toy box



小春日和に、さようなら



ふうっと吐いた白い空気に睫毛を揺らして。
床に溢れた赤ワインを避けるようにヒールを鳴らす。


温かな珈琲の香りに、嗅ぎ慣れた男性物のクリームの匂い。腰まで隠れるシャツに大胆に晒した素足で、キッチンに立つ人に近付けば、
「おはよう、ハニー。」
そう低く甘い声が耳に届く。
キスをするには少し眼鏡が邪魔で。だからといって、外してするほど特別な行為ではなくて。軽く触れるだけの口付けに、さらりとマグカップを手に彼から離れる。
「今日は冷えるらしい。まぁ、昨日から随分気温は下がっているけれど。」
挽きたての豆の香りを胸いっぱいに吸えば、それだけでふわりと光が射すように思考がクリアになって。ほっと、息をつく。
「でも、この部屋は快適。」
リップすら塗っていないその唇で微笑めば、さらりと落ちた金髪に大きな硝子窓から溢れた白い空気が反射する。
数通の封筒を乗せた新聞紙を抜き取ってみたところで、能天気な社会は一面を新しい年に向けた無意味な意気込みを載せることに必死で。眉間に皺を寄せた年輩者達のモノクロ写真が並ぶ。
「知り合いでも?」
ことりとマフィンを乗せた皿がテーブルに置かれれば、からかうような笑顔に、
「世界政府に?まさか。」
くすりと笑って、面白みのないそれを戻す。

「ねぇ、小春日和って冬の言葉なのよ。」
エッグベネディクトにナイフを向け呟けば、
「春に向かう時期の言葉?」
なんて、口端についたソースを舐める舌先が赤く覗く。
利口そうでいて少し抜けたこのやりとりが可笑しくて。普段は冷静で紳士的で、なのに、プライベートでは気を許した彼の柔らかさに懐かしさすら感じられて。
「さあ、どうかしら?」
そうはぐらかして、つぷりと蕩けた黄身から視線をあげれば、ふと思い出したようにテーブルの端に置かれた封筒が目に入った。

真っ黒な紙に銀色のインク。差出人も宛名もないのに、ふっくらと膨らんだそれはあまりにも上品で。
「貴方宛、かしら?」
深く重い、いつかの匂いがした。



ベッドの下の旅行用トランクから取り出した網タイツに、足に馴染むヒール。久々に身に付けたとは思えない程、しっくりとした衣服に手袋を嵌めれば、眼鏡を変える。
もう触れることのないだろう寝室のドアをそっと開けば、何も変わらないキッチンに突っ伏した数ヶ月間の恋人。仕事用のかちりとしたスーツに、クリスマスのプレゼントにと贈ったネクタイピンが机と重くなった身体の隙間から光って見えて。見開いたままなのだろう、恋に溺れた視線を受ける気もなく、ヘアワックスで綺麗に整えられた後頭部をそっと眺めた。

手応えも何も無い静かな計画。穏やか過ぎて恐くなるほど。
「終わったか。」
音もなく開いたのは玄関ではなく、大きな硝子窓。入ってきた暗い影に、
「そっちは?」
表情無く尋ねれば、嗚呼、これほどまでに自分の頬は薄かったのだと思い出して。口角を上げるために使い続けた筋肉を、この瞬間、削ぎ落とされた気がした。
「聞く必要があるか?」
テーブルに伸ばされた指が触れるのは、真っ黒な封筒。傾けたそこから落ちる数粒のオレンジの種。
「せっかくの演出だけど、わからなかったみたい。」
肉食獣のようにギラリと光った瞳に、眉間の皺が深まれば、
「最期くらい彼の驚く顔が見てみたかったんだけど。小説みたいにドラマティックな。」
ふっと鼻から抜ける吐息が聞こえた気がして。
「幸せな時間にお別れを。」
まるで物語の登場人物を真似るように、低く深い声が空気を揺らした。



「何かの種、だな。子供の悪戯かも。」
封筒を覗く間抜けな様に何でもないふりをして。
「見せて。」
受け取った袋からさりげなく一粒の種を抜き取れば、
「手紙も何も入っていないのね。」
ぽちゃんと彼の珈琲にそれを落とす。

数ヶ月掛けて近付いたターゲットの用済み連絡。
先に皿を片付けるふりをして指先についた薬を洗い流せば、あとは普段通り寝室に着替えに向かう。
小さな呻き声に、がしゃんと響くナイフの落ちる音。シャツを脱ぎながらそれを聴けば、鼻唄混じりに薬指の指輪を抜いて。2つ並んだ枕の上へ。



「君は何でもよく知ってる。」
それが彼の口癖。まるで自分の事のように誇らしげに、自分が無知だと恥じる事なく告げる言葉。
「貴方は何も知らないのね。」
全てを残していく部屋を見回せば、本当にいつもと変わり無くて。何故だか物足りなくて。
戸棚に覗く酒瓶に手を伸ばせば、ニューイヤーパーティーで飲む予定だったワインを開けて、
「オレンジの種は警告。」
躊躇うことなく彼の頭に真っ赤なそれを振り掛けた。
「貴方の恋人は暗殺者。」
だらだらと滴る液体にぱちぱちと脳内が瞬いて、色々な感覚が身体の先まで満ち満ちて。
ことりと置いた深いグリーンの瓶に、開いたままの窓から冷たい風が吹いた。
「私はこのワインが嫌い。」


「行くぞ。」
抑揚のない言葉に小さく返事をすれば、こつこつとヒールを鳴らして窓辺に向かう。ふわりと舞った淡いクリーム色のカーテンに、冷たい空気が頬を撫でて。
温かな朝の会話を思い出す。

先に飛び去った暗い影に続くのを、ほんの少しだけ戸惑うも。結局、自分の居場所はそこにしかなくて。

「さようなら、」

きちりと紅を引いた唇で、静かに熱い吐息を零した。




「小春日和を知らぬ貴方。」









2018.12.28
貴方との記憶は小春の中、なのに。





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