◇ 豪炎寺さんと思い出の本






「剣城、コーヒー入ったぞ」
「あ、ありがとうございます」

 マグカップをふたつ持ってリビングへ戻った豪炎寺は何やら本棚を真面目な顔で見ている剣城に小首を傾げた。あまりにも真剣な様子に少し躊躇いながら声をかけ、手に持ったものをローテーブルの上に置いて、ソファに腰掛ける。豪炎寺の声に振り向いて、剣城は小さく頭を下げて豪炎寺の隣に身体を収めた。
 豪炎寺の仕事が早く終わる金曜日の部活帰りに剣城が豪炎寺のマンションへ寄ることは最早日常だった。作り慣れた剣城好みのカフェオレのカップを手渡しながら、豪炎寺はさっきまでの行動について問いかける。

「何見てたんだ?」
「今、学校で読書の秋ってことで朝のホームルームで本読んで一行でいいから感想を書かなくちゃいけないんです。それで今日、手元の本を読んでしまったので新しいのを探していて」

 剣城はカフェオレを一口飲んで、理由を説明し始める。豪炎寺もまた、こちらは無糖のブラックコーヒーを啜りながら、そういえばと思う。自分が雷門に通っていたころも朝のホームルームは読書の時間に当てられていた気がする。

「それで探してたのか。俺の本棚はあまり面白いものは無いと思うが」

 本棚を埋めるのはサッカー関係と身体の作り方や医学についての本など小難しい本が七割と大半を占めている。残りは結構手当たり次第に読んでいる小説やらエッセイやらだ。時間が空くと豪炎寺は本が読みたくなるので数はある。だが、今の剣城が読んで面白いものとなると豪炎寺は首をひねらざるを得ない。

「いえ、凄く色んな本があって面白いです」

 カップから口を離して、剣城は口元を綻ばせた。そして、楽しそうに弾む声が一瞬途切れ、黄金色の瞳が豪炎寺へ向けられる。

「豪炎寺さん、何かおすすめありませんか? 何か面白かったとか感銘を受けたとか、記憶に残っている本があったら教えて欲しいんですけど」

 窺うように訊ねてくる剣城に豪炎寺はカップを置いて頭を巡らせた。ちらりと本棚に視線を投げて、更にぐるぐると考え込む。面白かった本も感銘を受けた本もたくさんあるけれど、他人に紹介するとなると思いの外悩んでしまう。
 そうしてしばし思案した後、豪炎寺は立ち上がり、本棚ではなくベッドのある寝室の方へと向かった。クローゼットを開けて、中に仕舞い込んだ箱の中から一冊の本を取り出して、リビングへと戻る。本を手渡すと剣城は興味深そうに目を眇めて本のタイトルを指でなぞっていく。

「それは、昔父が俺にくれた本なんだ」

 たぶん、小学校六年生くらいだったと思う。母親が死んでしばらく経って、家に帰ってこない父親に内心寂しさと戦っていたころのことだ。ある日、プレゼントだとこの本をくれた。妹の夕香にはかわいい絵本で兄の自分にはこの本。中身はノンフィクションだという、地方の病院に勤める一人の医師の話で、そのときの豪炎寺はそれを読んで面白いとは感じたが、決して思い入れを抱くようなものとは思わなかった。父は自分を医者にしたいのだろうなとそうプレッシャーを感じたくらいだ。
 それが変わったのは中学三年のとき。たまたま父の書斎で同じ本を見つけた。大分古い様子で少し色褪せた表紙に何度もめくられて傷んだページ。豪炎寺は思わず書斎の床に座り込んで読んだ。そうしたら何だか涙が出てきて止まらなくなった。内容は同じなのに、どうしてこんなにも感じ方が違うのか。父が読んだそのときを追体験しているような気持ちで、父の仕事をとても誇らしいものだと思えた。何よりもそっと表紙の裏に書き添えられた一言が胸に迫った。「自分もこんな医者になりたい」
 ぽつりぽつりと語り始めたら止まらなくなって、最後まで話し終わってから豪炎寺は急に恥ずかしくなった。小さく咳払いをして誤魔化して、隣の剣城を窺う。

「昔話が過ぎたな。まあ、古い本だからあれかも知れないが。読みたいなら貸そう」
「いいえ。・・・ありがとうございます、大切に読みます」

 剣城は本を抱きしめるようにして、ゆっくりと唇を震わせた。大切そうに表紙を撫でる白い手。そこまでいとおしそうにされると豪炎寺は何だかむずがゆい気持ちになる。

「……本って、その人の世界だって云いますよね。どんな本を選ぶかでその人の世界が見えるって」

 本をじっと眺めながら、ぽつりぽつりと言葉を落とした剣城は顔を上げて、まっすぐな瞳で豪炎寺を見た。黄金色の瞳が感情に満ちて、豪炎寺の好きな色になる。

「俺、豪炎寺さんの世界が知りたくて。少しでいいから覗いてみたかったんです」

 そう云ってはにかんだ剣城の思いがじんわりを染み込んでくるような気がして、豪炎寺は顔が熱くなるのを感じた。子ども相手に、と思いながら、子どもだからこそこんなにも何の躊躇いもなく伝わってくるんだと思う。

「この本に込めた豪炎寺さんの想いが聞けて嬉しかったです。大事に読みます」
「……そうか」

 柔らかく微笑む剣城に小さく頷くことしか出来ない。喜んでいるのが解って、何だか余計に恥ずかしくなる。本をかばんに仕舞おうとするその仕草さえ、心底大切そうに扱う剣城の様子に豪炎寺は心をひたひたと満たすものを感じる。

「また返しにきたときに次の本を探しておこう」
「ありがとうございます!」

 黄金色の瞳がぱっと輝いてきらきらときらめく。その目を見ながら、豪炎寺は次はどの本にしようかと思考を巡らせた。








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