Not ZL



lemon



柔らかな光に瞳を閉じれば、そこに、君が居る気がして。

温かな毛布に柔らかなマットレスは、長い時間過ごした懐かしい固い寝床とは違って、ほろりと零れた息に笑ってしまう。
嗚呼、また、泣いてしまいそうだ。なんて。


ニューイヤーパーティーを楽しむ仲間に声を掛け、ひとりで過ごす年越しの夜。片手に酒瓶と、洒落たグラスをふたつ持てば、外の空気を吸おうと甲板に足を運ぶ。煌めく星屑の下、吐く息は白くて古い火傷跡がぴりりと痛む。
「もうすぐ、だな。」
デッキの手摺りにグラスを器用に乗せれば、ぽんと開けたそこからパチパチと泡立つシャンパンを注ぐ。軽やかな果実の香りに、
「サボの髪の色だろ。」
なんて明るい声と苦いレモンの匂いを重ねて。
あの青々と茂った秘密の場所を思い出す。

古めかしい木箱に集めた金や宝石はふたりにとっては夢の欠片でしかなくて。本来の価値を知ることなく、見えない未来を見ているつもりで、その煌めきを瞳に映した。
破れ汚れた衣服に、泥の付いた肌。傷の絶えない手足なんて気にも止めず、走り回った日々。手にした宝石とは対照的に薄汚れているはずなのに、瞬いたふたりの表情は金銀財宝なんかより眩しくて、愛おしくて。
「ほら、見ろ。大漁だ!」
にっと笑った白い歯に、ぱさりと揺れる波打つ黒髪が胸を打って。麻袋から溢れたコインは潮の匂いを纏って、木箱に溢れんばかりに注がれる。
そんな横顔に見もしない大人の表情が浮かんで、デッキの木箱に腰掛け太陽を背に笑う橙の帽子を被った誰かを見て。
「サボ?」
きょとんとした丸い瞳にはっとして、苦労して運んだ大きな樽を前に出す。
「おれの勝ちだな。」
鉄パイプでごんと突き破った脆いそこから溢れた宝石は飴玉のようで、それでいて愚かな大人達を惑わせるには充分過ぎる光を放っていて。
「違法な輸送船を見つけて、手当たり次第積めてきた!樽に詰めたら酒を運んでるんだって騙せるだろ。」
完全に負けだとわかっているのに、わざと不機嫌そうに尖らせた唇に、
「でも、換金してみなきゃ価値があるかなんて、わかんねェだろ?」
子供っぽい口調が可笑しくて、けたけたと笑ってみれば、
「ほんとに負けず嫌いだな。」
それだけで幸せで。楽しくて。

じゃらじゃらと落ちる光の粒に紛れた、ひとつの異物。
「ん?」
拾い上げたその手に握られたのは、鮮やかな黄色の果実。
「港の空き樽使ったから混ざってたんだな。」
ふたりで覗いたそれはつやりとして、にやりと笑った唇につられるように鼻から吐息を溢した。
「一仕事終えた後のデザートだ。」
ナイフで切り分けたそれは、まるでオレンジに似ていて。匂いはそれより軽やかな上品なもので。
まるで大人を真似るように、半分こしたデザートでこてんと乾杯して。目配せして笑い合えば、煌めく果実を同時に口に含んだ。

「…なんだ、これ!」
口に広がるきゅうっとした酸味に目を見開き咳き込めば、同じように驚いたエースの表情がなんだか愛らしく思えて。ちらりと合った視線に、瞬時固まって、同時に笑った。
「これ、すげェすっぱい!」
「しかも、皮は苦いしな!」
けたけた笑う声は、まるでふたりきりの世界に響いて空気に溶けて、誰にも届かず消える。それすら虚しいと感じないのだ、エースと居る時間の中では。
「これさ、綺麗だし美味いと思ったんだけどな。」
木漏れ日に晒した歯形のついた果実を眺める瞳は誰も知らない秘宝。きっと誰も手にできない、おれだけのもの。
「だって、これ、サボの髪の色だろ。」


ドン、と響いた大きな音に後を追うようにパチパチと鳴る小さな破裂音。
離れたばかりの島から上がる新年を祝う花火の音に、はっと顔を上げれば煌めく光が滲んで見えて。
鼻を掠める炎の香りに見たことのない笑顔を想って。海賊として駆け回る火拳のエースの横顔が胸を熱くする。同じ世界の中で生きて、同じ海の上に存在していたはずなのに。なのに、それすら知らなくて。おれは、おれは。
ぽろりと落ちた涙は、花火を映してあのときの宝石のようで。ぼろぼろと零れては頬を濡らす滴に俯けば、ぐっと帽子を押されたように思えて。ぶっきらぼうに頭を撫でられたように感じて。
弾ける光に瞬く星屑は、木箱に詰め込んだコインよりきっともっと価値があって。この未来こそ、おれたちの夢だったんだ、なんて。今更、気が付いたって遅いのに。隣に居るはずの温かな身体を想って、時折、脳裏を掠めたあの苦い匂いを憎く思って。止まない心の雨に、唇を噛んだ。
日々の掠り傷が、狂った社会の中、生きる苦しみが。誰にも認められないあの痛みも、全て全て。エースとの思い出で、愛おしい宝物で。あの日が自分を形作るものなのだと叫んだところで、煌めく光に手は届かない。
「なァ、サボ。」
そう太陽を背に笑うその姿こそ、きっと光で。エースがいない世界など、真っ暗で。
「…エース。」
掠れた声で名前を呼んで、ぎゅうっと手を握り締めれば。

「サボ。」

耳元で聞こえた懐かしい、それで居て低く温かい、聞いたことのない甘い声。これはきっと、いや、間違いなく。
「エースっ!」
ばっと上げた瞳の先には、呼び掛けた声を掻き消してしまう程の大きな破裂音に、真っ直ぐに上がった鮮やかな黄色い大輪の花。
きらきらと降り注ぐその粒に、あの日の金色のコインが、眩しいほどの笑顔が見えた気がして。
グラスからふわりと懐かしい匂いが漏れた。

ほろりと解けた心に涙を拭えば小さく笑って、細い硝子の足に手を伸ばす。
見たことも触れたこともない。紙面でしか会ったことのない、大人になった愛しい人。その輪郭を想い浮かべて、すうっと息を吸えば。


あの檸檬の香りを思い出して。

「誕生日おめでとう、エース。」
そっと大人を真似るように、グラスを重ねた。








2019.01.01
檸檬が甘酸っぱいなんて誰が言ったの?


檸檬の花言葉:心から誰かを恋しく想う


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