◇ シルシ






 真っ白な肌はまるで一枚の絹のようだといつも思う。滑らかな触り心地、染みひとつない白はとてもきれいで、そこに口づけることに妙な優越感さえ覚える。降ったばかりの深雪を踏みつけて歩くときのような、人のいない砂浜に足跡をつけていくときのような。きれいなものを一番最初に汚すことは変な優越感を胸にもたらす。
 激しいセックスでくたくたになった身体をベッドにごろんと横たえて、目の前の真っ白な背中にくちびるを寄せることはおれにとって好きな行為のひとつだ。事後の汗ばんだ肌は心地好く、剣城の熱を感じられる。いつも触っているはずなのに、ときどき、剣城はおれと同じもので出来ているのか不思議に思うときがある。肌も冷たくてひんやりしているんじゃないかって、最初に手を繋ぐ前まではずっと思っていた。実際は、そんなことは全然無くて、皮膚を挟んだ剣城の内側はとっても熱かったのだけれど。

「痕、つけるなって云ってるだろ」
「そんなに目立たないよ、大丈夫」

 ちゅ、と小さな音を立ててくちびるを離すと、白い肌に赤い痕が残る。不機嫌そうにおれを振り返ろうとする剣城の背中にぺたって引っ付きながら、それを阻止する。両手を剣城の腰に回して、ぎゅうって抱き締めると剣城は溜息を吐いて諦めたように前を向いた。このやりとりを、毎回ベッドでえっちする度に繰り返している。本当は剣城もまんざらじゃないんじゃないかな、と思う。剣城が本気を出したらきっと、おれを引っぺがすことなんてそんなに難しいことじゃないはずだから。いつも文句は云うけれど、本気で制止されたことは一度も無い。
 浮き出た肩甲骨の色っぽさにくちびるを押し付けて、きゅうと強く吸う。それだけじゃきれいな痕にはならないから、軽く甘噛みをした。剣城の身体が少しだけ強張るのを手のひらで感じながら、最後にちゅって舌を鳴らしながら離すと、唾液に濡れた白い肌にはきれいな花びらが咲いている。

「着替える時見えたら不味いだろうが」

 また痕をつけられたのを感じたのだろう、剣城が低い声で唸った。服着てれば解らないし、剣城は着替えるの早いから大丈夫だろうと思うのだけれど、本人は気になるらしい。首を捻って顔だけこちらへ向けて、剣城はするどくおれを一睨みした。でもおれは、止めるつもりはこれっぽっちも無い。

「こうすると、剣城はおれのなんだなーって思えてうれしいんだ」

 赤く染まった一点を指でなぞりながら云うと、剣城は吊り上げた眉を緩めて苦笑いを崩したような、困った顔をした。きっとしょうがないヤツだと思っているんだろう。それでも良いや、と思う。剣城をひとりじめ出来るなら、しょうがないヤツで良い。
 白く滑らかな背中に何度も吸い付いて幾つも赤い痕を残しながら、ふと初めてキスマークをつけたときのことを思い出す。キスマークというものの存在を知ったのが剣城とセックスをするようになって、そういうことに興味を持ち始めてからで、つけてみたいというおれに剣城がやり方を教えてくれたのだ。おれの手を取って、腕の目立たないところに口づけた剣城はキスマークをどうつけるのか、実演してくれた。そして見よう見真似でおれは剣城にキスマークをつけるようになった。最初は全然上手くいかなくて、薄っすら赤くなるだけですぐに消えちゃったりしたものだ。思えば、あの最初の一回以外で剣城にキスマークをつけられたことは無かったかも知れない。

「そういえば剣城はつけてくれないね」
「…?」
「キスマーク」

 何気なく口にして、自分で頷く。そういえば、あれ以来一度もつけて貰ったことが無い。不思議そうに小首を傾げる剣城におれは身体を起こして、ベッドの上に座り込んだ。おれの雰囲気が変わったのに気付いた剣城が寝返りを打って、こちらを向く。

「ねえつけてよ。おれに、剣城のってしるし」

 片膝を抱え込み、くすんだ金色を上から覗き込むようにしてねだる。こうすると剣城はおれから逃げられないことをおれはよく知っていた。

「何処でも良いよ。剣城と違っておれ、焼けてるから目立たないし」

 甘えるみたいな声色で剣城がしょうがないなって云ってくれるまで言葉を重ねていく。じっと見つめると剣城はふいっと視線を逸らして、諦めたように目を伏せた。

「後ろ、向け」

 剣城がおれにキスマークをつけてくれるなら何処だって良かったから、云うことに素直に従い背を向けた。本当はおれの目に見えるところが良かったけど、わがままは云えない。剣城が起き上がって、そっと身を屈めておれの背中に触れる感覚を目を瞑って追う。剣城の手が肩を掴んで、そしてくちびるがゆっくりと押し当てられる。
 おれが剣城にキスマークをねだったのは、こうでもして訴えなければ剣城がキスマークをつけてくれることは、一生無いんじゃないかとそんな不安に駆られたからだ。剣城は「俺はおまえのものだ」って何度も云ってくれる。おれがちょっとしたやきもちをしたとき、ベッドの中で、二人で隠れてキスをしながら、何度も、なんども。実際、剣城はおれのことをいつも見ていてくれていて、とてもよく考えてくれる。優一さんの次に、おれのことを優先してくれていると、自惚れじゃなくそう感じる。でも同時に、「おれは剣城のだよ」って何度云っても、剣城は信じてくれていないんじゃないかとも思う。だからおれは何時まで経っても、不安を拭えない。剣城にとってのおれは何なんだろうって。こんなこと、こんなにもおれに真っ直ぐに愛情を向けてくれている剣城に、直接は云えないけれど。

「ついた?」
「ああ」

 硬い歯が当たる感触とぬるりとした舌の温かさに後ろに問いかけを投げてみると剣城はくちびるを離して頷いた。振り返ると微かに笑った剣城が首を傾げてみせる。

「これで満足か?」
「うん」

 本当は全然満足なんかしてない。これが気休めにしか過ぎないことを、おれはよく知っている。それでもそんな気休めの儀式を幾つも積み重ねて、おれたちはここにいる。ひとつになれたらってずっと願いながら抱き合って、馬鹿みたいに好きだって言葉で確かめ合って。
 ねえ剣城、剣城はおれのこと、どういう意味で好き? どういう形で好き?

「つるぎ、だいすき」

 訊けないから、抱きついた。ぎゅって抱きついてベッドに二人して倒れ込んで、ちゅうってまた首筋にキスマーク。あ、さすがにここはユニフォームから見えちゃうかな。そんなことちょっとだけ気にして、でも剣城が怒らないから、今度は伸び上がってくちびるにキスをする。

「…俺も。おまえが好きだ」

 そう云って、おれの頭を撫でてくれる剣城の手は凄く優しくて、おれは甘えるみたいに剣城の肩に擦り寄った。今だけは、その言葉を信じていたいと思った。








 天馬は、解っているのかも知れない。まっさらな傷ひとつない背中をじっと眺めながら、思う。キスマークをつけるという行為を天馬は相手を所有する証だと云って、それを俺にねだった。揺れるブルーグレイの丸い瞳が天馬が求めているものを如実に語っていて、俺は不安げに瞬く青色に逆らえなかった。そんな顔を、させたくないなんて、そうさせている張本人が云うのもおかしな話だ。それでも、天馬には笑っていて欲しいと、いつだって思っている。例えそれが俺の知らない場所で、誰か知らない人の隣でも。

 いつか手放す日のことを、いつも考えている。天馬が俺を必要としなくなったら、天馬にとって足枷になるときが来たら。
 天馬はいつだってたくさんの人に囲まれていて、自分で自分の居場所を作っていけるだけの強さがあって、多くの人を惹きつけて魅了するだけの力がある。天馬の明るさやひたむきさに救われた人間は大勢いる。俺もその多くの中の一人に過ぎなくて、天馬を慕い、俺と同じ意味で好きなやつはきっと何人もいるのだろう。その中には、俺なんかよりもずっと天馬の力になれて、傍で支えてやれるやつもいるに違いない。そういう相手が現れて、天馬がそいつのことを好きだと云ったら。素直に手を放して応援してやりたい。そんなことを、ずっとずっと考えている。

 天馬が、他の誰かと幸せになってくれれば良いと思う。気立ての良い女性と子どもを作って、子どもと休日にサッカーをするような。平凡かも知れないけれど、きっと天馬にはよく似合うだろう。天馬には陽の光が似合うから。日陰で隠れるように口づけを交わすより、ひなたで手を繋いではにかんだように笑っている方がずっと天馬らしい。そんな天馬が、俺は好きだから。だから、天馬には表の世界で笑っていて欲しいと、思う。

 十年、二十年経った後、天馬の隣に立つ自分を思い描けない。友人として笑ってはいるかも知れない。天馬が漏らす愚痴を聞きながら酒を傾けたり、手土産を持って新築の家を訪ねたり。天馬が子どもの自慢をするのを微笑ましく見守るのも良いかも知れない。でも、天馬の隣を、生涯のパートナーとして歩く自分を、俺はどうやっても想像出来ないでいる。
 男同士だという大きな枷が重たくて、上を見上げることも出来ない。
 そもそも最初から、将来、羽ばたいていくであろう天馬にとって男と付き合っていくなんて、絶対メリットにならないことなのだ。そんなこと、とうの昔に解っているのに離れられないのは、俺の弱さだった。天馬が俺のことを好きだと云ってくれるから。剣城はおれのものだよって笑って、離れていかないでねって不安そうに俺を見る。天馬が望んでくれるから、求めてくれるから。その間だけは、傍にいても良いんじゃないかと自分を甘やかしている。
 きっと色んなものを怖がっているのは、俺の方なんだろう。天馬の未来を俺が潰してしまったらと、そんな仮想の未来が怖くて、今の目の前にいる天馬にも真っ直ぐにぶつかれない。こんなにも好きで、大切に想っているのに。ぎゅうと胸が絞られるような感覚にそっと天馬の背に頬を寄せる。

「ごめん、てんま」

 今にも溢れそうな涙に目をぎゅっと瞑った。本当の俺はこんなにも意気地なしだ。格好良くも優しくも無い。みにくい。本当は、おまえは俺のだって云いたい。一生おまえの傍で、おまえに愛されたい。でも、怖いんだ。そうしたらきっと、俺はおまえから離れられなくなる。もしいつか、おまえの足枷になってしまったとき。手を放せなくなりそうで、それが怖くて。いつだって手放す日のことを考えていなければ、忘れてしまいそうになる。俺が天馬の隣にいることは、間違っているということ。

「ごめん」

 健やかに上下する肩は天馬が穏やかな眠りに落ちていることを示している。健康的に焼けた肌にくちびるを押し付けながら、それでもどうしても、痕をつけることが出来ない。天馬にねだられたときも、ふりだけで本当につけることは出来なかった。
 いつも叱るけれど、本当は天馬に痕をつけられるのは嬉しい。天馬のものになれるなら、俺はどんな扱いをされたって構わない。天馬が笑ってくれるなら、何でもする。セックスだって、天馬が望むならどんな行為にも躊躇いは無い。それくらい、天馬に所有されることを俺は特別なことだと思っている。でも天馬を俺一人のものには出来ない。してはいけない。多くの人に愛される天馬を俺に縛り付けることだけは。天馬に例えそれを望まれても。それだけは、どうしても。
 天馬は気付いているのだろう、俺の不器用な愛し方が何処か天馬とは違っていること。だから言葉を求めるし、時々、さっきみたいに不安そうに瞳を揺らす。その顔を、俺は知っていて誤魔化している。
 俺がこんなことを考えていると知ったら天馬は怒るんだろう。天馬は優しいから、こんな俺のことでもきっと真面目に考えて悲しんでくれるんだろう。解っているから、黙っている。「好きだ」って言葉や愛情を伝える仕草で、誤魔化している。
 キスをしたら、天馬は照れたみたいに笑ってくれる。そんな風に笑っていて欲しいと、ずっと笑顔で幸せでいて欲しいと、願う。こんなにも大好きな人だから、大切な人だから。自分が隣にいるよりも大きな幸福があるなら、そこへ羽ばたいていって欲しいと、思う。

「てんま」

 おまえの求めるものをやれなくてごめん。
 押し当てた額から天馬の優しい体温が伝わってくる。それだけでどうしようもなく涙が出てきて、俺は擦れた声で謝りながら、いつか、が来ないことを祈った。




 いつか、手を放す日のことをいつも考えている。
 (翼を持ったペガサスが風に乗って羽ばたく日、ちゃんと見送ってやれるように)








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