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――脇目も振らず走り抜けて、ついに辿り着いたボスの部屋。『BOSS』と書かれたプレートを睨む。扉に耳を当てて中の様子を窺うと、部屋の中は物音ひとつしない。誰も、いない……?
恐る恐る、ゆっくりとドアノブに手をかける。……ロックはかかっていないようだ、スムーズにドアノブは回りその先に暗がりが見えた。部屋の中に足を踏み入れると少し煙たい、反射的に咳き込んでしまう。何だこれ、それにちょっと焦げ臭い……。辺りを探ろうと近くの壁に手を触れるとスイッチのようなものがある。押すと部屋の明かりが点き、やっと室内の全貌が明らかとなる。
高級そうなソファーとローテーブルのセット、そしてその向こうであたしと向かい合うように置かれた大きな机。いつかドラマで見た社長室のような内装だ。そのどこにも人の気配はない、やはりここは主のいない部屋だ。
ふとあたしが手をついている壁を見やると、手の甲のすぐ隣が何かで黒く汚れていた。地下室らしいコンクリートのような冷たい壁を少し指で撫でてみると、細かな黒い粉状のものが拭い取れた。軽く息を吹きかけただけで消えていくその黒い粉を見てはたと気が付いた。これ、「すす」だ。
改めて部屋を見回すと、同じような黒い汚れは壁の至る所についている。それとソファーの背が少し焦げていて、恐らく焦げ臭いようなにおいはこれらが原因だろう。
ここで、壁やソファーが焦げるようなことが起こった……つまりはそういうことだ。焦げる、燃える、炎……といえば、思い当たるポケモンとそのトレーナーがいた。マグマラシと、そのトレーナーのヒビキ。きっとあいつがここでロケット団の誰かとバトルをした、ということだろうけれど……相手は誰だろう、ボスの部屋に出入りできるということは幹部のうちの誰かだろうか。ラムダかアテナか、それとも別の……そういえばランスとかいう奴も幹部かもしれないんだったっけ。
……まさかとは思うけれど、相手はシルバーか!? あいつらこんな敵地でロケット団そっちのけでバトルしたとかそういうことはないだろうな!? いやありえなくはないぞ、確かゲームの中でそんなシチュエーションがあった気がする! これからロケット団をぶっ潰そうって時に急に現れたライバルとの不意打ちバトルが勃発したような覚えがある!
……とにかく、この場所でヒビキと誰かがバトルをしたことは確かだ。そして今ここにあいつがいないということは、目的を達成して既にここを脱出しているか、それとも……。
ぐるぐると考えながらも部屋の中を歩き、大きな机に手を置く。社長室らしさに拍車をかけているこの机にも焦げ跡は残っていて、ここで行われたはずのバトルの激しさが窺える。……一応回り込んで引き出しを調べてみるけれど、やはり中身は全て空っぽだ。
とにかく、今ここにシルバーもヒビキもいない。あいつらが既にアジトを脱出しているならそれでいい、けれどもしまだこのアジトの中に残っているとしたら。あいつらが向かう場所はどこだろう。怪電波発生装置か、それとも幹部たちのいる場所か。確か幹部たちの部屋はこの近くにあったはずだ、まずはそこへ向かおう。あとこの部屋やっぱり煙たい、それに喉もイガイガしてきたし……。
咳払いしつつドアの前まで辿り着き、いち早く外へ出ようとドアノブへと手を伸ばす。そして掴もうとしたその手は、急に動き始めたドアノブを掠めて空を切った。
「あっ?」
ひとりでに開くドアの先を見つめると、男と目が合った。
「……ん?」
臙脂色の髪を逆立てて、怪訝そうな顔でこちらを睨む男――こ、こいつ! まさかカイリュー使いの侵入者!?
「お、お前っ!?」
若干つっかえながらも一歩後ずさり、姿勢を低くして臨戦態勢に入る。どうしよう、まず逃げるか!? 素早く男の背後を確認するも、退路を塞ぐようにしてカイリューが仁王立ちしている。ドラゴンの割には可愛い顔をしているのに、勝てる気が全くしない。強者特有のオーラのようなものが背後に見える気がした。……これは無理だ、下手すると殺されるぞ!
腰を落としたまま動かないあたしをしばらく見てから、男はゆっくりと部屋の中に入ってきた。カイリューも一緒に入ってきて、後ろ手にドアを閉められる。
「……ここはロケット団のボスの部屋だと思ったんだが、君はボスでも幹部でもないただの下っ端みたいだな」
「下っ端……」
部屋を見回してからそう言われて、改めて自分の服装を確認する。全身黒ずくめの、ロケット団の制服。……そうだよな! 今のあたし完全にロケット団じゃん! ついつい忘れちゃう! ってこれあたし敵だと思われてるよな!?
ロケット団の敵ということは、きっと正義の側なんだろうけれど……正直あの所業を聞いて正義のヒーローだとはとても思えない。正義のヒーローは小さな土産屋の中で破壊光線ぶっ放したりはしない。それにマントってなんだ!! 悪の組織のアジトに侵入するのにその装備は邪魔じゃないのか!? ……ああそうか、ドラゴン使いはみんなそうなんだな! イブキさんも趣味悪い格好にマントしてたし!
「まあ、幹部だろうが下っ端だろうが関係ない。とにかく、ここから持ち出そうとしているものについて詳しく話を聞かせてもらおうか」
あたしが脳内でひとりツッコミの嵐を巻き起こしているうちに、男の視線はあたしの顔からあたしの持つ袋へと移っていた。この袋の中身……この部屋から持ち出そうとしていたというか、持ち出した後というか……まあアジトの中にあったものには変わりないし、似たようなものだ。
さて、どうするか。この男にあのブラックリストを渡してあたしがロケット団に潜入していたことを示すことができれば、ひとまずこの危機は脱することができそうだ。あたしもこの男もロケット団に対する立場的には同じようなものだから、上手くいけば協力関係を築くこともできるかもしれない。サカキ捜索に関する手掛かりも得られるかもしれないし……。
けれど、この中身……あのブラックリストがこいつに見られてしまったら……? 
大部分は見られても問題はないけれど、あの赤い文字。『ボスのご子息?』――あの情報は、あたしが勝手に他人に言いふらすようなものじゃない。何より言いたくない。ロケット団の敵なら、ロケット団のボスの息子も敵だと認定されるかもしれない。
ちらりと男の背後にあるこの部屋からの出口を盗み見る。今あたしの立っている場所からたった数歩の距離だけれど、とんでもなく遠い。退路を塞ぐように扉の前で仁王立ちするカイリューと目が合った。男の隙を突くことはできても、カイリュー相手では無理そうだ。
こうなったら……あまり気は進まないけれど、やるしかない。
再びまっすぐと男を睨みつけながら、敢えて笑いかけてやった。男の眉が怪訝そうに動く。
「お前にする話なんかないな!」
あたしへと向けられる視線がさらに鋭くなる。ビリビリと身体の表面が痺れるような感覚に襲われた。相手との実力差を、全身で感じる。
帽子と前髪で隠したあたしの目は、かすかに揺れているかもしれない。けれどあたしの手は揺れず震えず、しっかりと腰に付けたボールを握っていた。

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