◇ あした、てんきになあれ。
時計の針が7時半を回る。ベッドサイドに置かれた時計をちらりと見て、俺は小さく溜息を吐いた。面会時間は8時までだ。今日はもう京介は来ないのだろうか。最近は部活で忙しいようだったが、それでも7時には必ず顔を見せてくれていたのに。
毎日来なくてもいい、と口では云っているものの、やっぱり京介に会えるのは嬉しい。思わず肩が落ちてしまう自分に苦笑しながら、仕方が無いと窓の外を見つめる。それにこの天気だ。外はどしゃ降りの雨でどんよりと重たく立ち込めた雲の合間からは雷まで見えた。さすがの京介も真っ直ぐ家に帰ったのだろう。
と、そこまで考えたところで勢いよく引き戸が開いた。
「兄さんごめん、遅くなって……」
学校から慌てて走ってきたのだろう荒い息を整えながら、いつものように丸椅子に腰掛ける京介を手招きする。ベッドサイドに置いてあるタオルを手に取って、濡れた髪を拭いてやった。
「京介。こんな日まで来なくても良いんだぞ。ほら、雨に濡れてる」
「ちょ、兄さんっ……自分で、出来るからっ…」
「良いじゃないか。少しくらい兄ぶらせてくれたって」
「……兄さん、」
最初は抵抗していた京介も俺のお願いに渋々と云ったように唇を尖らせ、大人しくなった。俯いた前髪の向こうに覗く頬が真っ赤に染まっているのを微笑ましく思いながら、手を動かす。普段はあっちこっち跳ね回っている髪が水分を含んでしっとりとしていた。
昔はよくこうして髪を拭いてやったなと思う。一緒にお風呂に入っていたから、京介の髪を乾かすのは俺の役目だった。今はもうそんなことも無いけれど。
「はい、おしまい」
「……ありがと」
伏し目がちに顔を上げた京介は恥ずかしそうにお礼を云う。そして、俺からタオルを受け取って自分の肩や腕を拭き始めた。どうやら大分濡れたようだ。風邪を引かなければ良いのだが。京介だってもう幼い子どもでは無いのだから、自己管理くらい出来るだろうに、そんな要らない心配をしてしまう。
大方、水滴を拭い終えた京介はふと気付いたかのように、俺の手元を指差した。
「それより兄さん、それ……」
「ああ、これか? てるてるぼうずだよ」
ベッドに備え付けられているテーブルの上に転がるてるてるぼうずを摘んで、京介に見えるように持ち上げる。京介はてるてるぼうずをまじまじと見つめると、疲れたように指でこめかみを押さえ、目を伏せて大きな溜息を漏らした。子どもみたいだと呆れられるかも知れないと予想してはいたけれど、まさかこんな反応をされるとは思わず、俺は目をぱちくりと瞬かせる。
「何で、そんなもの」
「明日、大事な試合だろ? 晴れますようにって思って」
あからさまに眉間に皺を寄せて問いかけてくる京介に俺はきょとんとしたまま、素直に答える。理由なんて単純だ。明日は大事な試合なのに、外はどしゃ降り、天気予報だと明日まで長引く可能性も高いという。だから晴れて欲しいな、と思った。子どものようだと笑われるかも知れないけれど、こういうおまじないは結構利くものだということを、俺は身を持って知っている。
「昔はよく作ってたよな。でさ、吊るすと必ず次の日は晴れたから」
「……そうだったっけ」
「そうだよ」
思い出のボックスを引っくり返して辿りながら話す俺に京介もまた昔を思い出すように遠い目をして呟く。
昔はよく俺の為に京介が作ってくれた。ジュニアチームの試合がある前の晩にはベランダに二人で作ったてるてるぼうずがたくさん並んで。京介は一生懸命目を閉じて、明日晴れますようにって祈っていた。でもそうして、お祈りをした次の日は必ず晴天に恵まれたのだ。
「…兄さん、昔っから手先だけは不器用だよな」
「上手く出来たと思うんだけどなあ」
机の上のてるてるぼうずを人差し指でつついて、京介が懐かしそうに瞳を眇める。俺にしてみれば、久しぶりに作った割りに良い感じに出来たと思うのだけれど、有り合わせの材料で作られたてるてるぼうずは確かに少し不恰好かも知れない。表情も、笑顔を描いたはずなのに少し歪になってしまっている。
けれど、そんな憎まれ口を叩きながらも、京介の顔は笑っている。
「……でも、ありがとう、兄さん」
くしゃりと歪められた表情はてるてるぼうずに似ている気がした。何処かぎこちなさを感じさせるそれは、上手く笑顔になり切れていない。そんな不器用さがどうしようもなく愛しくなって、俺は湿った髪に手を伸ばした。わしゃわしゃと昔よくしてやったように頭を撫でると、慌てたような声が聞こえる。
「明日、試合、頑張れよ」
「……うん」
控えめに頷く声。照れたように赤くなった耳を見下ろして、俺はてるてるぼうずに願いをかける。明日、無事に晴れて、試合が出来ますように。そして何よりも、京介が楽しんでサッカー出来ますように。
あした、てんきになあれ。
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