toy box



Anemone



なんて、今まで生きてきた世界はちっぽけなのだろう。そう、吐息をついて唇を合わせた。


何の気なしに立ち寄ったコスメフロア。お気に入りのショップを眺めてみれば、今シーズンにぴったりな新色リップがずらり。その中でも一際目を引いた重めの赤を試してみようと、カーキに飾った指先を伸ばせば、
「これ、いい色ですよね。」
とバッチリと化粧の乗ったアドバイサーに微笑まれて。タッチアップを頼もうかと顔を上げれば、ちらりと視線の端に映った美しい橙色。
黒いニット帽にお気に入りの鮮やかなオレンジアウター。擦れ違いざまに、振り向きたくなってしまうほど魅惑的な柔らかな雰囲気に、何処か真剣な横顔の恋人。どうせ、このフロアにいるということは自分に向けての贈り物でも探しにきたのだろうことは容易に想像できて。そんな相手の向かう先にある、きらきらと甘ったるく繊細なディスプレイのコスメブランドに落胆する。
宝石のように瞬くパッケージに、ふわふわと洋菓子でも連想させるような色並び。自分には決して似合うとは思えない優しすぎる雰囲気。恋人がそんなメイクやコーディネイトを好むことは知っていて、噎せ返るほどの甘いそれを「似合うからつけて欲しい」と話す様すら想像に容易い。
「お客様?」
きょとんとした視線に、見ているだけだと告げれば、商品を選ぶふりをして、ちらりと恋人の様子を視界に捉える。
細く長い指先が摘むのは、シルバーのボディの愛らしい口紅。瞬く細工と、飾り棚から覗く丸鏡に映るカクの表情が楽しげで、幸せそうで。接客する女性のメイクに視線がいく。
くるりと上がった睫に、淡いパステルカラーのアイシャドウ。熱っぽく色付けられた頬に、つやりとした唇はさくらんぼを思わせて、それはまるで御伽話のお姫様。そう考えれば、近くの鏡に映った自分は、きっと悪い魔女なのだろう、なんて。はっきりとした黒で跳ね上げたアイラインに、グレーベースのアイメイクを見て唇を噛んだ。
恋人の手に踊る夢見る色達はあまりに柔らかで。それでいて脆くて、自分では壊してしまいそうに思えて。ちらり、逸れたカクの瞳が自分を映した気がして、そっと背を向ければ、少し悩むようにまた手元に戻る視線。ちらちらと気にするように見つめるのは、普段、自分が愛してやまないコスメショップ。何も知らないようで、実際はどんなブランドを使っているかまで見てくれているのか、なんて急に恋人が愛おしくなって。
「でも、入った店は大間違い。」
緩んだ口元で、ぽつり呟いた。
ふわりと解けた空気に、自分がまるで草食動物を狙う肉食獣のようだと思われて、なんだか可笑しくて。鼻から息を漏らして瞳を閉じた。
「これ、試してみたいんだけど。」
指さしたのは、普段購入するには柔らかすぎる桃色に寄った赤。自分のできる最大限に甘えた色。それでいて、恋人が選ぶことのない重さもあって。妥協と好みの中間色。


いつもよりも柔らかに髪を巻いて、買ったばかりのリップを乗せる。柔らかなアイラインに、ブラウンシャドウ。いつもの自分よりもきらきらふわふわに着飾って、わざと遅れて待ち合わせ場所に向かう。
「カク、待った?」
そう恋人の背中に尋ねれば、
「ああ、身体が凍りそうじゃ。」
なんて、冗談を告げる口元が固まって、瞳がふわりと溶けるのがわかって。単純、と呆れる反面、心がふわりと熱くなる。
「ジャブラ、今日は、違うんじゃな。」
何が、とは言い表せない相手にクスクス笑うと、気を取り直したように咳払いした恋人に手首を掴まれて抱き寄せられる。
「似合っとる。」
温かに響く耳元を撫でる声に、そっと頭を相手に倒せば息を吐いて静かに頷く。
「それなら、この色にせんでもよかったかもしれんが。」
そう少しだけ自信なく弱まった声に、差し出されたあの甘ったるいロゴが踊る紙袋。結局と思いながらも、あの幸せそうな真剣な横顔を思い出せば、それもいいかと考えて。
「開けてもいい?」
冷たい空気の中、噴水の縁にふたりで腰掛けた。
開いたそこには煌めく銀色のパッケージ。メルヘンな桃色や、果実のような透き通った甘い色を思い浮かべて覗いたそこには、落ち着いた重い深い赤色。
「これ・・・」
思ったものとは全く違うそれに、恋人を見つめれば、
「本当は、もっと明るい色を見とったんじゃが、そんな可愛い服を着るとは、思わなくて、な。」
なんて珍しくも、もごもごと言葉を詰まらせて。
「いつものジャブラを考えていたら、その色になった。」

ぱっと開いた鞄から出したティッシュで唇を拭って、驚いたように此方を見つめる瞳の前で、貰ったばかりの口紅にキスをした。
するりと延びた落ち着いた冬の色。恋人が、自分を想って選んだ美しいそれは、赤い赤いアネモネ。
「どう、似合う?」
にっと歯を見せ笑った笑顔は、きっと今日の服装には不釣り合いだけれど、
「わしが選んだ色じゃからな。」
そう腰を引き寄せ、視線を絡めるふたりにはぴったりで。




狭い世界の中で、自分を彩り満足して。
だからこそ、外に出てみようなんて思いもしなかったのに。
何も知らない顔をした貴方に引かれ、やってきた花畑で見つけた美しい赤。

嗚呼、嗚呼、誓ってアネモネ。
この愛が永遠であるように。








2017.11.19
メイクポーチの中に一本の宝石。


赤いアネモネの花言葉「君を愛す」





Back



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -