Not ZL



明けない空と仮面



鮮やかな音楽に、頬を色付ける強いアルコール。
ふわりと舞う柔らかなマントに、何かを潜める冷たい仮面。


海列車の汽笛に背を押されるように降り立ったのは、カーニバルの町、サン・ファルド。
例年の如く賑わう仮装祭りの時期、この島に訪れるのは初めてで、浮かれた空気に何故か後込みしてしまう。昨年まで、来賓として出席していたアイスバーグさんの隣には優秀な秘書が居た訳だが、急な一斉帰省のために今年は自ら同行を志願して。
カーニバルのような浮かれた空気には不釣り合いだと理解しながら、ましてや、仲間に裏切られた今となっては、あまりに明るい街の活気が空元気のように感じられて、胸のあたりがじくりと疼く。仮面に溢れた人混みは、あの燃える屋敷の中、他人のように自分を冷めた瞳で射る牛の被り物を思い出させて。

「パウリー。」
何度目かの声にはっとすれば、心配げに向けられた社長の瞳に小さく謝る。
この人だって同じだ。いや、それ以上に傷付いたに違いないのに。こうして周りを気にかける様に泣きたくなって、拳を握る。嗚呼、なんて偉大な人だろう、と。多くを失った気でいた自分には、まだ、こんなに大きな存在が傍にあるのだと言い聞かせれば、パーティー用にと用意されていた黒のベロアマントを羽織って、目元のみを覆う仮面を顔に当てる。


黄金の卵を思わせるダンスホールに響く「こうもり」の序曲に、闇のようなマントを揺らす身を隠した客人達。指定されたままに、オールブラックで着飾った人混みの中、目映いジュエリーやシャンパングラスが星のように瞬く。
場に呑まれないようにと気を張りながら口を付けたグラスの数は、とうに思い出せなくて。揺れる視界の中、知人を見つけたらしい社長から邪魔にならぬよう静かに距離をとれば、パニエに広げられただろう操縦不能のドレスに押され、ウエルカムドリンクを運ぶボーイを避け身体を捻れば、人の流れに追いやられ、気付けばダンスフロアから離れた誰も目に留めないベランダの傍。
騒がしい弦楽器の音に蓋をするように夜風に揺れるカーテンを引けば、外の空気をゆっくり感じ、やっとのことで息を吐いて葉巻に火をつける。宝石と金で溢れた室内とは違い、厚い雲に覆われた夜空はどんよりと暗く、吐いた紫煙と溶けて境を失う。

何を生き急いでいるんだ、と自身に問えば、答えが出るはずもなくて。
仮面をつけた人々で溢れるこの時期に思い出すのは、愛おしいと想っていた仕事仲間であり恋人の裏切り。黒い髪に、鋭い視線、あのなんとも言えない低く甘い声。仮装した人を見る度、どきりとするのが不快で。無理をしてでも忘れてしまいたくて。強引にもついてきた仮装パーティーでは、悪酔いに人酔い。この中に、もしかしたら、なんて変な期待をして。それでいて、もう永遠に過去の記憶を消し去りたくて。
視界を狭める仮面を外そうと、こめかみに手をやれば、そっと音もなくその手首が掴まれて。
「姿を明かせば、夜が明ける。」
まるでオペレッタの台詞のような低く甘い声が耳を満たした。

鳥の立つ音に、白い羽がひらりと落ちればそこに、会ってはいけない相手が居て。心臓の音が速まって、室内の音がやけに煩く感じられて。
黒い波打つ髪に、整った鼻筋。真っ白な仮面越しでさえわかる宝石のような瞳。手首を掴んで居たはずの指先に頬をつうっと撫でられれば、乾いた喉に震える唇が言うことをきかなくて。そっと抱き寄せられた腰に、ふわりと熱く唇が重なった。

名を呼ぶことも、怒りをぶつけることもできなくて。
愛しい人の仮面に触れる。
「姿を明かさないなら、夜は明けないんだよな?」
なんて、あまりに馬鹿げた言葉が零れて。それでいて、そうすることしかできなくて。
震える声も、溢れた涙も、御見通しなのだと理解していても、今夜だけは許されていると過信できて。
「踊りませんか。夜が明けるまで。」
室内から聞こえた拍手の音に、やけに丁寧な口調が脳を酔わせて逃げ道を作る。
他人の空似、きっとそうだ。なんて、ありもしないとわかっているのに。

踊ったこともないくせに、組んだ腕を外せなくて。新たに演奏されるワルツのリズムに、引かれるままに身体を預ける。
引き寄せられて、離されて。時折、密着する身体にいつかの熱い夜がちらつけば、唇が切なくなって。それを見透かすように微笑んだ口元から覗いた白い牙と獣臭い吐息に、背筋がぞわりと震えたって、この危ない幸福感には適いっこなくて。
曲とは無関係に勢いよく回された身体に、合わせるように舞ったマントの裏地は明るい空色。
「次回は明けない朝に。」
そう告げた言葉への問いを堰き止めるように口付けられて、頬を包んだ指先に仮面を支えていたリボンを解かれて。
「待って、」
声を漏らした瞬間にからんと落ちた秘密に、するりと舞った明けた夜。

肩から降って大理石の床に広がった、真っ青なベロアに立つのは一人きりの影。
煩いホールの生演奏に、酔いの回った思考。

目映い金色の星空とは対照的に、暗闇の中、寂しく広がる青空。
柔らかな裏地に落ちる滴に、残されたのは、


口付けするかのように重なった、白く冷たいふたつの仮面。









2017.09.09
夜のない島で、君を待つ。




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