toy box



アメジストと殺人鬼



甘ったるい瞳がほろりと濡れて、
大きな硝子玉がぱらぱらと落ちた。


「昨日の夜は、何してたの?」
暇潰しにもとれる、その言葉の真意を一応考えながらコーヒーを運べば、
「長官こそ、何か良いことでも?」
なんて返してみる。どうせ、この無能女は時間稼ぎだと気付きもしないだろう。
昨夜と言えば、ベッドの上で乱れる女達とシーツを纏って踊り明かした。柔らかな肌に、背中を這う赤い指先。腰の括れに沿って熱をなぞれば聞こえる、高く甘い鳴き声。ホテルの一室、満たされた淫らな空気を目の前のお姫様は知りもしなくて。

「呼んでたの。カリファを。」
なんて、揺れる長い睫毛が甘過ぎて、
「電伝虫で連絡したけど、繋がらなくて。その、昨日の晩は、寒かったし。」
言い訳にも取れる、恋する少女じみた声音に吐き気すらした。
なんとなく、この勘違い甚だしい態度に心当たりがあって。ここまで馬鹿な上司に寧ろ感動さえ覚えれば、あまりの純真さに奥底で疼いていた欲望がふつふつと沸き立って。内心笑って、冷たく告げた。

「女を抱いていました。ホテルで数人。」

ゾクゾクとする心を抑えて淡々と呟けば、見開かれたラベンダー色の瞳がちらりと濡れて、数日前の寒い夜を思い出す。
枕に沈む波打つ淡い色の髪。初めてだから痛くしないで、なんて煽り文句を泣きながら零す唇。そのくせ、快感には貪欲で、漏れる声はあまりに幸せそうで。まるで真っ白な深雪に一歩足を踏み入れるような、後ろめたい興奮が脳を巡って。大丈夫ですから、なんて低く穏やかに頬を撫でて涙を掬って、柔らかな唇を貪った、あの夜を。

「それっ、て」
ふらりと立ち上がり零した声には先がなくて、この間抜けな女は大きな間違いをしているらしいと、また胸の高鳴りに口元が緩む。
「長官、」
デスクの端に置かれたカップの位置を変えて、細い腰に腕を回せば煌めくアメジストを覗き込んで、にやりと笑って囁いた。

「一度抱いたくらいで勘違いしないでくださいね。」

パンと鳴るはずのその瞬間、鈍くガシャンと響いた眼鏡の跳ねる音。
「女、なら、誰でもいいの?」
そう震えた声を出した、愛おしい表情は焦点の合わない視界にぼやけて。
頬を打とうと振りかぶられた華奢な手が当たったのは、固い眼鏡のフレームで。六式を取得した自分と、相手の力の差を知っているからこそ避けてやらなかったのに、広い的に命中すらさせられない何もできない女にくつくつと笑いが込み上げた。
「まぁ、容姿と育ちにも寄りますけど。」
わざと何でもないようにさらりと返せば、眼鏡を拾って掛け、しっとりと向けた視線で逃れないように、震える肩を捕らえた。
普段は透き通るように白いはずの頬が今は真っ赤に色付いて、ふっくらと開いた唇からふうふうと荒い吐息が漏れるのが聞こえて。嗚呼、なんて馬鹿な女なのだろうと瞳を細めた。
落とされた肩に、痛々しくも真っ赤に腫れた手のひら。音もなく近付いて、掴んだ手首は脅えからか冷たくて。
「おれを叩くつもりだったのに、自分の手を痛めただけみたいですね。」
部屋に響く声はあまりに穏やか。
「可哀想な人だな。」
今にも溢れそうな涙に、それを堪える唇が愛らしくて。細い手首を握ったまま柔らかな腰に腕を回して、空いた指先で顎をつうっと撫でた。

「おれがアナタを好きだなんて、言ったことありましたっけ?」

はっと見開かれた瞳にぽろりと落ちた涙を合図に、強引に口付ければ、鼻から漏れた弱い抵抗の声を無視して腰を寄せる。逃れようと緩く動かした胸が揺れれば、頬にかかった髪が落ちる。嗚呼、なんて煽り上手な愚かな人。なんて、なんて、愛らしくて愛おしい。

熱い口内に進めた舌先で上顎を撫でれば、馴れない行為に戸惑った甘い舌が震えて。それでいて唯一、自由な細い腕は抵抗する気なんてさらさらなく、ぎゅうっと躊躇いがちに背中に回されて。その従順さに腰を固定したまま両太腿の隙間に脚を差し込み、壁際に追いつめた。
甘い行為に呑まれて流されるしかできない可愛い人の両手首を壁に押しつけて、ねっとりと唇を離した瞬間、とんとんと軽いノック音に
「長官、よろしいでしょうか?」
という若い海兵の声が部屋の空気を震わせて。
「どうします?たすけて、とでも叫んでみます?」
なんて、唇を舐めて意地悪に尋ねてみる。
どうせ答えは決まっていても、選んだのは自分なのだと無知な相手に理解させるために、わざと逃げ道をちらつかせてみる。
「誰がどう見ても、おれが長官を襲っているようにしか見えませんし、大丈夫ですよ。長官のことは、先程の言葉で傷つけてしまいましたし。」
繰り返されるノック音に、優しく優しく耳下に口を寄せて、唇で淡い紫の髪に触れる。

「ただ、おれはアナタを嫌いだとも言ったことはないんですよね。」

ちゅっと柔らかな耳朶にキスをすれば、とろけた瞳に唾液に煌めく唇が開いて。
「今、重要な会談中だから!明日まで誰もこの部屋に近付けないで!」
甘ったるい切羽詰まったこの声は、ドア越しにどのように聞こえるのだろうか。肩に押し当てられた額に、ゆっくりと差し込んだ脚へと寄せられる腰元。緩めた手に、するりと抜けた手首は迷うことなく背中に回されて。

「初めてじゃないので、優しくできませんが。」

そっと両頬を包んで、涙でぐちゃぐちゃな表情を眺めれば、甘く甘く笑ってみせる。
「ほら、長官。命令を。」

興奮で荒くなった息に、赤くなった頬。不安で堪らないらしい表情は、普段、人形のように整った容姿とはあまりに違っているのに。普段以上に愛おしくて、愛らしくて。
「カリファ。」
震える唇に親指を沿えて、優しい視線を向ければ先を促すように首を傾げてみせて。

「痛くても、何でも、いいから。すきにして、いいから。だから。」
媚びるように寄せられた唇に、窓から溢れた風がカーテンを揺らす。


「私を嫌いにならないで。」




風に攫われ舞った資料に混じって床に落ちたのは、今朝の新聞。パラパラと捲れた一面に載った、ホテルでの残虐な大量殺人事件。真っ白なベッドの上、踊るように重なった死体の山は、違法薬物を所持していた複数人の女性達。
きらりと瞬いた眼鏡にくつりと笑った口元は、デスクにしがみついて鳴く無能な上司には見えていなくて。するりと出された鞭がしなれば、新聞紙が粉々に破れて。風に舞って雪のように煌めいた。

「さぁ、今度はもう少し痛くしてみましょうか?」
なんて、殺人鬼の優しい甘い声が部屋に響いた。









2018.01.14
仕事でした、なんて言うつもりはありませんので。





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