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君の背中



キンキンと煩い刃音に鼻をつく火薬臭。
煩い怒号と殺気に満ちたそこに立つ、その背中は獣。


のんびりとした午後のはずが、気付けば空は荒れ模様。優柔不断な偉大なる航路は海行く旅人を弄んでいるようで。
「帆、畳んで!このままじゃ破れちゃう!」
高く響いた航海士の声に慣れた手付きで船医と船大工が動く。
強風に揺れるメインマスト越しに空を見上げれば、先程まで輝いていたはずの太陽は知らぬ間に厚い雲の中、姿を隠し世界を暗闇に包んでいて。灰色のそこからパタパタと落ちてきた大粒の雫が次第に激しくなれば、視界が曇るような大雨に変わる。
波を見る航海士の指示を聞き、縄を取りに向かおうと足を動かしかけた瞬間、
「おいおい!ちょっと待て!」
揺らめく視界の先、どっしりと構えた敵船が見えて、ドンと大きな音と共に船の側に大砲の弾が沈む。
「敵襲だァー!!」
慌てたように走り回る船医に、やれやれと紫煙を吹かすコック。さらりと腕を組む考古学者に、背筋を伸ばす音楽家。

「行くぞ!」
一際、大きく楽しげに響いた船長の声に、風の如く走り出し飛んできた鉛玉をスパンと真っ二つに斬り落とした剣士が、どぼんと派手に飛沫を上げて沈んだ大砲を背に笑う。

名の知れた賞金稼ぎらしい一団には、大柄な男ばかり。懸賞金の上がったクルーの首を狙ってこの荒れ狂う波の中、機会を伺っていたらしく、誰も彼もが甲板を飛び回る船長の姿を視線で追う。
「偉く気に入られてるみたいだな!ルフィ!」
サニーに乗り込んできた男達を華麗に足で捌きながら告げたサンジの声に、
「モテ期到来ってか!」
ふざけて告げれば、放った種子が男達の四肢を捉え巻き付いたまま怒り狂った海に導く。
「まァ、うちの船長さんは大人気ですからね。」
柔らかな調べと共に優雅に剣を振るうブルックの後ろ、むくりと膨らんだチョッパーが
「それにしても今回はあからさまだな。」
眉間に皺を寄せる。
「船長を捕らえれば、私達があちらの言うことを聞くとでも思っているのかしら?」
桃色の花弁をふわりと咲かせながら、敵の関節をメキメキと絞り呟いたロビンに、ビームを放ちつつフランキーが首を捻る。
「それよか、懸賞額は低くても手頃なクルーを人質に狙う方が効率いいだろうがな。」
さらりと揺れた橙の髪にたんとヒールを鳴らす音。
「人質になりそうなのが、うちにはいないからか、」
ゴロゴロと厚い雲が不吉な音を立て始めれば、
「そこまで考えていないのかも。」
ナミが振り下ろした天候棒を合図に敵船の甲板に雷が落ちた。

人数が多い割に手応えの無い賞金稼ぎたち。その上、目当てが船長ひとりに向いているとあれば、こちらへの負担は幾分か軽いわけで。
「で、あいつは?」
ナミの声に、楽しげに飛び回るルフィの姿を眺めれば、雨に濡れた髪から滴る雫を煌めかせ数人がかりの男の拳を軽々避けるその様が美しいとすら思えて。
「あっちの船で遊んでるみたいだな。」
ぱんと緑星を弾いて告げれば、
「船長じゃなくて、ゾロのこと。」
そんなことわかっていると言いたげな唇に、そういえばと視線を動かす。

凛とした背中に、盛り上がった筋肉。湯気立つような熱気にその空間だけ、まるで世界が切り取られてしまったようで。真っ赤に染まる足元に闇のように黒い手拭いが、物言う相手を圧していて。
離れたこの位置でさえ、唾を飲み込むのを躊躇う程の気迫。
「ゾロも、あっちだ。」
何故か震える声を必死で隠し低く呟けば、ようやく、この戦いの全貌に気がついて。
サニーに乗り込む男達は数が多いながらも小者ばかり。偉く威勢だけよい賞金稼ぎ一団かと考えていたが、それは勘違いだったようで。船長が殴り飛ばした3メートルほどの巨体や、剣士が刃を受けた能力者らしい戦闘員は、確かに遠目から見てもわかるほどの強敵で。
今更ながらと敵船に標準を合わせて、ぎゅっと小さな種子を握り締めるも、深く息を吐いてその手を下ろす。
「私達のために足止めしてるつもりはないんじゃないかしら。」
くすりと後ろで声がすれば、ロビンがさらりと数人の男を海へ落とす。
「弱い相手だけを選んで見逃しているんじゃなくて、ただ本能的に自分の相手をわかってるみたい。」
野太い悲鳴に、ついにサニーへと乗り込んでくる男達の足が止まる。

鼻に届く火薬の匂いに、未だ激しく鳴り響くキンキンと刃が打つかる音。
ひらひらと軽やかに跳ねるルフィの柔らかな表情とは対照的に、きんと研ぎ澄まされたゾロの横顔はあまりに冷たくて。背中に回った敵すら手を出す隙も無く斬り落とす。
まるで血に飢えた獣のような、それでいて、もっと神聖な得体の知れぬもののようで。
「麦わらはいい!先にこっちに手ェかせ!」
荒い男の声が響くより早く、その場にいた全員の視線はひとりの剣士に向いていて。何十人に囲まれたその姿は、あまりに堂々としていて不安という言葉すら浮かばない。
一番の強敵らしい相手を伸した船長が、とんと手摺に腰掛けたのが見えれば、ただ言葉を待つように向けられた魔獣の瞳。
「手伝うか?」
きょとんと子どもっぽい笑顔で尋ねるルフィに
「手が必要に見えるか?」
なんて笑う穏やかな声。
途端に背後から飛んできた弓矢に、振り返ることなく後ろ手に剣が振り下ろされれば、
「おれがヒマ!」
尖らせた唇を愛おしげに見上げた瞳は折れた無数の矢を映すことなく、
「ああ、」
愉快そうに細まって。

「すぐ終わらせる。」
ギンと世界が冷たくなった。

地響きのように揺れる空気に、男達の雄叫び。
背中にも目が付いているのではないかと疑いたくなる程に、無駄のない動きに敵を避けるスピードが加速する。
この長い時間、サニーに押し入ってきた男達とはレベル違いの強敵を抑えていたにも関わらず、ゾロの身体には傷ひとつなくて。まるで張り詰めた心が身体を覆っているようだと目を見張る。

「背中の傷は剣士の恥だ。」

そう語ったあの瞳が笑っていたのを思い出せば、汚れのない肌に禍々しい何かが流れているような気がして。

吹き飛ばされる無数の影に、どぼんと海面に立つ水飛沫。
しんと静まり返った世界に三本の刀が鈍く光れば世界に亀裂が走ったかと錯覚するほどに、鋭い斬撃が迸る。一際大きなでっぷりと太った男の身体が、ゆったりと倒れるのがわかれば、荒波のせいか、はたまた男の巨体のせいか、敵船が大きく揺れて。静かになった。
終わったか、と息を吐こうとした瞬間、大技を決めたその直後、大きな声を上げて飛び掛かる細い男の手には小さいながらも鋭いナイフ。
「危ない!」
声をかけようと口を開く間もなく、視界に飛び込んできたのは、ニィっと笑った船長の白い歯で。

ザン、と突き立てるように下された剣に、敵の身体がぐらりと落ちる。視線すら向けない、なんともないことのように。まるで、自分の背後には誰ひとり立つ事を許さないとでも言うように。
黒い手拭いの奥、ギラギラと光った瞳がゆったりと振り返れば、辺りに散らばる男たちの姿など目もくれず、ゆったりとした動作で空を見上げる。
もう終わったのか、そう名残惜しげに傾いた首筋に、深く吐かれた息は戦闘後特有の荒さを含んでいて。誰ひとり近づく事を許さないというように緩みなく張った世界に、

「遅い。」

ぴとりと後ろから回された細い腕に、拗ねたような子どもっぽい声。
ゆらりと視界が霞めば、先程までの静寂の世界が夢だったように、荒れる天候に意識が引き戻されて。大雨でぼやけた視線のその先で、ルフィがゾロを抱き締めて、背中にぐりぐりと額を押し付けた。
「すぐって言った。」
むっとしたような声にふわり空気が緩めば、抱き付かれたままの不自由そうな腕で剣を鞘に収める剣士の姿。
「お前のすぐはどれくらいなんだ?」
慣れた手付きで、肩甲骨に鼻先を押し付けた船長の足に腕を回して持ち上げれば、小さな身体を背負って軽々と歩き出すその様は、先程までとはまるで別人で。
「3秒。」
ぽつりと告げられた言葉に、大きく口を開き笑う声が雲を破って溢れた日の光に瞬いた。


「なァ、ゾロ。」
肩に腕をぶらんと乗せ、背中に密着するようにじゃれる船長に、ダンベルを片手で持ち上げる汗だくの剣士。
「今日は昼寝しないのか?」
太い首筋にぴとりと当てられた、しっとりとした白い頬に丸い瞳が金色の耳飾りを映す。

「時々、忘れちゃうのよね。」
ぽつりと呟かれた声に、ストローから離れた唇を眺めてみれば、オレンジの髪に透かせた瞳は甲板の端で過ごすふたりの姿を捉えていて。
「ゾロが有名な海賊狩りで、東の海の魔獣だったってこと。」
過去形の言葉になんだか懐かしさと可笑しさが湧き立てば、
「背後を誰にもとらせない野生の男ってか?」
頬杖をついて、作業の手を止める。
ことりと側のテーブルに置かれたケーキ皿を見つめれば、ぼんやりと紫煙を吐くサンジが瞳を細めて、
「変わってねェだろ。あのヤローは。」
ゆったりとした声がふわりと溶けた。

「ただ、」

海風に靡いた長い髪に絡まるように、けたけたと明るい声が風に揺れれば、ふっと柔らかに息を吐き黒髪をくしゃりと撫でる大きな手のひらが見えて。


ぎゅうっと回された細い腕に、太い首筋に押し当てられた桃色の柔らかな頬。キラキラと丸い宝石のような瞳に、若草色の髪に触れる甘い息は、きっと何も考えてやしなくて。
それでいて白い胸が密着したその背中は、きっと、とびきり特別で。誰にも入り込む余地なんてなくて。


「出逢った頃から、あいつの背中はルフィのものなのよ。」


笑って告げた、あの言葉が聞こえる気がした。








2020.01.05
あの時に誓ったのだ、この背中は。

#ZLお題遊び「バッグハグ」







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