◇ まずはあいさつから  前編






 現在、このチームには幾つかの不協和音がある、と僕は思う。それは何だかおかしな様子の豪炎寺くんのこととか、他にも思い浮かぶものだけでも何個かあるのだけど。
 その中のひとつとして、彼の名前を挙げるのはきっと僕だけじゃないはずだ。そう、彼、不動明王くんのことを。






「おはよう」

 朝、食堂の入り口で擦れ違った不動くんに僕はなるべく人好きのする笑顔を浮かべて、挨拶をした。不動くんはちらりと僕を見ると、つんと澄ました顔ですたすたと歩いていく。
 ああ、今日もダメだったな。僕は少し落ち込んだ顔でマネージャーから朝ご飯を受け取る。今日でちょうど十二回目。単に朝の挨拶をしているだけなのに、ああも素っ気無い態度を取られるとさすがに少し寂しい。

「どうした、吹雪。落ち込んだ顔して」

 朝食が載ったトレイを持って適当に空いた席に座ると、ちょうど目の前でお魚をむしっていた風丸くんが僕の顔を覗き込んで、話しかけてきた。

「そう、見える? 風丸くん」
「ああ」

 小首を傾げて問いかけると、しっかりと頷かれる。ううん、思っていたよりも顔に出ていたみたい。ポーカーフェイスは結構得意だと自分では思っているのだけど。
 心配そうに眉を顰める風丸くんに何だか悪いような気がして、僕はこの表情の原因を素直に風丸くんに打ち明けることにした。いただきます、と箸を持って一礼して、お茶碗を片手に口を開く。

「あのね、僕、不動くんに毎日挨拶してるんだけどね、」
「は? 不動に?」

 風丸くんは口に含んでいたものをごくん、と飲み下して、目を見開いた。驚いた顔で僕のことを見つめる。そりゃ、気持ちは解るよ。僕だって真帝国のあの場所にいたんだから。
 皆が不動くんにわだかまりを持つのも当たり前のことだ。僕だって、染岡くんの足を怪我させて、佐久間くんたちをあそこまで追い詰めた不動くんのこと、完全に許したわけじゃない。
 でも、だからってこのままでいていい訳じゃないとも、思ってる。緑川くんだってヒロトくんだって、昔は敵だった皆だけど、今は同じチームで戦う、チームメイトなんだ。それは不動くんも同じはず。

「うん。いつも素っ気無いから、僕、嫌われてるのかなあ、って」

 風丸くんの視線を受けながら、僕は最後まで心にあった気持ちを吐き出した。それから、はあと溜息を吐いて、お味噌汁を啜る。あ、あったかくって美味しい。今日の具はお豆腐だ。
 風丸くんは少しの間、僕の言葉に固まっていたみたいだったけど、我を取り戻したのか、お茶を一口飲んで、僕に向き直った。真剣な目だった。

「不動のそれは吹雪にだけじゃない。あいつ自身に、馴染む気が無いんだろ」

 そうなのかな。うん、確かにそれもきっと不動くんがずっとチームで浮いている理由のひとつではあるのかも知れない。彼は頑なに人と接するのを拒んでいるように僕には見える。そんな彼にとっては、僕がこうして挨拶をすることも迷惑なことなんだろう。
 だけど、僕は止めたくなかった。これはある意味、意地だ。僕がこうして挨拶をして、返してくれなかった人なんて片手で数えられるくらいしかいない。僕の手を振り払った染岡くんだって、五回目には答えてくれたのに。
 それに、僕は知ってるんだ。今は気付けなくたって、後になって解ることだってあるんだって。

「とにかく、吹雪が気にすることじゃないさ」
「うん、ありがとう、風丸くん」

 励ますように笑ってそう云ってくれる風丸くんに僕も微笑み返して、サラダのプチトマトに箸を伸ばした。






 合宿所の朝は早い。というより、早く起きないと、洗面所が大混雑になるし、朝ご飯を食べる時間が短くなってしまう。練習が始まる時間はきちんと決まっているから、寝坊すればするほどその他に使える時間が足りなくなってしまうのだ。だから僕はなるべく早く起きるようにしている。
 朝が少し苦手な僕にとって、それは中々難しいことなのだけど、今のところ、寝坊をして朝ご飯を食べ損ねたり、練習に遅れてしまうことは回避している。いつもギリギリ、ではあるけれど。
 そんな僕だから、その日、皆が起きる前にぱっちりと目が覚めたのは本当に珍しいことで、自分でも時計を見て、目を丸くしてしまった。
 でも、このまま二度寝なんかしてしまったらきっと寝坊してしまうと思った僕は早めに寝巻き代わりのTシャツと短パンからジャージに着替えて、洗面所で顔を洗って、合宿所を出た。
 せっかく時間が出来たのだから、練習をしたいと思った。土方くんとの連携技も呼吸が合わないのか、いまいち上手くいかないままで、僕は若干、煮詰まっていたのかも知れない。
 ウルフレジェンドも止められてしまったしシュートをもっと鍛えなきゃ、それに新しく考えたディフェンス技ももう少し詰めて練習しないと。とにかく、このままじゃいけない。そんな気持ちで一杯だった。
 朝の空気はしんと冷えていて、胸いっぱいに吸い込むと頭がキンと冴えていく気がして、気持ち良かった。僕はうんと伸びをすると、グラウンドへと向かう。

「さすがに誰もいない、ね」

 普段は皆が駆け回っているグラウンドは静まり返っているようだった。だから僕は安心して、いつも仕舞ってある倉庫からボールを出して、ゴール前まで走った。
 ところが、僕の予想に反して、そこには先客がいた。思いもよらない人物に僕は驚いて、彼の名前を呼んでしまう。

「・・・・・・不動くん?」

 不動くんの足元にはボールが転がっている。どうやら彼も練習をしていたみたいだ。僕をちらりと一瞥して、不機嫌そうに鼻を鳴らし、自分の練習に戻っていく不動くん。
邪魔をしちゃいけないと思った僕は不動くんが使っているのとは反対側のゴールを使うことにした。
 とりあえず身体を慣らすようにボールを蹴ってみる。ドリブルして、シュート。ボールはゴールネットに吸い込まれていく。それをしばらく繰り返して、僕はふうとひとつ、深呼吸をした。
 ふと辺りを見回してみると、ボールを巧みに操って、ジグザグにドリブルをしている不動くんの姿が見えた。やっぱり上手いなあ。感心して眺めていたら、視線に気付いた不動くんが眉を顰める。

「あ、ごめん、見られてたら気が散っちゃうよね」

 焦った僕は口を突いて出るままに謝罪をして、彼に背中を向けた。僕も練習しなくっちゃ。ひたすらにボールを蹴って、シュート練習を繰り返す。ボールが幾つもゴールネットに絡め取られていく。
 普段はパスやフォーメーションの練習も多いから、こうして個人技に割かれる練習時間は多い訳じゃない。自分で、時間を見つけて練習しなきゃ、チームの力にはなれない。
 皆とサッカーをするのはとても楽しいことだけど、その楽しいサッカーをする為には強くならないといけない。だって僕は、日本代表なんだから。
 力一杯、蹴ったボールはクロスバーに当たって跳ね返った。飛んでくるボールを胸で受け止めて、僕は荒い息を吐く。

「っはあ、は・・・・・・」

 さすがに咽喉が渇いたかも知れない。というか、今は何時なんだろう。日も昇ってきたみたいだし、そろそろ食堂に行かないとまずいかな。
 膝に手をつき俯いて息を整えながら、そんなことを考えていると、ふいに後ろから声が降ってきて僕はびくんと肩を震わせた。

「・・・・・・一人で逸りすぎなんじゃねえの?」
「え?」

 だって、まさか。不動くんが声をかけてくれるなんて思ってもみなかった。慌てて振り返った僕に彼は射抜くような視線を投げて、ボールを片手に抱え、宿舎へと帰っていく。
 僕は目を丸くして固まるしかなかった。だって、だって、あの不動くんだよ? 朝、十五回、挨拶したって返してくれない、鉄壁のあの不動くんが、僕に声をかけてくれるなんて。嘘みたいな出来事だ。
 僕の練習、見てたんだろうか。そうじゃないとあんな言葉、出ないよね。足元のボールを見つめ、僕は彼の言葉を思い返す。そして、僕の中の彼の認識を少し、改めることにした。
 僕は彼のことを、頑なに他人と関わろうとしない人だと思っていたけれど、それは少し違うのかも知れない。意外と、彼はちゃんと周りを見ているし、気にかけているのかも。ただ、それを表すことを拒んでいるだけで。それに自分自身、気付かないようにしているだけで。小さくなっていく彼の背中を見送りながら、僕はそんなことを思った。






 その日、土方くんとした連携技の練習はまだまだ完成した訳じゃないけれど、今までよりもずっと手ごたえを感じることが出来るものだった。
 土方くんが蹴ったボールに追いついて、スピードを合わせた上でシュートしなければいけないこの技はタイミングがとても重要だ。彼の云う通り、僕は少し焦りすぎていたのかも知れない。
 二人の呼吸が合わなくちゃ、この技は完成しないんだ。だから僕一人、急ぐんじゃダメなんだよね。こんな当たり前のこと、教えて貰うなんて、僕はどうかしていたのかな。
 だけど、もう大丈夫。そんな気持ちを込めて、僕はにこりを笑って、彼の隣をわざと通り過ぎる。

「・・・・・・ありがとね」

 不動くんはむすっと黙り込んだままだった。でも、ほんの一瞬だったけど、ふっと微かに、本当にじっと見ないと解らないくらい微かに、笑ってくれたように見えたのは、僕の錯覚だったのかな?








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