Not ZL



忘却



澄んだ青に広々とした空。晴れた屋上での時間は静かで、アルコールが良い具合に身体に回る。見下ろした街は、こちらの思惑など知らず、勝手に働き、疲れてはまた走る。その繰り返し。
賑やかなファミリーとの時間も格別ではあるものの、ゆったりとした時間を過ごすのも自分には必要で。深く息を吐いてグラスを煽る。
ニュースクーから受け取ったばかりの新聞を眺めれば、目についた最悪の世代と呼ばれる見慣れた顔。胃の奥が焼けるような、それでいてぼんやり胸が暖かくなるような不思議な感覚。殺してやろうとも、酒を飲んでゆっくり話したいとも思う、矛盾した心。
話したところで何になるというのだろう。唯一、血の繋がりが明確だった筈の裏切り者について聞いたところで、何も得る物はないだろうに。ならば、なぜ、気にかかるのか、それを尋ねたいのかもしれない。そんなこと聞いた所で「知るかよ」と返されることは分かりきっているのに。

銃口を向けた時、聞くべきだったのだ。最悪の裏切り者に。本当はおれと一緒にいたいんじゃないか、と。あの時、おれたちはふたりきりだったのだから。優しすぎて、一緒に過ごす事が叶わなかった少年時代。きっと弟なら、兄を想っていたに違いない。そう考えるのは、余りに甘えた考えだろうか。海軍と手を組んでいたのも、元を辿れば自分の兄をどうにかしたいと考えていたからではなかったのだろうか。あの甘えたの末っ子が、正義だからと兄である自分に歯向かうだろうか。むしろ、兄だからと考えたのでは、なんて。都合が良すぎる考えだろうか。
引き金を引いた瞬間、見えた瞳は確かに愛した母親に似ていて。同時に腑抜けた憎たらしい父親の顔も思い起こさせて。吐き気が酷く、目眩がした。くらくらと絶望にも、快感にも似た、初めて強い酒を飲んだ時のような可笑しな感覚。何処に立っているのか、何を見るべきなのかわからぬ、夢の中のような奇妙な心地。
「私たちは幸せね。」
そう笑った母親に髪を撫でられて、降りてきた下界。汚く、痛ましく、愚かな世界。
潤んだ声で名を呼ぶ、浄らかで柔らかだった筈の白い指先に触れた瞬間、骨張った皮に手が震える。嗚呼、これが優しい母上のものだろうか。これでは、まるで、骸骨のそれではないか。
ばさりとはためく海賊旗に揺れる笑顔は、記憶の奥にある静かな表情とは程遠くて。喉の奥からくつくつ名前のない笑みが溢れる。
昔の家族はもう居ない。だからこそ、今のファミリーが愛おしくて堪らない筈なのに。時折、自分の居場所がわからなくなる。利用されている、なんて、言わない。ただ、此処にいる意味を見失いそうになる。世界を壊したい筈なのに、他人なんて大切にしてどうなるんだと。だから、ひとりになりたくて。その度に、必要ないはずの過去を何度も繰り返し思い起こす。何かの間違いで、あの頃が戻ってきやしないかと。ほとんど掠れ、美化されただろう、夢のような幸せな時間を。

白い町からきた子供さえいなければ。
なんて、考えるだけ無駄で。だからこそ、自分に向けられなかった想いを受けたあいつの話が聞きたいのかもしれない。そう考えれば、自分が惨めで。
憎しみからだろうと、自分のことを強く意識し生きているあいつに親近感を覚える。怒りと恨み、そしてロシナンテを抱える男。きっとそんな奴、世界にふたりしかいないだろう。
殺したいほどに腹立たしくて、それでいて一途に愛され大切にされた時間は一体どんな心地がしたのだと甘い声で尋ねたくなる。
恋しい母親に似た優しい瞳で「大切だ」と囁かれて眠った、その一晩の想い出を分けてくれなんて言いはしない。そんなもの、紛い物だ。
ただ、おれが欲しいのは。

ふわりと飛び去った黒い影が視界の端に映れば、無意識に腕が伸びて。
「ロシー!」
汗だくの身体に息が乱れる。蒼い空に飛び立った烏に、馬鹿に大きく育った幻影が見えて。闇の色をしたコートをはためかせ、飛び降りる弟が笑った気がして。
荒くなった呼吸をどうにか整えて、座り直す。口に運んだ酒は温く不味くて。地獄の中で飲んだドブ水の味がした。
泣き虫な弟はいつだって、自分の後ろを歩く。そんなの当たり前だと考えて、すべきことを指示して、それが正しいのだと自分自身を疑わなかった。
時折、現れる弟そっくりの幻は、いつもパクパクと唇を震わせる。聞き馴染みのない掠れた低い声など、覚えていやしない。きっとあの口元から漏れるのは、幼い日の高い無邪気な子供の声。たった六文字のその言葉は、きっと自分が欲しくてたまらなかったもの。

立ち上がって伸ばした指先に、空に浮かんだ雲。ふわりと浮かせた足元に、このままどこに向かえばいいのか問いたくなる。
瞳を閉じて飛び立てば、どこかで自分を呼ぶ声がして。振り返ってやるか、と込み上げる笑い声を噛み殺して、深く息を吸った。




「愛してるぜ」なんて言葉より。
ただただ、おれが望むのは。


弟からの純真な「大丈夫か」という問いなのだ。









2021.08.19
不死の身体で、お前とひとつになれたなら。




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