Not ZL



正直者の金魚姫


落ちる夕日が朱すぎて、愛しい背中が頭を過ぎる。


仕事終わりに立ち寄ったのは、本社があったはずの瓦礫の山。仮設建物の脇を抜けて、高く積み上げられたままの外壁だっただろう山に腰掛ければ、焦げ臭い匂いに真っ赤な夕日があの夜を思い出させて。愛しいはずの大きな背中が心を締め付ける。
大切な記憶と共に仕舞い込んだ水色のジャケット。明るいその色が金の髪に似合うと、甘い笑みを浮かべ撫でてきた、あの手の平はもうなくて。蛙の鳴き声に裏町から聞こえる屋台の笛の音すら、惨めな自分を笑っているようで。
がさり、と鳴った木々の揺れる音に、鳩の羽ばたく音が冷たい空気に響いて、
「・・・ルッチ!」
はっと振り返ったそこには誰もいなくて、ぎゅうと胸元を握りしめて身体を丸める。

汗の滴る顎に、さらりとかかる柔らかな黒髪。まっすぐに船を見つめる視線が恋しくて。記憶に縋るように最後に会ったこの場から動けない自分を恨めしく思いながらも、心の奥底どこかで恋人が迎えにくると信じて疑わなくて。遠い裏町から聞こえる酔っぱらいの品のない笑い声に、きゃあきゃあと騒がしい女の群れる声。その全てが邪魔に思えて、頭の中がぐにゃりと歪む。

「愛している。」
と動いた唇に声はなくて、それでも嬉しいとシーツに沈んだ甘い時間は全て虚像。
カーテン越しに覗いた月明かりに、隠れるように微笑んだあの優しい口元に、熱い体温。そっと伸びた指先すら恋しくて、シーツを纏い絡めた脚先。その記憶は甘く温かなもののはずなのに。脳裏にチカチカ瞬く苦い過去は、おぞましい大きな影に吐き捨てるように冷たい視線。血に汚れた鋭い爪は、あの柔らかな日々を引き裂いて。
恋人、友達、裏切り者。そのどれをあてがうのも違う気がして、深く肺から溢れた息に嗚咽が混じる。

忘れようと煽った酒が見せるのは、あの愛おしい時間。
決して見せてはくれない背中に腕を回せば、指先に確かに感じる大きな傷跡。質問しようと開いた唇をキスで塞がれ、深まる熱に踊るように跳ねる腰に思考が蕩けて。吐息と共に零れるのは高く熱い鳴き声だけ。
肉のぶつかる音に、仕事中の手の平の熱が重なって、
「おつかれさん!」
そう笑顔を向けた先で、片手を低い位置に構えるぶっきらぼうな表情を思い出して。
「ルッ、チ。」
小さな声で囁いた瞬間に、カーテン越しに視界を満たす大きな夕日が脳を揺らして。どす黒い記憶が心を埋めれば、
「悲しいが、友よ・・・」
そう囁く声が耳を征する。抑揚なく真意の見えない言葉に、恋人としての自分はまだ相手の中にいるのでは、なんて希望を抱く自分があまりに愚かで、惨めで泣きたくなって。
潜入中の諜報部員に船を造らせていたなんて、まるでぼったくりだな、なんてやけに冷静な思考で考えれば、あの真っ赤な炎の中、縄を片手に自分を縛る最後の姿が潤んで見えた。

日々、重ね鳴らした手の平は仕事中の唯一の接触で、あの軽やかな響きが懐かしくて。
パンと青空に弾ける手拍子に、またベッドで金魚のように跳ねる身体が重なって。下腹部に感じたあの熱と、吐いた吐息は優しいもののはずなのに、なぜだか生々しくて獣臭い。

ころころ変わる走馬燈に、ぼろぼろと溢れる涙は夜風に冷えて。
暗くなった空に浮かぶ月は大きくて、ふたりで上げた花火を思い出す。
仕事を休んで帰ってきた手にはぼろぼろのブリキのバケツ。火薬の匂いに大きな火傷を負った手が気になるも、理由を話すことなく始められたふたりぼっちの花火大会。何かあったのは明らかなのに、それを隠して逸らす視線。その仕草も不器用な相手の愛おしいところだなんて思いこんで。翌日、仕事仲間に話す火傷の口実を一緒に作る。
夜空に咲いた花に、見開いた瞳には星が舞っていて。強引に引き寄せられた腰に、唇が合わさって。熱い親指にそっと撫でられた睫毛は、ルッチのお気に入り。そう、ずっと思いこんでいた。

「ふたりで一緒に夢の船を造ろう!」
なんて、酒場で大声で笑ったあの頃が懐かしい。
いつか海列車を作って、ふたり一緒に線路の上に立ちたいなんて、馬鹿みたいな夢を語って。
煌めく水面に映る対の影を思い浮かべた、あの頃が。





真っ赤に染まった夕日のように、白いはずのスーツは血に汚れて。
外れた襖に、月に反射する刀がぎらついた視線を映す。ぐちゃぐちゃに潰れた料理に割れた皿の破片を踏み進めば、畳の縁の上に無遠慮に立つ。動かぬ数人の死体に、何を放り込んだかも覚えていない庭の池。鹿威しの音が、時折、耳煩く鳴り響けば、金色の満月が瞳を満たす。

海風に揺れる髪に、葉巻の香り。あの鮮やかな水色が脳裏に浮かべば、最後のひとときを思い出して口元が緩む。
縄技を得意とする相手の身体を縛り上げて、動けもしない身体に唇を寄せる。首筋をそっと舐め上げて、誰にも聞こえないように、低く甘く、ゆっくりと。真っ青な瞳が揺れるのをじっとりと眺めた。




「おれはお前の“恋人”だ。」




最後の一言をひとり呟いて、仮面を被れば小さく笑う。
また、あの愛おしい睫毛に触れるのを夢見て。




嗚呼、嗚呼、愛しの人。
私は嘘を申せません。









2017.05.20
あまりに純なその瞳は甘い甘いお姫様。



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