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夢の狭間の夢



そっと触れた頬は氷のように冷たくて、何も告げやしない唇を憎く思いながらも、キスをした。


ほろ酔い上機嫌で眺める夜の街は遠に静まり返っていて、鮮やかに色付いていたネオンすら点滅して消えた。
酒の力を借りて上がった体温でも、真冬の空気はきんとして痛いほどで。それでも、細い路地から見上げた星屑は瞬き降って、美しくて。
朝日を目指し準備を始めた漁船の先、貨物列車だろうかダイヤから外れた時間に走る車両に視線をやる。暗闇の中、汽笛もなく走る列車は月夜を映した海の中、まるで空を駆けているようで。
「夢の中みたいだ。」
そう漏れた言葉に笑えば、自宅に向かって足を伸ばした。

玄関の鍵を指にかけ、くるりと回しながら階段を上がれば、自室の扉前に蹲った大きな影が見えて。
「…ルッチ!」
床に跳ねた金属音を残して駆け寄った相手は、真っ赤に染まった衣服を纏った愛しい人で。見慣れない黒一色のスーツに、上質なシルクハット。白のネクタイに高価なネクタイピンがきらりと光って。その全てにべったりと着いた血液は、未だ乾かず安っぽいオレンジの電灯に反射してテラテラと輝いた。
怪我でもしたのかと心配げに冷えた頬に触れれば、ゆっくりと開いた瞳がギラついて静かにそっと細まった。
ぐいっと引かれた胸倉に唇が重なれば、氷のような肌とは対照的に生温かい口内に驚く以上に、心惹かれて。声を出す代わりか、雄弁な舌先を絡めて犬歯に触れれば、背中に回された手のひらがゆっくりと腰へと降ろされるのがわかって。恋人が纏った赤が、他人の物だと気が付いた。
熱を求めるように密着した腹に、自らのシャツにじわりと移る血液。そっと肩を押し離せば、
「せめて、シャワーくらい浴びさせろ。」
なんて、文句を言いたげな目元を親指で拭った。

廊下に落ちた鍵を拾う時間すら待てないというように、不機嫌に眉を顰める恋人に苦笑すれば、この異様な状況に身を任せている自分に溜息をついた。
ガチャリと空いた扉に、
「怒らないから入れよ。」
恋人の手首を掴んで、寝室ではなくバスルームに招き入れれば、シャワーを手に取り蛇口を捻る。
「偉くいい服きて、喧嘩か?」
どうせ、何も返しはしない相手に尋ねながら、手のひらに当てた水がだんだんと温かくなるのを確認して。
「おれには何も教えてくれないのに、お前はおれに会いにくるんだな。」
そう、皮肉っぽく呟いてシルクハットを狙ってシャワーを掛けた。
湯の勢いとさらりとした髪につられて落ちた帽子に、かっちりと着こなしていたスーツがぐしょりと重くなる。くるくると渦を巻いて落ちた赤いそれは排水口に吸い込まれて、まるで踊っているようで。
無性に締め付けられる心に、ジャケットを脱ぎ捨てれば、頭から湯を浴びてゴーグルを落とし髪を掻き上げた。
「泣いてなんて、やらないからな。」
さっきのお返しとばかりに相手のネクタイを強く掴んで唇を合わせれば、傾けられた体重に手から奪われたシャワーヘッドが壁のホルダーに掛けられて、背中がタイルに押し付けられる。
角度を変えてザラつく舌を受ければ、足の間に差し込まれた膝から逃げようと退いた腰を引き寄せられて。踵の浮いた体勢に相手の胸に手をやるも強く掴まれた手首を壁へと繋がれて、口付けが更に深くなる。
ぐいぐいと寄せられる身体に、タイルと恋人の狭間、ぴたりと密閉された空間の中、ずるずると抵抗虚しく地面から離れた爪先に、唾液がぽたりと落ちた。


窓から溢れた冷たい夜風に毛布を纏い怠い身体を起こせば、未だ瞬いた星屑の中、ふわりと煙草を吹かす恋人の影。
先程の性急な様が想像できないほどに、落ち着いた甘い空気が部屋に満ちて。そっと頬を撫でる手のひらは温かで。

お前がわからない、なんて泣いてはやらない。
そう視線で告げてみたって、きっと月のように優しく細まった瞳には伝わっていなくて。

「ひとくち。」
一言呟けば、紫煙を含んだ唇がそっと触れて。
甘い重さの残る腰を浮かせた。




煌めく星屑も、濃紺の夜空も、夢のように美しいのに。ぎらりと光る瞳に、闇のように暗く深い恋人は、あまりに現実的で。そんな相手の瞳に映るのが、今は自分だけなのだと理解して、何故だかほっとして、泣きそうで。


「夢の中、みたいだ。」


真っ赤に滴る雫を忘れ、湯気に紛れて高く喘いだ。









2018.01.29
夢であるなら、よいものを。





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