◇ うそつきふたり






 サッカーが好きだった。小さい頃からずっと好きで、よく友達と日が暮れるまでボールを追い掛け回していた。汗だくになって走り回るのが楽しくて、それだけで良かった。
 その気持ちに、迷いが生じたのは何時からだっただろう。ただ楽しいだけでは駄目になってしまったのは。






 久しぶりに袖を通したユニフォームはずっと憧れていたファーストチームのものだった。このユニフォームを着たくて、一年生の頃、日が暮れた後もずっと一乃と二人で練習していたのを思い出す。こんな形で着ることになるとは思ってもみなかったけれど、それでも、やっぱりずっと夢見ていたそれは今まで着ていたセカンドのそれとは少し肌触りが違う気がした。
 隣で着替えている一乃にちらりと視線を投げると、一乃も何だか感慨深そうな顔でユニフォームを撫でている。

「何か、変な感じだよな」
「……ああ」

 皆に良い顔をされないのは、理解していたつもりだった。自分でも虫の良い話だと思う。崩壊寸前まで追い詰められたサッカー部を、神童たちを、オレは見捨てたって云うのに。今更、また仲間に入れて欲しいなんて。
 でももう、自分に嘘は吐けなかった。やっぱりオレはサッカーが好きで、ボールを追いかけるのが楽しくて。帝国との試合を見て、心の底から思い知ったのだ、まだサッカーを諦めきれない自分がいることを。冷めた顔で誤魔化していたけれど、本当は諦めるふりをしていただけなんだって。

「でも、ここからまた始まるんだよ」

 一乃の目は真っ直ぐに前を見つめている。その目にもう迷いは無くて、何時かの神童を思い出した。
 あの日、神童の真っ直ぐな目が、ただ眩しかった。どんなに強い敵だったとしても逃げないで戦おうとする眼差しは、いつの間にかオレが忘れてしまっていたもの。管理サッカーの中で磨り減って行き、フィフスセクターに目が付けられたと解った時に、諦めてしまった自分のサッカーがそこにはある気がした。
 その目を見たら、自分の心に嘘を吐いて逃げ回っている自分がひどく、情けない存在に思えて。もう、逃げないでいたいと思った。

「行こう」
「そうだな」

 例え控えだとしても、これからオレたちだって雷門イレブンの一員なんだ。グラウンドで身体を温めているだろうチームメイトの元へオレたちは向かった。






 控え室のロッカーに鍵をかけ忘れたことに気付いて、オレは慌てて控え室へと走った。さすがに財布や携帯、その他貴重品が入ったロッカーに鍵をかけていないのは不味い気がする。試合までまだ15分はある。控え室に戻っても間に合うだろう。
 そう思い、更衣室のドアを開けたのだが。オレは数秒前に考えなしにドアを開けた自分を恨む羽目になった。

「……つ、剣城」

 控え室のベンチに座って、剣城はカチカチと携帯を弄っているようだった。オレが入ってきたことに気付いたのか、ちらりと上目遣いでオレを見、また携帯のディスプレイへと目線を落とす。

「……」

 非常に、気まずい。辺りの空気が澱んで吸い込めば吸い込むほど、腹の底が重たくなるようなそんな雰囲気にオレは額に汗をかきながら、さっさと用事を終わらせてグラウンドに戻ろうと自分のロッカーへ向かう。最悪なことに、剣城が座っているベンチのすぐ脇にオレの使っているロッカーはある。何でオレは壁一面に置かれたロッカーの中からあそこを使おうと思ったんだろう。過去の自分を恨むことしきりだ。
 正直、別にここまで怯える必要は無いと思うのだが、今までの経緯もあって、どうしてもびくびくとしてしまう。剣城だって松風や西園と変わらないただの一年生であるはずだ。二年であるオレがここまで怯えることは無い。そう何度も自分に言い聞かせる。
 でもやっぱり、あの日の剣城の圧倒的な存在感、シュート一つでセカンドを蹴散らすだけのサッカーの実力、そしてあの周り全てを攻撃するような鋭い眼差しが浮かんで、竦んでしまうのは仕方が無いことなのかも知れない。
 ロッカーまで辿り着き、扉を開く。ついでに中を少し整理して、今度はきちんと鍵を閉めた。これで大丈夫。安心して控え室を出ようと踵を返した瞬間、パチンと携帯を閉じる軽快な音が響いた。剣城がこちらを向いて、その薄い唇を震わせる。

「……その、」

 一瞬で、緊張感が部屋に満ちた。剣城がオレに声をかけるようなことがあるとは思えなかった。そもそもオレは剣城にチームメイトとして認識されているかも怪しい。そしてオレもまた、剣城のことをチームメイトとして見られるかと云われれば、微妙なところだった。
 あの日の出来事を忘れ去れた訳じゃない。神童たちは一緒にグラウンドでプレイをして、接している間に何か剣城と和解出来るだけのものがあったのかも知れない。でも、オレにはそれが無い。オレにとっての剣城はまだ黒の騎士団としてオレたちの前に立ちはだかったあの時のままだ。
 でも、あれだけ剣城に敵意を示していた神童が、あんな憑き物が落ちたようなさっぱりとした顔で剣城のことを「仲間」だと形容するのならば、オレに何かを云えるはずも無い。だってオレは、神童のように剣城と真正面から戦った訳じゃない。自分のサッカーと向き合うことさえ怖くなって、逃げてしまったのだから。

「……その、何だ、悪かったな」
「……は?」

 何秒だったか、何十秒だったか。ただ空気が重苦しくて長く感じただけで、本当はそんなに時間は経っていないはずだ。剣城は何度か視線をうろつかせた後、ばつの悪そうな顔でオレを見た。その表情があんまりにもオレの認識している剣城京介という人間とはかけ離れたものだったから、オレは思わずぽかんと間の抜けた顔で剣城を見つめてしまう。

「何だよ、その顔」
「だって、おまえがそういうこと云うとは思わなかったから」
「悪かったな」

 少し恥ずかしそうに眉を顰め、視線を逸らす剣城にオレは思ったことをそのままに口にする。オレの反応は別におかしくないと思う。だってあの剣城が、まさか、こんなことを云うだなんて誰が想像出来るだろう。
 剣城は発育が良いのか、身長も高く、声も低い。それに本人の性格も相まって、ついこないだまでランドセルを背負っていたとは思えないくらい大人びている。それなのに、今、目の前にいる剣城は松風たちと変わらない、中学一年生の少年に見えた。
 しおらしい剣城の態度に部屋に入ってからずっと染み付いていた怯えが取り払われていくのを感じる。

「……なあ、何でおまえはフィフスセクターから抜けたんだ? シードだったのに」

 竦んでいた身体が弛緩すると同時に、自然とオレの唇は開いていた。
 ずっと疑問に思っていたことだった。剣城はどうして潰しに来たはずの雷門で今、サッカーをしているのだろう。あんなにサッカーなんてくだらないと云っていたというのに。今では当たり前のような顔をして、雷門のファーストチームのユニフォームを着て、練習に参加している。
 剣城はオレの問いに怪訝そうにオレを見上げ、それからふいっと視線を手元へ落とした。そして、一拍置いて、ぽつりと小さな声が控え室に響く。

「……嘘、」
「え?」
「自分に、嘘を吐いていた。だから、正直になっただけだ」

 上手く聞き取れず首を傾げるオレに剣城は顔を上げて、今度ははっきりとした声で云った。見覚えのある、真っ直ぐな目だった。言葉は少なかったけれど、その目は何よりも雄弁にオレに込められた思いを伝えてくれる。すとんと、色んな感情が胸に収まっていく。
 疑問に思うまでも無かったのだ。そう、ただきっと、剣城もオレと同じように、嘘つきだっただけの話で。だから、神童も剣城を仲間として認めたのだろう。本当は剣城もサッカーが好きなんだと、知ったから。

「そうか」
「ああ」

 投げ交わされた短い返事。けれどそこには、さっきとは違う空気が流れている。心地好いとは云えないけれど、張り詰めたような緊張感はもう無かった。それで、良いような気がした。

「青山、もうすぐ試合始まるぞ?」
「一乃」

 控え室のドアを開け、ひょいと顔を出した一乃にオレは試合までもう時間が無いことを思い出した。ロッカーの鍵を閉めるだけだったはずなのに、思ったよりも時間を費やしてしまった。わざわざ呼びに来てくれた一乃にごめんと謝って、控え室を出る。剣城もまた携帯をロッカーに閉まって、グラウンドへの廊下をすたすたと歩いて行く。

「剣城!」

 オレたちをさっさと抜き去って、グラウンドへと出て行こうとする剣城の背に向かって、思い切って声をかける。黄色いユニフォーム。雷門の10番、エースナンバーを背負ったその背中。
 足を止め、首だけ回して振り返る剣城に一言だけ、本当に伝えたいことを口にする。あの日のことを許せるかと云われれば、まだわだかまりが消えた訳じゃない。でもそれよりも大事なことはきっと、今、同じユニフォームをまとい、戦っているということなのだと、そう思えた。

「……試合、頑張れ」
「……ああ」

 頷いた剣城は微かに笑ったように見えた。再び背を向けてグラウンドへと消える剣城の背中は確かな自信に裏打ちされた人間のものだ。その背中を、信じられるかも知れないと思う。

「青山、剣城と、何かあったのか?」

 オレたちのやりとりと呆然と見つめていた一乃が疑問符を浮かべるのに、オレは小さく笑いながら返す。

「ああ、ちょっとな。後で、一乃にも話すよ」


 嘘つきがここにもいたんだって話を。








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