◇ innocence 01






 きれいだ、と思った。こんな感情を同性に抱くことはおかしいのかも知れないけれど、天馬はただ純粋に直感で、そう感じた。
 目の前で赤いTシャツを潔く脱ぎ捨てて惜しげもなく白い肢体を見せ付ける少女の身体は天馬の目には神々しく内側から輝いているようにさえ見えた。彼女もまた天馬と同じ太陽の下を駆け回るサッカー少女であるはずなのに、その肌は健康的に日に焼けた天馬とは正反対の真珠のような白さをしている。体つきは年頃の少女らしく華奢で決してたくましくは無いのに、しなやかな筋肉に覆われていて、それでいて女性らしい柔らかさを損ねてはいない。天馬よりも頭半分高い身長に合わせるように手足は長く、発育の良さを象徴するかのように下着に包まれた胸は膨らんでおり、その存在を主張していた。制服のスカートから男子顔負けの暴力的とも云えるシュートを放つストライカーの足がすらっと伸びている。
 普段は無表情か、不機嫌そうに眉間に皺を作っているかの二択しか浮かべない顔もよく見てみると、美少女と呼んでもおかしくないくらいに整っている。吊り上がった切れ長の目が攻撃的な印象を与えるが、琥珀色の瞳が優しく緩んで微笑む瞬間を天馬は知っているから欠点には見えなかった。彼女を形作るパーツ一つ一つがどれも綺麗にあつらえられているかのようだとさえ思う。きらきらと眩しくて、ぼうっと見蕩れてしまう。

「何見てんだよ」
「えっ、あ、ごめんっ」

 つい制服のリボンを手に呆けていた天馬は剣城が訝しげに眉を寄せてこちらを見ているのにハッと我に返った。思わず見蕩れてしまっていたが、幾ら同性でも着替えをまじまじと見つめられていたら居心地が悪いに違いない。剣城はもう既に下のスカートをユニフォームのズボンに履き替えている。天馬は慌てて解いたリボンをロッカーに入れ、ブラウスのボタンを外した。
 授業を全て終えた放課後、サッカー棟。部員の数に応じて男子ほど広くは無いものの、設備の整った女子更衣室は今まで天馬だけのものだった。理由は簡単で女子部員が天馬しかいなかったからだ。フットボールフロンティアからホーリーロードと名前を変えて、男女問わず選手登録が出来るようになってから三年。雷門にも少ないながらに女子部員はいたのだが、先の黒の騎士団との一戦で全員止めてしまったのだ。元々男子と比べるとどうしても体力その他に劣ってしまいがちな女子はレギュラー争いからは外れた存在で、ただ皆と一緒にサッカーを楽しめればいいという部員が多かったから、その「楽しいサッカー」もフィフスセクターに目をつけられて出来なくなってしまったとなれば、彼女たちが部を離れても不思議ではない。そうして男子だけになったサッカー部にただ一人、入部試験を経て、部員となったのが天馬だった。だから、今まで女子更衣室は天馬と後はマネージャーとして天馬を支えたいという幼馴染の葵、そして先輩である水鳥と茜しか使用者がいなかったのである。
 そこへ今日から新たに使用者が増えた。剣城京子。以前はフィフスセクターのシードとして天馬たちの前に立ちはだかった少女。色々と紆余曲折あったものの、先日の帝国学園との試合でついに正式に雷門イレブンのメンバーとなった剣城は今日からサッカー部員として練習に参加することになっていた。

「つ、剣城と着替えるの初めてだね」
「だから何だ。女同士なんだし、別に恥ずかしがるようなことじゃないだろ」
「それはそう、なんだけど……」

 ブラウスの袖から腕を抜きながら、緊張の余り話題に困って口にした言葉は見事に空回りをしていた。というか、思ったことを繕わずにそのまま出してしまった感が強い。剣城は胡乱げな目で恥ずかしさに頬を赤くする天馬を一瞥すると、手に持った赤いTシャツをロッカーに突っ込んだ。乱暴な手つきだが、丁寧に畳まれているのが見た目とは打って変わって几帳面な性格が現れている。
 天馬はブラウスを脱いで、ユニフォームを被りながら、ちらりと剣城を盗み見た。同じようにユニフォームに手をかける剣城。天馬と同い年とは思えないくらい大人っぽい剣城は高校生だと云われても納得してしまうような雰囲気がある。そんな剣城に天馬はたまに飲まれてしまいそうになるときがあって、今がまさにその瞬間だった。何だか妙にどきどきするのは、初めて剣城とこうして普通に接している所為なのだろうか。今まで剣城とは彼女の挑発を受けたり、サッカーについて言い争ったり、基本的に意見を戦わせることが多かった。そうでない場合は話しかける天馬を無視する剣城という構図が定番で、改めて考えると、まともな会話を交わした記憶が無い。だから、例え素っ気なくても反応を返してくれるのは大きな進歩のように感じた。
 これから、もっとたくさん話をしたいな。
 制服のスカートの下からユニフォームのズボンを履きながら、天馬は剣城の笑った顔を思い浮かべた。偶然に出会った彼女の微笑みは普段の周りの人間全てを拒絶するようなするどさは無く、中学に上がったばかりの少女の幼さが覗いていて、とてもかわいかった。
 あんな顔を、おれにも見せてくれるようにならないかな。あんな風に、おれにも笑いかけてくれればいいのに。
 そんなことを思ってしまうくらいには、天馬は剣城に近付きたいと願っていた。何せ二人っきりの女子選手なのだ。天馬にとっては初めての同性のチームメイトでもある。出来るなら、もっと仲良くなりたい。
 それにはまず、相手を知ることが重要だ。なるべく一緒にいて、少しでも良いから会話をして、相手のことを知っていくこと。そして自分のことを知ってもらうこと。それが天馬がまだまだ短い人生で学んだ友達の作り方だった。

「ま、待ってよ剣城!」
「おまえが着替えるの遅すぎるんだ。これだから女子はって云われる前にとっとと着替えろ。練習遅れるぞ」

 とりあえず一緒に練習だ!
 心の中でそう意気込んだ天馬を置いて、先に更衣室を出て行こうとする剣城の背中に天馬が慌てた声を上げると、彼女は一瞬こちらを振り向いて、天馬を見た。天馬は慌ててファスナーを下ろしてスカートを脱ぐ。適当に畳んでロッカーに押し込んで、ばたんと扉を閉めると急いで剣城の後を追う。更衣室のドアに手をかけていた剣城は隣に並んでにこにこと笑う天馬をちらりと横目に見て面倒臭そうに眉を顰めたが、結局は何も云わずにグラウンドへと歩き始めた。








 思えば、最初からきっと天馬は剣城のことを「きれい」だと思っていた。見た目だけでは無い、剣城の圧倒的な強さ、ボールをまるで身体の一部であるかのように繊細に操る動作、突き刺さるような威力のシュートを打つその姿に天馬は出会った入学式のあの日から魅了されていた。高い位置で結い上げられた藍色の髪がなびかせて、頑ななまでに鋭く誰をも寄せ付けない眼差しでぐっと前を見据える剣城。剣城の云うことは天馬には理解出来ないことばかりで、とっても悲しかったし悔しかったし反発もしたけれど、それでもサッカーをする剣城は素直に「きれい」だと思った。
 抱え切れない感情を全てぶつけるような剣城のサッカーは図らずも彼女の事情を知ってしまった今考えると、とても痛々しいものだった。でもその中に剣城のサッカーへのやり切れない、真っ直ぐな思いが詰まっていたからこそ、天馬は「きれい」だと感じたのだと、今なら解る。だからこそ、あの時のぶつけられたボールの痛みも、剣城の姿も天馬の胸の内に刻み込まれてずっと、いつまでも消えてはくれなかったのだと。

「剣城、一緒に練習しよう! おれさ、ディフェンス練習したいんだ、手伝ってよ」

 葵に手伝って貰ってストレッチと準備運動を終えた天馬は更衣室でした決意を胸に剣城の元へと駆け寄った。そう、仲良くなるにはまず一緒に行動することが肝心だ。天馬はなるべく剣城が受けてくれそうな誘いを必死に考えて口にした。
 実際、天馬は今の自分に必要なのはディフェンス力の強化だと思っている。ポジション的にもディフェンスに行く前に中盤で攻撃を抑えられるならば、それに越したことは無い。攻撃面に置いては帝国戦で練習の成果もあってマッハウインドを習得したし、何より今では強力なストライカーである剣城がいる。チームとしての発展を考えても、今自分が練習すべきはディフェンス技だと天馬は思い巡らせていた。そしてその為にシュートだけではなくドリブルのテクニックにおいても巧みな剣城が練習の相手をしてくれるなら、天馬は自分がもっと成長出来ると確信していた。
 懇願するように上目遣いでじっと自分を見る天馬に剣城は一瞬逡巡するように目を逸らして、それからぽんっと足元のボールをつま先で蹴り上げた。跳ねるボールを両手で受け止めて、くるりと天馬に背を向けた剣城はすたすたと歩いていく。
 さすがに「嫌だ」の一言も貰えずにその場を去られるとは思わず、天馬はしょぼんと肩を落とした。こうも綺麗に無視されると振り出しに戻ったような気持ちになる。試合の高揚感もあっただろうし、あのときの剣城は普段とは違い大分精神的に弱っていたようだからその所為もあったのかも知れないが、帝国戦では天馬が振り向いたら微笑み返してくれたり、ハイタッチを交わしたりもしたのに、この素っ気なさは余りにも寂しい。うう、と唸りながら落ち込んで俯いた、瞬間。暗い影が天馬を覆った。頭上から降ってくる声に驚いて、ハッと顔を上げる。

「おい。……練習、するんだろ」
「…! うん!」

 ボールを脇に抱えた剣城がいつもの不機嫌そうな表情で天馬を見下ろしている。天馬は訳が解らずにぽかんとした顔で数秒剣城の琥珀色の目を見つめていたが、現状を理解すると見る見るうちに満面の笑みに変わっていった。弾んだ声で勢いよく頷いてみせる。茶色いくせっ毛の間から犬の耳でも生えていそうだ。
 剣城はどうやらキャプテンの神童に練習メニューの報告に行っていたようだった。周りを見ずに早とちりをしてしまった自分が恥ずかしくなるが、ここで再び下を向いてはきっと剣城は今度こそ天馬を置いて行ってしまうだろう。ぐっと前を向く天馬に剣城は手に持ったボールを足元に落とすと、挑発的に笑って見せた。

「とりあえず俺からボール奪ってみろよ」
「解った! 負けないからね!」

 気合を入れるように宣言する天馬に剣城はあくまでも余裕そうな態度を崩さない。天馬はぐっと奥歯を噛んで、剣城の方へ走り出した。剣城はひょいっとボールを蹴り上げると、胸でトラップしてくるりと天馬からボールを離してしまう。それでも諦めずに天馬は何度でも剣城からボールを奪うため、彼女に向かっていった。その度に剣城は繊細なボール捌きで天馬を翻弄してみせる。
 それをどれだけ繰り返しただろうか。さすがの天馬の荒い息を吐き、剣城もまた少しばかり呼吸が乱れてきたころ。何度も練習した成果か、最初よりも天馬は剣城に食らいつくことが出来るようになっていた。もう一度、と呼吸を整えて駆け出す。足先でフェイントをかけて天馬をはぐらかそうとする剣城に誤魔化されまいとボールを追う。もう少し、後一歩。そう思い、足を大きく前に踏み出した。途端に天馬の背中を押し出すように強い風が吹く。びゅうっと吹いた風は渦を巻くようにその場にとどまり、天馬たちの視界を遮った。余りの強風に天馬はぎゅっと目を瞑る。ボブカットにしている茶色い髪が風でばさばさと乱れた。

「……何、今の」

 ようやく風が収まって目を開けたとき、天馬の目に映ったのは険しい顔をした剣城と呆然と天馬を見つめている神童だった。しばらく何が起きたのか解らず放心状態だった天馬だが、我に返ると同時に剣城と神童の顔を交互に見つめ、ブルーグレイの丸い瞳ををきらきらと輝かせた。

「今の! 今の、何か起きましたよね!?」
「ああ。凄い風だった。……強い、力を感じた。これは、もしかしたら……」

 同意を求めるように神童をうかがう天馬に神童は神妙な顔で頷く。考え込むように顎に手を当て呟いた神童は天馬の背後にいる剣城へと視線を向けた。二人、顔を見合わせ、同じ認識を共有し合う。先程の風について、神童と剣城は同じ何かを感じたようだった。
 そんな二人に気付かず、天馬は浮かれたように破顔したまま、剣城を振り返る。

「新しい必殺技かな? 今の感じ、もう一回出来たら何か掴めるかも! 剣城、もう一回やろう!」

 強風に煽られ、明後日の方向へ飛んでいったボールを拾い、元の位置に戻る天馬の背に剣城のハスキーな声が届く。ボールを持ったまま、くるりと振り向いた天馬は真剣な顔の剣城に思わず身構えた。

「松風、おまえ」
「ん? なに?」

 乱れた横髪を整えた剣城はしばらく思案するように目を伏せていたが、やがて何でもないと首を横に振った。何か云いたげな様子だったのに結局は口を噤んでしまった剣城に天馬は小首を傾げるしかない。

「変な剣城」
「続き、やるんだろ」
「あ、うん!」

 普段通りのクールな口振りで続きを促す剣城に天馬は大きな声で返事をして、剣城に向かってボールを蹴った。そうして練習をしていると夢中になってしまって、掴めるかも知れない新しい力へのわくわくだけで頭がいっぱいになって、天馬は何時しかそんな剣城のおかしな態度や神童の意味深な発言など綺麗さっぱり忘れてしまっていた。








<prev/top/next>



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -