Not ZL



真昼と真夜中


騒がしい声に、目に眩しいほどの水色が華やかで。
なのに虚しいと感じるなんて、おれはなんと愚かだろうか。


「今日はそこまででいいぞ。」
と声をかける社長の言葉に作業の手を止めれば、渡されたのは何やら大きな箱が入った紙袋。
「これから取引先と食事に行くんだが、副社長も同席してくれと煩くてな。スーツは用意したから、着てきてくれ。」
神妙な面持ちの憧れの人に逆らう気なんてさらさらなくて、告げられた時間に間に合うようにシャワーを浴びて、水色のスーツに腕を通す。真っ赤でいて落ち着いた雰囲気のシャツの襟を整え鏡を覗けば、送り主のセンスの良さがよくわかって。鏡に映る自分に息を漏らして、冷たい面に指先で触れる。
あの日から着ることのなかった鮮やかな空色に、揺れる黒髪を思い出して。鏡越しに撫でた頬に、鋭くギラつく視線が脳裏に浮かぶ。遊び心か左胸にあしらわれた剣の刺さったハートのアップリケに無数のボタンはきらりと光って、なぜだか自分を嘲笑っているようで、塞いだはずの傷が痛む。

約束の場所に着けば、アイスバーグさんの柔らかな笑みにほっとして、
「似合うな。」
そう、告げられた言葉に肩が震える。
すでに暗くなった空に、飲食店の建ち並ぶ通りは明るくて、星も月もよく見えない。
大切な仲間の裏切りに、恋人との突然の別れ。それを知るこの人と、こうして仕事をできるのが誇らしくて、全てを忘れてしまえるだろうと期待して。なのに、この夜のように、真っ暗な心が晴れることはなくて。
何かが沁みる瞳を隠そうと、
「客人を待たすのは悪い。行きましょう。」
なんて店の扉に手をかけ脚を進めれば、

ぱんっと明るい破裂音に煩い見知った声と笑顔。
「パウリーさん!お誕生日、おめでとうございます!!」

風船とテープで飾られた店内に、大げさなほど大きな字で書かれた自身の名。正面のテーブルにはルルとタイルストンが笑っていて。
背後から聞こえたくすくすという笑い声にはっと振り返れば、
「ンマー、サプライズパーティーだな。お前の誕生日の。」
なんて楽しげな表情が覗いて。
「そのスーツは、みんなからの誕生祝いだ。」
と、とんと肩に手を置かれて。
「今夜くらい心から楽しめばいい。仕事も、何も忘れてな。」
優しく低い声に囁かれれば、全てお見通しなのだと鼻から吐息を零して、用意されたシャンパンを手に取った。
グラスに映った大切な仲間と憧れの人を心に刻めば、無理矢理に浮かんだ過去の思い出を塞ぎ込んで。にっと笑って、弾ける世界を高く掲げた。嗚呼、おれはこんなにも幸せだ、と。


ふわりとした心地で帰った自宅に、電気もつけず沈み込んだベッド。
仕事漬けで久々に楽しんだアルコールは、身体には強すぎたようで、くらり世界が回る。枕に押しつけていたはずの視線に天井が映って、重くシーツに預けていた身体がそっと浮いて。ゆっくりと窓辺に座らされれば、真っ暗な空からチラチラと星が瞬いていて、まるで先程の時間が嘘だったのではと不安になる。
「ひとりで帰れる。」
と断ったはずの見送りに、ふと居るはずのない目の前の存在が輪郭を帯びて。さらりと揺れた黒い髪が月明かりに反射して、天の川のように煌めいた。優しく差し出された水の入ったグラスに宝石のような瞳が光って。ゆっくりと外されるシャツのボタンに思考がだんだんと澄んでくれば、確かに存在する影に視界が潤む。
見慣れたシルクハットに、綺麗に着込まれた黒いスーツ。凛とした表情に、通った鼻筋。その姿は紛れもなく。
ことりと脇に置いたグラスに、
「もう、いいのか?」
と響いた声が、あまりにも自然で腹立たしくて。わなわなと沸き上がった感情のまま、思いのままに死んだはずの恋人の頬に拳を奮う。想像以上に綺麗に入った拳に、予想外だとでも言いたげに固まった目の前の亡霊が、酔いの醒めた脳でさえ拒絶して。
「なんで、お前がいるんだよ!ルッチ!!」
呼んではいけない名だとわかっているはずなのに、自分の声帯すら制御できなくて。
「おれは、お前のことを忘れたいんだ!!なのに、お前は、生きてて、こうして、おれを惑わせて、」
ぼろぼろと落ちる涙は、強い怒りからきた興奮のせいだと自身に言い訳して。それでいて、次を殴るはずの手は、相手の胸元を掴んで離せなくて。
「死んだ、はず、だろ。あの時、あいつらと戦って。なのに、お前、は」
ゴーグルを相手の肩に当てて顔を隠せば、ようやく息を吐いたルッチの指先が、真新しいスーツを撫でて。
「お前は、何を着てもよく似合うな。」
なんて、思ってもない言葉を贈られて。
「懐かしい色のジャケットに、シャツは綺麗な血の色か。」
するりと撫でられた腿に、遠い過去、甘い時間を思い出せば下半身に熱が溜まって、熱い息が漏れる。
「少し痩せたな。ああ、そういえば、今は副社長だったな。忙しいだろう、仲間に囲まれて。」
鼻先を満たす愛おしい香りに、何故か恋しい低く切ない声に、もう逆らうことなんかできなくて。気づけば、腕が広い背中に回る。
さらりと撫でられた左胸のエンブロイダリーに、ねっとりと這う熱い舌があまりに対照的で。混乱する脳に追い打ちをかける。
「このシンボルは、こちらを撃ち抜いて欲しかったという願望か?」
そう囁きながら、今ない右胸の傷跡をシャツの隙から差し込んだ手の平に撫でられて。
「おれが貫いたのは、こちらだったな。」
と愛おしげに囁かれれば、何もかもがどうでも良くなって。
「もう、撃ち抜いてくれ。一思いに、」
涙で霞んだ世界では、愛おしいはずの人の姿は見えなくて。止めることのできない言葉は、今のこの幸福をこのままの形でとらえておくことを強く望んでいて。
なのに、全てが終わってから恋人のことを重う度、頭を過ぎったその言葉を、噛みつくように触れた唇は許してはくれなくて。

深く貪るような口付けに、涙ながらの望みは堰き止められて。窓に押しつけられるように寄せられた身体に、逃げる気なんてさらさらなくて。乱暴なほどに剥ぎ取られた衣服に、泡にでも触れるように甘く優しい手つき。そのひとつひとつが愛おしくて、涙が止まらない。

「生まれたことに感謝しろ。」
そう告げられた瞬間に、かちりと時計の針が真上に重なって。なんと狡い言葉だろうと笑ってしまう。
こんなの死さえ望めない。



夢のような時間に、箱の中に丁寧に畳み仕舞い込まれた鮮やかなジャケット。
清潔なベッドの中、一人きりで目覚めれば、ベッドサイドにはさらさらと定型文通りに書かれた誕生日を祝うメッセージカード。ゆっくりと起こした身体に、風に舞うカーテンが目について。
窓から射す朝日に照らされたハンガーには、まるで、これを着ろとでも言いたげな真っ黒なスーツ。


顔を洗って、髪を整えて。さらりと腕を通したそれは、華やかな空色ではなくて。
愛しい人が最期に見せた、あの闇のような、深い深い黒いジャケット。









2017.07.08
真昼のような明るい笑顔で、いつかくる真夜中を今か今かとその身に纏う。




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