◇ ある土曜日の話  01






 何度もコール音を響かせる携帯を耳に押し当てながら、きょろきょろと辺りを見回す。まるで見たことの無い景色に僕は心底昨日の自分を呪った。
 こんなことになるんだったら、豪炎寺くんの云う通り、迎えに来て貰えば良かった・・・。せめて雷門中で待ち合わせにしていれば、こんなことにはならなかったはずだ。
 ああ、僕の馬鹿。そもそもまだこっちに来て日が浅いというのに、自分の土地勘とか記憶力とかを過信しすぎたのがいけないんだ。昨日、豪炎寺くんに大丈夫か?って何度も聞かれたのに。うん!なんて自信満々に頷いておきながら、この状況。僕はどうやって豪炎寺くんと顔を合わせれば良いんだろう・・・。

「うう・・・」
「もしもし、吹雪?」
「豪炎寺くん・・・・・・」

 ひたすら自己嫌悪に苛まれていると、コール音が途切れて、低くて安心感のある声が携帯の向こうから聞こえてきた。差し伸べられた救いの手に僕は縋るように咽喉から情けない声を絞り出す。

「どうしよう、迷っちゃった・・・・・・」
「だから迎えに行くと云っただろ」
「ごめんなさい。心の底から反省してるから、ゆるして・・・」
「はあ・・・・・・で、今何処なんだ? 解りやすい目印はあるか?」

 豪炎寺くんの呆れたような返事に僕は項垂れるしかない。まったくもってその通りです。本当に申し訳ありません。平謝りしても足りないくらいだ。
 でも豪炎寺くんはそのまま僕を放っておくような人では無くて、大きな溜息の後に仕方が無いとでも云いたげな声音で、それでも助け舟を出してくれた。やっぱり豪炎寺くんは、やさしい。

「えっとね・・・・・・、ううん、普通のお家ばっかりで解んないな・・・。あ、さっき、コンビニを通り過ぎたけど・・・」
「ああ、あの辺りか。近いな。じゃあ、その道を真っ直ぐ行け。突き当たったら左へ曲がって一つ目の角を右。前に立ってるから、しばらくしたら解ると思う。解らなくなったらまた電話をくれ」

 目印目印、と辺りを見回すものの、大通りを入った先にある閑静な住宅街には解りやすい目印らしきものは中々見当たらない。ふっと思い浮かんだ建物の名前を挙げれば、豪炎寺くんは的確な答えをくれた。
 さすが豪炎寺くん。試合の時も、頼りになる人だけれど、何だかとっても頼もしく感じるのは知らない場所で一人でいる所為だろうか。

「突き当りを左で、一つ目の角を右」
「ああそうだ。解ったか?」
「うん。ごめんね、ありがとう」

 豪炎寺くんが教えてくれた情報を頭に刻み込もうと口の中で反芻する。電話の向こうから心配そうな声が届くのに、今度こそ迷惑をかけないようにと大きく頷く。
 ここまで詳細に説明されて迷うほど、方向音痴では無い、はずだ。多分。
 ぷつりと切れた携帯を閉じて、とりあえず豪炎寺くんに云われた通りに目の前の道を突き当りまで歩く。駆け足になりそうになるのを必死に抑えた。
 ここで焦ってまた迷ったら、今度こそ豪炎寺くんに愛想を尽かされてしまうような気がした。頭の中で何度もさっきの説明を繰り返しながら、その通りに道を行く。

「えっと、ここを右に曲がれば・・・・・・あっ!」
「吹雪!」
「豪炎寺くん!」

 コンクリートの壁を右に曲がると、5メートルくらい先に豪炎寺くんが立っていた。豪炎寺くんがこちらを振り向くのに、僕は思わず駆け出してしまう。
 片手に持った紙袋を揺らさないように慎重に、なるべく早く着くように駆け足で豪炎寺くんの元へと走る。

「ごめんね、豪炎寺くん。手間かけさせちゃって・・・・・・」
「10分前になっても来ない時点で、嫌な予感はしていたからな・・・。しょうがない。今度からは雷門で待ち合わせにするべきだな」

 豪炎寺くんの前で立ち止まり、ぺこりと頭を下げて謝ると、豪炎寺くんは僅かに眉を寄せて、小さく溜息を吐いた。僕はその僕に対しての諦めを含んだその声を落ち込みながらも素直に受け止める。
 反論なんて出来るはずもない。今回のことは全て、僕が悪いのだから。きっと僕の眉は情けない八の字を描いているに違いない。
 中には入ったことは無いけれど、マンションの前までは何度か来たことがあったから、大丈夫だと自分の記憶を過信しすぎたのが、全ての敗因だったんだと今なら解る。どうして、昨日の時点で気付けなかったのかまでは自分でも解らないけれど。

「うう・・・。本当にごめんなさい」
「いや。それより、早く入ろう」

 肩を落として身を縮める僕に豪炎寺くんはそれより、とマンションの入り口へと足を進めた。そこで僕は改めて目の前の建物を見上げる。今風の品の良いマンションだ。
 豪炎寺くんが透明なガラスのドアの前でパネルを操作しているのを横目に見つつ、玄関ホールをぐるりと見渡してみる。田舎育ちの僕にはよく解らないけれど、東京だし、きっと高いんだろうなあ、と思う。ほら、現にセキュリティもしっかりしてるみたいだし。北海道の僕の家の周りは一戸建てが多かったし、こんな風なマンションってあんまり見ないから、何だかどきどきする。ちょっとだけ、憧れる。

「ほら、こっちだ」
「うん」

 どうやら僕たちは無事にマンションの中へ入れるみたいだ。頑なに閉じていたドアが自動的に開いて、僕は豪炎寺くんに云われるがままに彼の後をついていく。
 エレベーターに乗って、豪炎寺くんは七階のボタンを押す。そして、ふと気付いたように、僕の手に下げられた紙袋に視線を移す。

「そういえば、その袋は何だ?」
「いや何か、お世話になることだし、初訪問に手ぶらはどうかなって思って。ケーキ買ってきたんだ。後で食べようよ」
「気を使わせたな、すまない」
「ううん。豪炎寺くん、甘いの好きでしょ? ここのお店のケーキ、すっごい美味しいんだ。楽しみにしててね」
「ああ」

 豪炎寺くんがクールな性格や見た目に似合わず、甘いものが好きなことは既にリサーチ済みだ。というか、一緒に合宿とかしてたら、自然と知ったというのが正しいけど。
 だから今日、ここへ来る前に僕はお気に入りのケーキ屋さんでいわゆる手土産を購入してきたのだった。僕の言葉に豪炎寺くんはすまなそうに普段は釣り上がった眉を微かに下げる。
 だけど、僕が笑顔で答えると、引き結ばれた口許を緩めて、笑ってくれた。その表情に僕も嬉しくなる。やっぱり贈り物って相手に喜んで貰ってこそ、だよね。

「ここだ」

 そうこうしている内にエレベーターは僕たちを目的の階へと運んでくれたらしい。豪炎寺くんの部屋の前まで導かれ、彼が鍵を開けるのを見守る。
 開かれたドアの先には妹さんのものと思われる小さな可愛らしい靴が幾つか、そして豪炎寺くんのスパイクやスニーカー、それにひとつ、大人の女性が履くようなパンプスがあった。

「えと、おじゃまします・・・」

 小さくお辞儀をしながら、きちんと揃えられた靴に並ぶように慎重にスニーカーを脱ぐと、豪炎寺くんがタイミングよく来客用のスリッパを出してくれる。
 それを履いて、豪炎寺くんの後ろをついていく。と、廊下の先にあるドアが勢いよく開いて、その向こうから跳ねるような甲高い声が響いた。

「お兄ちゃん!」
「夕香」

 三つ編みお下げの可愛らしい女の子がぴょんぴょんと飛び跳ねながら、豪炎寺くんに駆け寄る。そしてそのまま抱きついた。豪炎寺くんは手馴れた様子でその子を抱きとめ、とびっきり甘い声で名前を呼ぶ。
 僕、聞いたことないよ、こんな豪炎寺くんの声。びっくりして見開いた僕の目に映る、一歩後ろから見える表情も見たことが無いくらい、やさしい。
 普段はクールでどっちかというと無表情っぽいのに、ああ、大切なんだなって僕でも一瞬で解ってしまう。意外と解りやすい人だったんだね豪炎寺くんって。これは新たな発見だ。

「あれ、後ろのお兄ちゃんは?」
「ああ、チームメイトの吹雪だよ」

 豪炎寺くんに抱きついたままの女の子、―――夕香ちゃんが僕のことに気付いたみたいで、ちらりと僕を見る。釣り目なところは豪炎寺くんと似てる、かも。でもきっとお母さん似なんだろうな。豪炎寺先生にもあんまり似てない気がするし。
 そんなことを考えながら僕は初対面の相手に向けるとびっきりの笑顔で挨拶をした。

「初めまして、夕香ちゃん。僕は吹雪士郎といいます。豪炎寺くん・・・、お兄ちゃんとはサッカー部の友達なんだ」
「吹雪お兄ちゃん?」
「うん。そうだよ。お兄ちゃんから夕香ちゃんのことはたくさん聞いてるから、会えて嬉しいよ」

 小首を傾げて僕の名前を確かめるように口にする夕香ちゃん。うん、確かに可愛い。これは豪炎寺くんがメロメロになるのも解らないでもない。
 中腰になって、なるべく解りやすく、優しい口調でゆっくりと話すと、夕香ちゃんは最初の警戒を解いてくれたようで、豪炎寺くんから離れて、僕の方へとやってきた。そしてまた小さく首を傾げる。丁寧に結われた三つ編みが揺れた。

「夕香のこと知ってるの?」
「うん。お兄ちゃんがよくお話してくれるからね。夕香ちゃんのことが大好きだって」
「ほんと!?」
「吹雪」

 夕香ちゃんの顔がパッと輝くのと同時、豪炎寺くんの頬が赤くなる。上擦った声でこれ以上しゃべるな、とでも云いたげに釘を刺してくる。豪炎寺くんって結構恥ずかしがりやだよね。

「照れちゃって」
「もういいだろ。早くしないと時間無くなるぞ。先に部屋に行っててくれ。そこのドアだから」

 思わずにやついてしまった僕に豪炎寺くんは早々と話を切り上げてきた。僕、もうちょっと夕香ちゃんとおしゃべりしたかったのにな。可愛いし、僕結構子ども好きなんだ。
 豪炎寺くんは僕の手から紙袋を奪うと、夕香ちゃんを廊下の突き当たりの、恐らくリビングだろう部屋へと追いやっていった。しょうがないので僕も諦めて、豪炎寺くんが指差した部屋のドアノブを握る。

「吹雪お兄ちゃん、またね!」
「うん、夕香ちゃん、また後で遊ぼうねー」

 振り向いて、夕香ちゃんがにっこりと笑顔で手を振ってくれる。それに僕も満面の笑みで返事をした。やっぱり子どもって可愛いよね。何であんなに天使みたいな笑顔を浮かべられるんだろう。
 自然と緩む頬に豪炎寺くんが微妙に顔を顰めたけれど、僕は知らん振りをして、夕香ちゃんに手を振り返した。








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