ある日のこと。私は光子郎さんの部屋でパソコンを教えて貰っていた。以前よりは大分上達したものの、まだつめが甘い。もっと出来るようにならないと。


「そう言えば湊海さんって」

「何ですか?」

 キーボードを淡々と打っていると、不意に光子郎さんがそう話題を振ってきた。


「昔は僕に敬語なんて使ってませんでしたよね」

「ああ……そうでしたね」

 私はキーボードを打つ手を止め、光子郎さんの方を向いた。


「前に太一さんが話していたのがきっかけなんですか?」

「……光子郎さん、本当に覚えてないんですか?」

「と、言われても……」

 光子郎さんは困惑しているようで、言葉を詰まらせた。少し意地悪な聞き方だったかもしれない。


「……気になります?」

 私がそう尋ねると、光子郎さんはこくりと頷いた。


「……分かりました」

 私は一呼吸おいて、話を始めた。



 ヒカリちゃんが退院してから数日、私の気分は浮かなかった。ずっと心の中がモヤモヤしていたし、太一さん――当時は太一兄ちゃんと呼んでいたが、太一さんのことも気がかりだった。
 家でぼーっとしていると、お母さんが公園に遊びにいくよう、促してくれた。今思うと、少しでも私の気分が晴れるよう、気を使ってくれていたのだと思う。
だが、当時の私は嫌々公園へと向かった。自分だけ遊んでいいのか……そんな思考を駆け巡らせながら。


 公園に着いた私は、とりあえずブランコに腰掛けた。他の子どもたちのように勢いよく漕ぐことはせず、ゆらゆらと揺れるだけ。楽しくはなかった。


「湊海ちゃん」

「あ、光子郎くん」

 少し時間が経った頃、私の元に光子郎さんがやって来た。
光子郎さんは小学校、私は幼稚園。一緒に遊ぶ機会はめっきり減ってしまったが、こうやって時間が合えば必ず遊んでいた。


「どうしたの? 元気ないね」

「……そんなことは」

 私は目を逸らしてそう答えたが、ふとあることに気づいた。――光子郎さんの元気もないと。


「……光子郎くんこそ、どうしたの?」

「ん? ああ……ちょっとね」

 光子郎さんは苦笑いして頬をかいた。その後私の隣のブランコに座り、しばらく何も話さなかったが、不意にゆっくり口を開いた。


「……湊海ちゃん。聞きたいことがあるんだけど……いいかな?」

「うん」

「あのさ……」

 光子郎さんはそう切り出すと、気まずそうに下を向き、こう呟いた。


「……もし、湊海ちゃんがお父さんとお母さんと血が繋がってなかったら、どうする?」

「……本当の家族じゃなかったらってこと?」

 私の問いに光子郎さんは小さく頷いた。


「うーん……むずかしいなぁ」

「……むずかしいよね」

 当時の私には、想像もつかない難しいこと。その質問に答えるため必死に頭を動かしていたからか、私は光子郎さんの意図に気づかなかった。


「でも、もしそうならショックだと思う」

「……うん」

「だけどね、血が繋がってるだけが家族じゃないとも思う」

「……え?」

「うーんと、上手く言えないけど、お父さんとお母さんは私のこと、大切にしてくれてるって分かるから。本当の家族じゃなかったとしても、今は家族でしょ?」

「そうだね……。でも、」

 光子郎さんは何か言いかけたが、ぐっと口を閉じた。


「光子郎くん?」

「……何でもない! ありがとね、湊海ちゃん」

「ううん、私は何もしてないよ」


 結局その日は帰る時間になったので、そのまま別れた。
今となると、もっと気の利いたことが言えれば良かったかなと思う。光子郎さんはどれだけ辛かっただろう。苦しかっただろう。幼い私には、想像もつかない葛藤もあっただろう。
でも光子郎さんは、私に直接言うことはなかった。光子郎さんなりに私に心配かけまいとしていたんだろう。――それでも、心配はしていたけど。


 そして、その翌日の話だ。


「こんにちは、湊海さん」

「湊海さん!?」

 私は思わずボールを地面に落とした。光子郎さんは「危ないじゃないですか」なんて言いながら足で止めていたが――正直ボールなんてどうでもいいくらい、私は動揺していた。


「ど、どうしたの光子郎くん!? 何か変なものでも食べた!?」

「食べてな……食べてませんよ」

 私が慌ててそう訊いても、光子郎さんは首を横に振るだけ。


「えっと……何か私、嫌われるようなことした?」

「ううん、特には」

「だよね」

「うん……じゃなくて、はい」

 先程から光子郎さんは普通の言葉が所々漏れていた。まだ完璧ではない様子。今じゃ有り得ないけど。


「……光子郎くん、無理に敬語使わなくていいんだよ?」

「無理なんかじゃない……です」

「無理してるじゃん……」

 私は半笑いで光子郎さんを見つめた。


「……何かあった?」

「……別に、何も」

「光子郎くーん、私に嘘は通用しないの分かってるよね?」

「………」

 私がそう揺すっても光子郎さんは口を割らなかった。相変わらず強情だな……。


「……言いたくないんだね」

 光子郎さんは特に反応しなかったが、答えはイエスで間違えないだろう。


「……分かった、何も聞かないよ。でも、無理はしなくていいからね」

 私の言葉に光子郎さんはようやく頷いた。


 帰宅後、私は自分の部屋のベッドに座って考えた。光子郎さんのこと。自分のこと。今までの出来事――。思考をぐるぐると駆け巡させる。私に出来ることは何だろう。私は何が出来るんだろう。


 そうして数十分経った頃、私は部屋から出てリビングにいたお父さんに話し掛けた。


「……お父さん、ちょっといい?」


 ――それは、幼いなりに色々考えた末の結論だった。




「光子郎さん、おはようございます」

「……え? 湊海さん?」

 光子郎さんは呆然と私を見つめた。


「へへ、光子郎さんの真似っこです」

 私は頬をかきながらそう言った。


「別に無理に僕に付き合わなくても……」

「無理じゃないですよ。私がしたいと思ったら、してるんです」

 眉をひそめる光子郎さんに、私はそう答えた。


「それに、年上の人には礼儀正しくしないと。それが大人の正しいあり方です」

「……何ですか、そのメモは」

「えっと……お父さんに色々教えて貰いました」

 私は苦笑いして、光子郎さんにメモを見せた。――そう。当時の私は身近な大人の中で一番しっかりしている(と思われる)お父さんに、敬語の使い方、目上のに対する態度、その他大人のマナー諸々を訊いたのだ。
お父さんは特に私を問い質すことはせず、優しく教えてくれた。ずっと昔から優しいお父さんである。


「……光子郎さん、一緒に敬語をマスターしましょう! 2人ならきっと頑張れますよ!」

「そうですね……。僕も湊海さんとなら、楽しく出来そうです」

 私が光子郎さんの手を握り問いかけると、光子郎さんはにこりと笑って頷いた。








「……と、いうわけです」

「まあ、覚えてましたけどね」

「はあ!?」

 その平然とした光子郎さんの態度に私は思わず大声を出した。


「湊海さんの方が忘れてるのかと」

「いや、貴方なかなかひどいですね!?」

 私は光子郎さんの肩を揺すった。今までの説明全部無駄じゃないか。何かちょっと恥ずかしいんだけど。


「冗談ですよ、すみません」

「全く……」

 私は息をついて、光子郎さんを横目で見た。この方結構私の事からかうよね。何なんだろう。


「……湊海さんはあの頃から、僕のために色々してくれてたんですね」

「え? いや、私は何も」

「まーたそれですか」

 光子郎さんは呆れたようにそう言うと、ふっと笑った。


「ダメだよ湊海ちゃん。それだと僕、ちゃんとお礼を言えないじゃないか」

「こ、光子郎さん……!?」

 私が愕然としていると、光子郎さんは頭をかいた。


「……懐かしいですね。今となってはこんな言葉遣い、恥ずかしいです」

「……それが、光子郎くんだからいいんじゃない?」

 その私の言葉に、光子郎さんは目を見開いた。お返しだよ、光子郎くん。


「私はそう思うよ」

「……うん。ありがとう、湊海ちゃん」

 少し間が空いた後、私たちはお互い誤魔化すように笑った。


「……恥ずかしいですね、これ」

「でしょう?」

 昔は普通にこう話していたはずなのに、今となっては違和感しかない。大分敬語が体に染みついているようだ。


「これからも僕には、敬語使わなくていいんですよ?」

「……ふふ、光子郎さんも使わなくていいんですよ?」

「……じゃあ、湊海ちゃん」

「なーに? 光子郎くん」

 私たちは思わずぷっと吹き出した。


「やっぱり無理ですね」

「ですね、おかしいですよ何か」

 でも、たまには良いかもしれない。新鮮で面白いし、私にしか見せない光子郎さんというのも、なかなか良いではないか。


「……光子郎さん」

「何でしょう」

 私は光子郎さんに話し掛けた。


「これからも、よろしくお願いします」

「……こちらこそ」

 私たちは笑い合った。――昔のように、無邪気な表情で。
短い言葉でも分かり合える。だって私たちは、幼馴染だから。





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