toy box



黒鍵のエチュード


ぽんと弾いた鍵盤に、爪先をかけたペダルが沈む。


綺麗に整えられた形いいラベンダー色の指先に、つやりと塗られたリップ。いつも以上にふんわりと揺れる淡い髪に、真っ白なワンピース。
「今日くらい我儘を言ったって許されるだろ?」
なんて笑う、いつも自分勝手な父親に流されるままに着せられた柔らかな純白が、何故だか擽ったくて。ピアノ椅子に腰掛けて、懐かしい白鍵に指を乗せる。
「久々にお前のピアノが聴きたい。」
そう告げてきたのは誕生日当日の午後で。関係者を集めた食事会の席、披露する時間をとるだなんて無謀にも程がある。
ぽーんと弾いた軽い音に溜息を吐けば、それでも未だ親に抵抗できない甘さに、譜面立てに映った自分が苦笑して。
「ピアノなんて、何年も弾いていないのに。」
習いたての拙い演奏を「天才だ!」と囃し立て言い触らすあの古めかしい嬉しげな表情がふと頭を過れば、音の溶けた部屋の空気が冷たく感じて。胸がきゅうっと痛む。

「こんな所で何を?」

そう耳を満たす恋しい声にはっと視線をやれば、扉の傍、金色の髪が揺れて普段とは違う衣服に睫毛が振れる。
真っ黒なマオカラースーツに、ブラックシャツ。シルクハットは上品で革の手袋を外す仕草すら美しくて。まるで中世の絵画のよう。
「長官、ピアノなんて弾けるんですね。」
そう何処か馬鹿にしたような口調すら気にならなくて、迷いなく近付くその人に唇を開けば、
「弾けないから、困ってるの。」
素直に告げて、瞳を伏せた。どうせ、嘘をついたって見透かされて。彼には何でもわかるから。
「そうでしょうね。」
さらりと漏れた声に、そっと背中から抱き締めるように伸びた腕が黒鍵に触れれば、静かな吐息が髪に触れる。
「邪魔なら、退くから、」
と密着した身体に慌て告げようとすれば、ぴとりと冷たい頬が耳元に当てられて。動くことさえ許されなくて。
身体を包んだ腕がふわりと脱力するのがわかれば、そっと黒鍵に添えられた指先が踊って、軽やかに歌う。楽譜もなければ、譜面台越しに反射した瞳は此方を見つめてくつりと笑って。手元すら見ていない。
細い指先を眺めれば、触れるのは黒い鍵ばかり。まるで、白いものには触れたくないとでもいいたげな意地悪な曲選び。それでいて、普段の彼らしくない明るい曲調に何故だかほっとして。
自分からほんの少しだけ、白い肌に頬を寄せた。

「で、自分の父親の誕生会で演奏をすることになったわけですね。」
包み隠さず話した言葉に、いつものように呆れ溜息をついたその唇が恋しくて。先程まで舞っていた優しい指先が頬を撫でるのが心地良くて。
「そんなの参加しなければいいのに。」
甘ったるい声が部屋に響けば、さらりと敷かれた赤布にゆっくりとピアノを閉じられて。
「長官には、向きませんよ。不器用なんですから。」
耳元を這う唇が、邪魔だと言うようにパールの大きなイヤリングを外せば、床に落として。
「それに、」
ゆったりと舐め上げられた耳朶に、腰が戦慄けば、
「おれと遊ぶ方が楽しいでしょう?」
熱い吐息に包まれて。


約束の時間まで、あと数十分。
せめて連絡を、とサイドテーブルに伸ばした手首を掴まれて強く吸い付かれれば、下腹部の熱が膨張するのがわかって。
「この状態で父親へ連絡ですか?余裕、ですね。」
そう掴まれた腰がぐっと引き寄せられて、結合部が泡立ち煌めいて。腰を捻り、どうにか見えた整った表情に、さらりとした髪に触れるレンズが気になって。
「カリ、ファ。」
小さく名前を呼んで、ゆっくりと摘んだ眼鏡を外せば、何も通さない、ただただ美しい瞳を覗く。
驚いたように少しだけ開いた瞳孔に、なんだか幸せだと思われて、焦点の合わないらしい眉間の皺にそっと口付けて。
「…だいすき。」
なんて、小さく静かに呟いた。


ぼやけた視界にふわりと瞳を開いてみれば、そこは賑やかなパーティー会場。とはいっても、自分が居るのは隅に置かれた真っ赤な布張りの休憩用椅子。
曖昧な記憶に、はっと目を見開けば視界に入った時計はとうに約束の時間を過ぎていて。しまった、と辺りを見回せば異様なほどに上機嫌な父親が会場の中央に見えて。高いヒールを鳴らして慌てて駆け寄り、
「演奏は?」
ぎゅうっと強く抱き止めてくれた優しい父親に、前後なく尋ねた。

父の話によれば、手首を痛めた自分に代わって知人である仮面のピアニストが申し分ない優美な演奏を披露したらしい。しかも、眠りこけている自分からの贈り物として。
「まるで黒鍵のような真っ黒な出で立ちで、お前の白いドレスと並んだら、さぞ映えただろうに。」
なんて呑気に笑うその人を置いてバルコニーに向かえば、いつのまにか巻かれていた手首の包帯をそっと解く。
白い腕の中央に、既に桃色に変色したキスの跡が見えて、あの時の、と下腹部がきゅうっと切なくなれば、

「御礼ならベッドで。」

夜空から聞こえた柔らかな声に、月を見上げれば、ひらりと降ってきた仮面にくすりと笑う。
その場にはもう居ないだろう、愛おしい人にそっと小さく息を漏らせば、冷たい空気にさらりと溶けて。




「いいえ、是非、ピアノのある部屋で。」

何処かで、ぽろんと返事が鳴った。









2018.01.19
今度は白い鍵盤にもキスを。





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