Not ZL



ブラックチェイサー



少し遅いバカンスにと、誘われて訪れたカジノの街。
柄も治安もいいとは言えないが、いつも騒がしい仕事場を思えばこうした空気は嫌いではなくて。隣を歩く恋人がこの街を選んだ理由が何となくわかる気がして。
ルッチに渡されたスーツに腕を通せば、同じように着替える見慣れない相手のシャツ姿にドキリとする。煌びやかな建物に入れば、揺れる黒髪にスロットの光を反射する瞳が綺麗で、ぼんやりとしてしまう。こんな格好まで似合うなんて知らなかったと、少し悔しく思う反面、こうして新たな発見があるならば、渋々ながらも仕事を休んだ価値があるというもので。
昼時、ランチの為に外の噴水前で落ち合う約束をしてゲートの傍で分かれれば、ここからは楽しいギャンブルタイム。ルーレットに、ポーカー、バカラ。勝っては負けてを繰り返すも、目の前を行き来するチップに惹かれて。何より先の見えない高揚感に興奮が、堪らなく心を満たす。


吹き上がっては舞い散る滴を見れば、この動力は自分が失った札束なのだと思われて、肩がずんと重くなる。つい数十分前まで、山のように積まれたチップが気付けば片手に収まるほどに減っていて。結局、換金してみれば数枚の紙幣が返ってきただけ。
くしゃりと丸めたそれをポケットに押し込めば、待ち合わせに現れない恋人にランチ代を出させてやろうなんて八つ当たり混じりに考えていれば、大きな音を立てて目の前に停まった暗い赤が特徴的なフェラーリ。ワイン色の扉が開けば、ぐっと引かれた腕に強引にも助手席に押し込まれて、ドアが閉まると同時にアクセルが踏み込まれる。
「おい!何しやがる!」
文句を言おうと運転席を見れば、シルクハットの代わりにサングラスを掛けた、凛とした恋人の横顔があって。
「・・・ルッチ?」
きょとんとしたのも束の間、背後から追いかけてくる無数の車に時折聞こえる銃声。はっと後部座席を見れば、大量のアタッシュケースが積まれていて。どういうことだと尋ねようにも、勢いよくハンドルをきり激しく揺れる車内ではそれも叶わず。とんとんと示す指に従うように、シートベルトを締める。
詳しく話を聞こうにも、無口な男の代弁鳩の姿はなくて。独り言みたく言葉を漏らす。
「お前は器用だし欲もねェから、ギャンブルは強いだろ。で、ボロ勝ちしたのはいいが騒がしい音とネオンに堪えかねて大金を手に外をふらついてたら、柄の悪いチンピラ連中に絡まれた。ってとこか?」
窓枠に肘を乗せ頬杖をつけば、風に揺れる髪を煩わしげに、確認するように呟く。
「お前のことだし、相手の方が悪いんだろ?」
うんともすんとも言わない恋人に溜息を吐けば、数台の車をするすると追い越し、際々の細い路地へとつっこんでゴミ箱を倒しながらも先を急ぐ揺れに身体を任せる。
花屋の看板が見える角を曲がった瞬間ハンドルを勢いよく左に切れば、間髪入れずに壁に寄せてバックギアを入れる。ぎゅんと下がった車体に、身体は取り残される感覚で、ベルトに引かれてシートに抱かれる。
後方ボディにがたんと当たった鉢植えの乗ったワゴンが勢いよく倒れれば、それに絡まるように追いかけてきた黒塗りの自動車が急ブレーキを踏む。馴れた手付きで入れ替えられたギアに、踏み込まれたアクセルの音に紛れて聞こえた鈍い衝撃音に埃っぽい煙の匂いから、数台の凹んだボディを連想するのは容易くて。

煌びやかだった中心街に比べ色褪せた洗濯物がつられた窓辺の並びを見るに住宅街に入り込んでしまったらしい、船大工ふたりを乗せるには豪華すぎるワイン色の箱。隣に座る恋人は見慣れないスーツ姿な上に、目元を隠したサングラスが、さらに現実味を薄ませて。まるで、自分の知らない相手を合間見て居るようで。
「ルッチ、」
小さな声で名前を零せば、薄く開いた窓から入った風にふわりとした黒髪が舞って、瞳の中に自分が見えて。甘い溜息に、足下から取り出された革製の巾着袋を手渡される。片手でハンドルを握り、時折、視界に入る車の影を気にしながらも、心配するなとでも言っているようで。相手の無言の優しさに、苦笑が漏れた。
肩を寄せ合った建物の間、細く覗いた青空すら夢のようで、巾着から覗いたテディベアに、まるで映画の中に入り込んでしまったようだとぼんやり考えれば、ベアを膝に乗せたと同時に響く銃声にエンジン音が重なった。

走る度にころころ変わる風景に、飽きずに追いかけてくる数多い敵。数台の黒塗り車を駄目にさせてしまった今、彼方も引き下がるわけにはいかないのだろう。
ネオンの煩い通りに出れば、恋人の瞳が瞬いて眉間の皺が深くなる。安っぽいライトに、時折、目に痛く光を放つ電飾。市民向けらしい賭事屋の騒音に、何か事件でもあったのだろうか、人だかりができた一角に視線が行く。治安がいいとは言えない町中、小さなトラブルから発展した事件が起こるなんて日常茶飯事だろうに。横をすり抜ける瞬間、パチパチと漏れたカメラのフラッシュの一つがガラス越しに大きく放たれて。ダイレクトに当たった強い光に、車がぐらりと軸を失う。
「危ない!」
がしりと掴んだハンドルに、恋人を見やれば異様なほどに細まった瞳孔にぎょっとすれば、サングラスの意味がやっと分かって。
「…代われ。」
静かに呟き、葉巻に火をつける。
ハンドルを支えながら、どうにか隠れて停められた木陰で運転席を奪えば、自身が抱いていたテディベアを相手の顔に押しつけて。
「逃げるのは、おれの得意分野だ。」
なんて独言て、異様な胸の高鳴りにそっと静かにキーを回した。

木材に囲まれた職場で、相手の苦手に勘付けというのも酷な話ではあるわけだが、これほどまでに強い光に弱いと気付けなっかった自分が悔しくて。エンジンをかけて、勢いよく道路に飛び出す。ルッチのドライブテクニックで伸した車は十数台。残りの四台さえどうにかすれば此方の勝ちということになるわけで。
がちゃがちゃと煩いギアの音は、先程の恋人の流れるように優雅な運転とはまるで違っていて。それでいて、賭け事のように高まる期待感とスリルに早まった鼓動は止まらなくて、何故だか口元がにやける。こちらを認知したらしい敵をつれてロータリーに入れば、ぐるぐると何周も円を描く黒の車に、その先を走るふたりの車の赤は、チップを賭けたルーレットを思わせて。ハンドルを握る手に力が入る。
タイヤをすり減らしながらハンドルを切れば、脇の花壇の段差を使って細道へと飛び移る。メーターも気にせずに速度を上げれば、助手席の恋人が抱くベアが目に入って、ゆったりと目を閉じ座るその姿が場違いにも愛おしくて。薄い瞼をそのままに、ひょいひょいと急かすように揺れる指先につられるように交差点に入る。
ちかちか入れ変わりの激しいたくさんの信号機に目を凝らせば、スロットを思い浮かべてアクセルを緩める。追い上げてくる敵をぎりぎりまで引き寄せて、目の前の黄色信号が赤へと変わる瞬間に脚をがんと踏み込んだ。
大きなトラックにぶつかるクラッシュ音を無視して、そのままの勢いで突き当たりを曲がれば、目の前には大きなカジノ看板のみの行き止まり。しまったと思った瞬間、背後に見えた二台に逃げ道を奪われて。嗚呼、今日のおれは運がないんだった、なんて今更嘆いたって遅いのに。ブレーキを踏むことさえ忘れ、諦めを吐息で示せば、膝に押しつけられたテディベアに、鼻を擦るいつもの恋人の落ち着いた香り。
さらりと伸びた長い指先がハンドルをぐいっと横に切り、勢いよくハンドブレーキを引く。耳障りの悪い荒い停止音に、強引にもぐるりと回って停止した車体の横には、激しい音を立てて看板につっこんだ二台の黒い鉄屑。
未だ抜けない絶望感と、高揚感。何とも言えないおかしな心地に、ゆっくりと恋人を見つめれば、いつの間に外したのか、サングラスのない瞳に吸い込まれそうで。


荒くなった息に噛みつくように唇が合わされば、
赤い箱がぎしりと揺れた。








2017.09.11
景品はぬいぐるみの腹の中、埋め込まれたブラックサファイア。





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