toy box



ホワイトローズ



大きな窓から差し込む白い光が眩しくて、頼りのないレースのカーテンを引っ張れば、硝子に映った冴えない人形がぽろりと泣いた。


きらりと光った大粒の真珠の耳飾りに、淡い口紅が潤む。
「とってもお似合いですよ。」
そう笑う女性の声すら靄がかって聞こえて、自分の立っているこの場所が不鮮明で。
純白のドレスに、白い薔薇に飾られたベール。プリンセスラインの重厚なドレスは幾層にも重ねられたレースに、夢をはらんで膨らんだふっくらとしたバルーン袖が愛らしくて。大きく開いたそこから覗く白い背中だけが無防備で。
「さすが、新郎様が選ばれただけのことはありますね。」
にこにことした規則正しい表情が居心地悪くて、
「そう、かしら。」
そう小さく囁いた。
金色のハンガーカートに用意された衣装はたった一着。レースのグローブも、真珠のネックレスも、全て、婚約者が決めたもの。
「少し、ひとりにしてちょうだい。」
鏡に映ったそこには、優しく品良い貴族の男が抱いた麗しい幻想。


知恵も能力も何もない自分にできることは何だろう、そう考えてきた。彼に出逢ってから。
「長官は何ならできるんですか?」
そう皮肉に歪む薄い唇に、白い頬が恋しくて。金色のさらりとした髪に、声を出さずに呟いた。
「貴方のためなら何だって。」


王族との政略結婚が決まったのは、ほんの数日前。
部下はみんな長期任務の真っ最中で、上機嫌な父の声だけが耳に響く。
王族と言っても婚約者が王位につくということは余程のことでないとないらしく、謂わば血縁関係があるだけの貴族。ほんの少しでも関係があれば、国勢や世界政府としてメリットがあるらしいことを説明されたって、自分にはまるで他人事で。
一度の食事会で顔を合わせた相手は柔らかな笑顔の上品な紳士。穏やかで優しく、まさに御伽話の王子様。
「娘は昔から"お姫様"というものに憧れていて。」
なんて笑うアルコールの回った声に
「本物のお姫様にはできませんが、それ以上の幸せを約束します。」
そう告げる甘く低い声は空気を温めて、誰も彼もが相手の虜。
味のしない料理に、香りだけで酔ってしまいそうなワイン。揺らした睫毛の向こうに恋しい彼が居たなら、なんて考えながら零れた溜息は透明で。
「外の空気を。」
そっと差し出された手に瞳を見開けば、
「気分が優れないように見えたのですが、失礼でなければ気分転換にテラスへ。」
振る舞いひとつすら丁寧で、意地悪な彼とは違うのだと深く深く傷を抉る。
恋人でもなければ、すきだと伝えたことすらない、ただの仕事仲間。どうせ、自分のことなど何とも思っていないのだろう冷たい瞳。でも、その人がすきで。ただただ、愛おしくて。
見知らぬ相手の手を取って、冷たい空気に瞬く星空へ足を伸ばした。

「乗り気ではないんでしょう?」
寂しげに下げられた形良い眉に、気遣うような視線。
「僕にとって貴女はとても魅力的だ。繊細で美しくて、素直。だからこそ、貴女の意志も尊重したい。」
非の打ち所がない優秀で聡明な人。濁りを知らず真っ直ぐな、英雄のような王子様。
悪魔のような魅惑的な彼と似ているようで正反対の人。
「不器用で要領が悪い上に、自分の身すら守れない。なら、なんの為にこの仕事を?」
低く優しい声のはずなのに、言葉ひとつひとつが棘を纏って。だからこそ、その痛みが忘れられなくて。無数の針が抜けなくて。忘れられない愛しい人。
「したくないことはしなくていい。今すぐ婚約しなくとも、僕は貴女の助けになりたい。」
透明で純真で、綺麗な人。嫌いになることもなければ、断る理由すら与えてくれない完璧な人。

霞んで、
「長官はいったい、」
揺らいで、
「貴女は今、」
重なって。


「何がしたい?」


「貴方のためなら何だって。」
ぽろりと呟いた言葉は、いつかの伝えきれなかった想いで。星屑に瞬いた涙の意味が自分でもわからなくて。
「幸せにすると誓うよ。」
そう抱き締められたことすら、まるで御伽話の中のようで。
止まらぬ涙に嘘をついた。




コンコンとノックされた扉に向き直れば、仕事で会えないと話していた婚約者の顔が浮かぶ。結局、片付けてここまで来たのだろうかと考え小さく返事をすれば、開いた扉の向こうには純白の薔薇の花束。
「御婚約、おめでとうございます。」
甘い笑顔に真っ黒なスーツ。煌めく金色の髪に、下腹部がきゅうっとするのがわかって。
「どうして。」
震えた声に潤む視界に映るのは、恋しくて堪らなかった想い人。
「上司の幸せを祝う部下は非常識ですか。」
こつこつと近付く足音に俯けば、さらりと落ちたベールに表情を隠して。
「見ないで。」
消え入る声で囁いた。
「旦那様より先に拝見するのは、失礼ですか?でも、」
花瓶から引き抜いた花々を床に落として、強引に差し込まれた色を失った大輪の薔薇達。
「不備がないか確認しないと。」
ふわりと上げられたベールに、涙で濡れた瞳は隠すことができなくて。寄せられた唇に肩を震わせれば、
「長官は詰めが甘いので。」
耳元で囁かれる声に、愛おしさが溢れて止まらなくて。
するりと添えられた手が背中に触れれば、滑り落ちた手の平が腰のリボンを撫でて。
「ほどけそうですよ、ここ。」
抱き締められるように密着した体温に、いつもの香りを胸に満たせば、
「カリファ、」
それだけで溶けて消えてしまいそうで。

「たすけて。」

ほんの少しだけ力の入った腰に回された腕に、甘い吐息。望んでいる物に届きそうで伸ばした腕は、
「そんなに嫌なら断ればいいでしょう。」
宙を掴んで落ちた。
「それとも殺してやりましょうか。婚約者。」


愛しい人はただの部下で、暗殺者。冷酷で辛辣で、私のことなど何もわかっていない。
だからこそ魅力的で、だからこそ、すきで。
「私、何もできないと思ってたの。いつも、書類にサインして、貴方たちに命令するふりをするだけ。」
涙の代わりに揺れた真珠の耳飾りは柔らかに彼の胸元に寄り添って。
「不器用だし強くもない。だから、カリファが危険な目に遭っていても、私、何もできないの。」
冷たい手の平が頬を包んで、ゆったりと離された身体に視線が重なって。
「この婚約を受ければ、少しだけどお金も安全も手に入る。私が我慢すれば、」
滴に瞬く長い睫毛に、真っ直ぐな瞳。艶めいた唇は魅惑的で。まるで悪魔のようで。

「私はカリファの役に立つ。」

くつりと笑った唇に、反射した眼鏡のせいで瞳は読めないけれど、彼はきっとまた意地悪な顔をして、
「そんなの御礼を言う価値もない、些細なものでしょう?」
こてんと額を合わせた。
「そうですね、言うならば。」
伸びた指先が引き抜いたのは、花瓶に押し込んだ純白。

「薔薇、2本分のお節介。」




婚約者が亡くなったのを知ったのは、その日の夜。婚約者が違法な取引に手を染めていたのが暴かれたのは、その翌日。
なんとも感じない心に頬杖をついて溜息を吐けば、そっと伸ばされた手に視線をあげて。
「外の空気を。」
ニヤリと笑った悪魔に、何も言わずに手を取った。


そこは真っ青な夜を知らぬ、不眠の空。
純白の薔薇が風に揺られ、謳う。









2018.12.26
どうせ、お互い天国へは行けやしないし。

白い薔薇:私は貴方にふさわしい
2本の薔薇:この世界はふたりだけ






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