toy box



夢見る少女の救出



煌めいたその瞳はアメジスト。
揺れた髪はまるで、夜空に浮かんだ三日月のよう。


たまには同じ年頃の集団の中に入るべきだろう、なんて、試験前だけ通わされる学習塾。
きちりと正した背に机に座って黒板を前にメモを取っている学友は名前も知らない政府関係者の子息や子女だろう、優秀な少年少女。難しい武術の話に、世界の歴史。こんな事、勉強したって可愛くなれるわけではないのに、そう考えて尖らせた唇は桃色で、不満げに膨らんだ頬は雪のように白い。
黒板に綴られた文字はまるで魔法の文字のようで、普段、家庭教師がゆったりと話すそのスピードとは違っていて。面倒になって閉じたノートに、参考書の偉人の顔を眺めながら、自分もいつかこうなるのだろうか、とぼんやり考えた。
壇上の声に、さらりと一斉にめくられた参考書。すでに数ページ遅れの状況でついて行く気にもなれず部屋の後ろに掛けられた時計を見上げれば、音もなく開いた扉に目がいって。
どこかで見たことのある金色の髪に、柔らかな藤色の瞳が心を掴んで、視線が彼に引きつけられる。白い肌は透き通るようで、線の細い身体はまるで人形のよう。眼鏡の奥に光った瞳は柔らかな色をしていて、繊細なその視線に壊れてしまいそうな、恐ろしさすら感じて。
遅れてきたはずの彼の参考書は、壇上の講師の言葉に沿っていて、動くペン先も他と比べて格段に速い。まるで言葉の裏まで知っているようなその文字に、頬杖をついてその滑らかな手付きを眺めれば、それだけで自分も何かを修得したような気がして。
凛とした横顔に、ほろりと崩れてしまいそうな優しい雰囲気。そうか、彼はきっと政府エリートの子息なのだろう。世界政府と言ったって戦争や身体戦ばかりが仕事ではない。戦略を練ったり、経済的な問題を考えたりというのも仕事のうちで。病弱そうな彼の進路はきっとそちらの方面なのだろう。もしかすると科学犯志望なのかも。そんな風にぼんやり思考の海に漂えば、がたりと一斉に席を立つ音が聞こえて授業終わりのベルが同時に鳴る。自分も慌てて参考書を鞄へ押し込んで、あわよくば、人形のような彼の名前ぐらい聞きたいと上げた視線の先には、周りのことなど気にもとめずスタスタと扉を目指す彼の背中。
「待って。」
教室に小さく響いた声に、数人の視線が此方に向いて。名も知らぬ相手に追いつきたくて、引き寄せた鞄は机の角に引っかかってノートや筆箱ががしゃりと落ちた。
「ああ、もう!」
苛立ちながら周りをみたって、手を貸してくれるような優しい相手なんていないのはわかっていて。それでも普段のくせで立ちすくめば、ふうっと息を吐いて机の下に転がった赤ペンに手を伸ばす。早くしなくちゃ彼を見失ってしまうのに。ぷうと膨れながら床に視線をやれば、そのまま上げようとした後頭部にふわりと優しい手のひらの感覚。
「そのまま頭を上げたら、机にぶつかると思うけど。」
机の前にしゃがみ込んだ、その人は自分が追っていたはずの人物で。視線で追った時、確かにもう廊下に出ていたはずなのに、この数秒でどうやって戻ってきたのだろうか、なんて、今は考えも出来なくて。
「急いでたんだろ?」
はい、と差し出された参考書は丁寧に重ねられていて。
「あの、えっと、」
貴方のことを追っていました、なんて素直に言えるわけもなくて視線を泳がせば、彼の手に合わせて机の下から身体を起こす。
ぎゅうぎゅうと鞄に参考書を詰め込んで見つめた、きらきらと宝石のように煌めいた瞳に心がきゅんとして。
「その、名前は?わたしは、」
言葉を紡ごうと開いた唇にそっと当たった指先は冷たくて、それでいて微笑んだ口元は疑いたくなるほどに甘ったるくて。
「そんな簡単に名前は教えない。親から言われてるだろ?」
でも、貴方になら、そう言い掛けて、ぱちぱちと消え始めた教室の明かりに立ち上がれば、
「また明日。」
そう、ふわりと告げられた言葉は人形なんていう素っ気ないものではなくて。それは今まで絵本の中でしか逢うことのなかった王子様。
上手く声が出せなくて、睫毛を揺らしこくんと頷くことしかできなくて。
ぱちん、音を立てて暗くなった教室にはっと顔を上げたところで、がらんとした部屋には自分しか居なくて。廊下を駆ける足音が遠くに聞こえる気がした。

大嫌いな体術のレッスンは、毎晩、寝る前のほんの少しの時間。幼い頃から繰り返された練習に、六式なんて学びたくもなくて。とりあえずはと進められた、しなやかな身体づくりのトレーニングに護身用ナイフ術。
ファンクフリードを扱う前に、きちんとした構えを覚え込むようにと、革のグローブ越しに握るのはゴム製のフェイクナイフ。
「こんなこと、したくない!」
何度繰り返されても上手く受けられず、吹き飛ばされる痛みにぺたりと座り込めば駄々をこねる。体術の講師が甘いのを知っていてじっと見上げれば、仕方ないなと苦笑を零した後、差し出されたドリンクを受け取って。
「こんなこと、学ぶべきじゃない。それをおれも知っています。ただ、御自分を、そして貴女の大切な人を守るための力を付けて欲しいんです。これから時代は大きく動きます。」
困ったように眉を下げて笑った表情が、塾で出逢った彼に重なって。嗚呼、何故かしら。そう考えれば、ジュッとストローが音を立てた。


いつもと変わらない退屈な塾の時間。ただ、ほんの少し違うのは隣に昨日の王子様がいるということ。ページが進む度、参考書に触れる指先が綺麗で、短く切りそろえられた自分の爪が恥ずかしくてきゅうっと手を握りしめた。
さらりと耳に掛けられた金色の髪に、眼鏡越しの宝石があまりに美しくて。黒板に踊る暗号なんてどうでもよくて。ふと眉間に寄った皺に気が付けば、ふわりと此方に向けられた視線に心臓が溶けてしまいそうで。
「黒板の文字が細かすぎて、目が疲れた。」
そう小さく囁かれた言葉に、くすりと小さく笑えば、
「順番に目の休憩をしよう。手のひらで目を押さえて、瞼を落として。」
暗示にも似た柔らかな声が耳元で響いて。
そんなことしたら先生が、そう泳いだ視線を先読むように、
「先に君が目を閉じて。その間は、おれが見張り役。」
シーと自らの唇に人差し指を当てた王子様は、あまりに魅力的で。逆らうことなんて出来やしなくて。
「大丈夫。怒られたとしたって、おれのせいにしていいよ。」
まるで、ふたりきりの秘め事のようで嬉しくて。こくんと頷いて、手のひらで瞼を覆って素直に目を閉じた。
静かな教室の中、聞こえるのは講師のぼそぼそとした呪文に、ペン先がノートを擦る音。そっと背中に触れた手のひらに肩を跳ねさせれば、
「おれがいるってわかるように、ここに手を置いておくから。リラックスして。」
告げられた言葉に心臓がどくどく大きく震えるのがわかれば、羞恥心と背徳感に下腹部がきゅうっとして。
「もう、目は大丈夫、だから、」
静かに囁いても、
「まだ、もう少し。ちゃんとタイミングを見てるから。」
夢の中のような甘い声はしっとりとして。

ダンと勢いよく開かれた扉に、抱き寄せられた身体は細い王子様の腕の中。未だ目元を押さえたままの格好で。
「よくできました。お姫様。」
くすりと漏れた声に瞳を開けば、真っ暗な教室に逃げまどう子供たち。部屋に押し入る覆面の男たちの手には何やら武器が見えて。
「何、これ。」
驚いたように声を零せば、妖艶に笑った彼に引かれた腕に従って駆ける。
しばらく目隠しをしていたからか、暗闇に瞬時馴れた視界に、前を走る彼の背中が映って。何故だか、昨夜の言葉を思い出す。
「わたしの、大切な人を、守るための、力。」
高い悲鳴に重い拳が壁にめり込む音が響けば、それすらまるで別世界のようで。毎夜の稽古で泣いていた自分が他人のようで。
ぎゅうっと繋がれた手を握って、廊下を駆けて出口に向かう。まるで、どこに向かうべきか迷いを知らない足取りの彼は、思った通りに頭脳派で。男たちの隙をひらりと避けて先へと進む。窓から漏れた月明かりにきらりとした眼鏡の奥の表情は見えないけれど、きっと戸惑い無く凛としていて。それでいて細い手足に、病弱そうな白い肌。嗚呼、わたしが守ってあげなくては、なんてきゅっと唇を噛んだ。

途端に、どんと低い足音に、大柄な男が廊下の真ん中を遮って。ふたりの足が止まる。
くっと詰めた彼の息遣いが聞こえれば、腰ベルトに隠していた護身用ナイフを握りしめてゆっくりと抜く。はっとしたように目を見開いた王子様の前に出れば、震える膝に力を込めて、毎晩、はじめに練習する構えを見せて。
「大丈夫。きっと、わたしが、守る、から!」
震える声を隠すことが出来なくて、すでに恐怖から潤んだ瞳では男の表情すらわからなくて。それでも、ここまで引っ張ってくれた彼のため、どうにか自分も戦いたくて揺れる刃を男に向けた。

「へえ、かっこいい。」
感情のない吐息混じりの声が耳元で響けば、
「でも、危ないものは没収。」
するりと取り上げられたナイフは、憧れの彼の手の中。
「こういうのは、おれの仕事だから。邪魔されると困る。」
にやりと冷たく笑った表情に、ナイフを片手に眼鏡を上げる仕草はあまりに艶っぽくて。驚いて見開いた瞳から、涙が零れれば細い腕に腰を抱かれて。
「おれがいるってわかるように、ここに手を置いておくから。目を閉じて耳を押さえて。」
先程の秘め事のように囁かれれば、彼の身体にそっと寄り添う。冷たいはずの体温がぼんやりと熱を持ったようで、ふわりと感じた浮遊感に落とした瞼にぎゅうと力を込めた。
指の隙間から聞こえた鈍い音に呻き声、ひゅっと風を切る刃物の音が恐くて肩を寄せれば、
「大丈夫。」
そう甘い声が聞こえて、腰に回された腕に力が籠もる。

長く感じられた数分が終わって、とんと足裏に着いた煉瓦のエントランス。
わあわあと聞こえる大人の声に、
「ほら、もう終わり。」
なんて、離れた体温が不安で目を開けば、そこに並んだ政府の関係者たち。
「まあ、スパンダイン氏の御息女ということもありますし、合格判定でよいでしょう。」
手渡された合格通知にきょとんとすれば、涙の跡をそっと撫でた彼の親指にまた泣きたくなって。
「これが、試験?」
恐怖から掠れた声に、
「ああ、抜き打ちの。それぞれ課題は違うみたいだけど。」
ひらりと揺れた王子様の合格通知には、サイファーポール候補生の文字。
「わたし、あなたが、武術なんてできないって、思ってて。それで、」
未だ震える身体に、またぽろぽろと涙が溢れれば、
「そっちは生き残るのが仕事だろ?」
合格基準の表示を覗き呟いた声は、ほんのすこし柔らかで。
止まらない涙に遠くから聞こえた父親の声が恋しくて、
「お父様!」
ぱたぱた駆ければ、大きな腕の中に飛び込んで。背中に聞こえた声は夢の中。


「わたしの大切な人、か。」
月夜に煌めいた金色に、艶めくアメジストは細く笑う。
「騙されやすいお姫様だ。」
呟いた声は、きっと誰にも届いていなくて。




政府の試験は前例なし。合格基準は人それぞれ。
「これくらい予測して動くのが当然だろ。」

小さく溜息を吐いた彼の合格条件は、

「夢見る少女の救出。」









2018.08.14
ナイフを構えたその表情に、口付けしたいと考えたなんて。口が裂けても言えないけれど。






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