で転がしたところで、恐怖に歪んだ顔はそれ以上、変わりはしなくて。埃を被った資料の中、微笑みを浮かべた若かりし頃の面影が見えた。
苛立ちの募るその指先で、割れた写真立てから古びた過去を抜き取れば、瞬時、伏せた昔を告げた震える唇が脳裏を過ぎって。いつかの夜空を思い出させた。

空を映したはずの瞳は潤んで今にも雨が降り出しそうなのに、
「少し前の話だけど。」
細めた瞳は静かに笑って、泣き顔すら見せてくれない。
「私に船を造って欲しいって依頼がきたの。もちろん、ひとりで全部は無理だけど、私に任せたいってお客さんがきてね。とっても嬉しかったの。だから、たくさん考えて図面を引いて、たくさんたくさん打ち合わせもして。ほら、女だから任せられないって言う人もいるから、そんな風に思われないようにって。期待を裏切らないようにって、すごくがんばったの。あの頃は、まだ見習いみたいなものだったし。」
口付けの温度が残った唇が冷たくなるのが見える気さえして、月明かりにぼんやりとした白い肌が溶けて消えてしまいそうだなんて思えて。
「でね、完成間近の船を前に、その依頼主に言われたの。あんたの態度が気にくわないから、この船はいらないって。私、どうすればいいのかわからなくて。一緒に作ってくれた仲間とか、船にも、申し訳なくて。私がきっと、何かしちゃったんだって、そう思って。」
聞きたくないと思いながらも、その先を知らねばならぬと腹の底が熱を持って、きんと静まった世界に細い肩を抱き寄せた。
「だから、ね。私、みんなに秘密で、その人の家に、行ったの。」
震えた背を撫でれば、金糸に鼻先を埋めて、言葉にしない代わりに耳元にキスをして。
「まっすぐに生きてくはずだったのに。私はもう、純粋でも、清らかでも、ないから。」
触れ合った肌は柔らかで、何処までも温かで。
「私は、天使になれないの。」


朝日の溢れるカーテンが揺れれば、春の風が笑う。
新聞に踊る小さな見出しには、貿易会社の大量不審死の文字。
「何かの事件?」
不思議そうに覗き込む恋人の瞳を見つめれば、さらりと落ちた髪を形良い耳にかけて、唇を重ねる。
さくりとフォークで刺したハムを口に運べば、昨夜の事を思い出して。
目の前に立つ、柔らかな人に瞳を細めた。

淡く瞬く光の粒に、甘い風が心地よくて。
死を経なくとも、天使以上に尊いその人に。
また、静かに口付けた。




これで過去が変わるならば、どれだけよいだろうかと。この行いで、愛おしい人が笑うならばどれだけ幸福だろうかと考えて。
なのに、どうせ何も変わりはしないのだという絶望と、それでいて、こうするしかできない己への苛立ちに首筋を持ち上げた手に力がこもって。

煩く鳴き喚くスクローファに低く唸って、
「お前を一度しか殺せないのが残念だよ。」
甘ったるく、笑った。









2019.04.13
悪魔は聖母の微笑みを願う。

Happy birthday to TABIさん!!






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