◇ ブルーバード  05






「佐久間、ちゃんと火加減見といてくれよ。大丈夫だとは思うけど、吹きこぼれたらアウトだぞ」
「解ってるって。任せとけ!」
「いまいち任せられないから云ってるんだよ……」

 ノートパソコンのおかげで何とか卵粥の作り方を把握した俺は今のところ無事におかゆ作りを進行していた。要するに洗った米に分量の水を入れ、ひたすらふつふつと鍋を火にかけていれば良いんだ。問題は水の分量と火加減。分量はきっちり量ったから、後は火加減だけだ。
 レシピ通りなら、ずっと弱火で小一時間煮立てていれば良いようなので、とりあえずそっちは佐久間に任せて、俺は冷蔵庫を開けた。

「ん? 他に何か作るのか?」
「ああ、ちょっと、な」

 さっき冷蔵庫を覗いた時に見つけたものを取り出して、まな板の上に置くと、佐久間が隣からひょいと覗き込んできた。

「りんご? 美味そうだな」
「冷蔵庫覗いたらあったからさ。どうせ粥が炊けるまで時間あるし。30分もあれば出来るから」
「……? 皮むくだけじゃないのか?」
「いや、コンポート作ろうと思って」
「コンポート?」
「簡単に云うと、りんごを砂糖で煮たやつだよ」

 小首を傾げる佐久間に真っ赤な小ぶりのりんごを二つ、水洗いしながら説明する。確かに普通に暮らしていたら、コンポートなんてあんまりお目にかかることは無いだろう。アップルパイの中身として食べたことはあるかも知れないが。
 俺の指示通り、コンロの前からは動かないものの、佐久間は俺の手元を興味深そうに見つめている。俺はりんごの皮をむきながら、何となく思い浮かぶままに口を開いた。

「昔から風邪引いたら母さんが作ってくれたんだよ、コンポート」

 家で風邪が蔓延するのは大抵秋から冬にかけての季節の変わり目で、冷蔵庫には当たり前のようにりんごがあった。母さんは普段、あんまりお菓子とか作る人では無かったけど、俺や姉さんが風邪を引くと、いつもコンポートを作ってくれた。確か最初は普通にりんごを切っただけだったのに、姉さんだったか俺だったかが固くて酸っぱいと安物のりんごに文句を零したのがきっかけだったような気がする。母さんからしてみれば、安物のりんごでも子どもに美味しく食べて貰おうと苦心した結果だったのだろう。それから家で風邪を引いた時にはコンポート、が定番になったのだ。

「姉さんが風邪の時とか母さんと一緒に作ったから、作り方覚えてるんだ」

 母さんの手伝いは多分よくする方に分類されるのだろうけど、作り方まで教えられたのはあれっきりだ。あの日はたまたま部活が休みの日で、家に帰ったら母さんがりんごの皮をむいていた。何となくその場を立ち去れなくて、隣で洗い物を手伝いながら、時折母さんの声に耳を傾けて、水仕事に荒れた白い手が甘いコンポートを作っていく様をじっと眺めた。難しい料理では決して無いし、手順も少なく簡単なのだけれど、そのひとつひとつの作業に性質の悪い風邪を引いて寝込んだ姉さんに対する愛情を感じたのをよく覚えている。
 皮をむいたりんごをさくさくと四等分に切り分け、真ん中の部分をくりぬきながら、あの日のことを思い出す。あれから実際に作ったことは無かったのだけれど、意外と覚えているものだ。

「アイスクリームに添えると冷たくて甘くて美味いんだぜ」
「良いなー、俺も食いたい」
「きっと余るからお前にもやるって」
「よっしゃ!」

 甘いものに弱い佐久間が嬉しそうにガッツポーズをする。四等分になった二つのりんごは今、綺麗に鍋の中に並べられていた。

「佐久間は何か無いのか?」
「何が?」
「風邪引いた時の思い出」

 砂糖を計量しながら、ふいに思いついたことを訊ねる。佐久間はおかゆの鍋の蓋を少し覗き込んで、顔を上げた。

「俺のおふくろってあんまり料理得意じゃなかったからな。あ、でも、粉薬が嫌だって云ったら、コーラに混ぜて出されたことあるぞ」
「……お前のお母さんって天然?」

 普通、粉薬を飲みやすくするならオブラートで包むとかだと思うんだが。目を丸くする俺に佐久間は苦笑いだ。

「たぶん。後はそうだな、プリンだな」
「プリン?」
「そう。駅前のケーキ屋のとろとろたまごプリン。一個300円くらいすんの」
「そりゃまた高いな」
「それを兄貴が学校の帰りに買ってきてくれるんだよ。普段は喧嘩ばっかしてるんだけどな。さすがに病気ん時は優しくてさ」

 プリンに目を輝かせる佐久間の様子が目の前に容易に浮かんで、俺は思わず小さく笑ってしまった。佐久間の兄もまた、普段は憎まれ口を叩いて喧嘩ばかりしていても、その時ばかりはその顔を楽しみにプリンを買って帰るのだろう。少し照れくさそうに笑う佐久間の顔が眩しく見える。その裏にあるあたたかい家族の情景。
 冷蔵庫から料理用の白ワインを取り出して計量カップに注ぎ、それを鍋の中に入れながら、ぼんやりと夕陽の差し込む自宅の居間を思い浮かべた。あれもまた、俺にとっての家族の情景だ。

「こうして思い出すとちょっと懐かしいな。もう大分家に帰ってないし」

 佐久間が懐かしそうに目を細める。俺もまた無性に懐かしくなって、素直に頷く。

「そうだな。俺も一週間くらい前に母さんに電話したっきりだ」
「あ、やばい、俺、電話すんの忘れてた」

 スプーンで掬った砂糖をりんごに振りかけながら呟くと、佐久間が慌てたようにポケットから携帯を取り出した。だから国際電話は通話料が、と云いかけて、諦めた。帝国なんて学費の高い私立に通っているんだし、きっと佐久間の家は俺の家なんかよりずっと裕福なんだろう。少なくとも、国際電話の通話料について口酸っぱく云われてはいないようだ。
 電話をかけ始める佐久間を横目におかゆの鍋の隣にりんごの入った鍋を並べ、火をつける。後は一旦沸騰したら、火を弱めてしばらく煮るだけだ。ボールや計量カップを流し台に置いて、火加減を見ようとりんごが入った鍋を見る。くつくつと沸き始めた煮汁からは甘い匂いが立ち上っている。
 このまま行けば、後、30分もしない内におかゆも出来上がるだろうと予想を立てながら、吹雪とヒロトはどうしているだろうと思う。何かあったら調理場まで来るだろうから特に心配はしていないけれど。これ以上熱が上がったら、一日では治らないかも知れない。
 そこまで考えて、ふとヒロトの赤くなった頬を思い出した。何でも無いと平気そうな顔をして体調不良を隠そうとしたヒロト。ごめんね、と懸命に眉を下げて謝っていた吹雪。二人の境遇を考えれば、そんな風に変なところで遠慮したり、縮こまったりすることは決しておかしなことでは無いのだけれど、やっぱり少し寂しいと思った。気を許してくれていない、という訳では無いのだろうが、少し距離を感じてしまう。二人が皆に内緒で必殺技を考えていたということもそれに拍車をかける。あんなにきつく口止めをするのだから、きっとその技はヒロトにとっても、吹雪にとっても、大切なものなのだろう。俺は、そんな二人の中には入れない。

「あ、まずい」

 沸騰した煮汁が吹きこぼれないように弱火にして、アルミホイルで作った落し蓋を被せる。ふつふつと泡が立つ鍋の中でりんごは順調に甘い汁を吸い込んで、煮えている。
 その甘い匂いを吸い込んで、ふいにどうして自分がコンポートを作ろうと思ったのかが解った気がした。りんごを見つけて、思わず懐かしくなったから作り始めた、ただそれだけだと思っていたけれど。
 俺にとってこれは「当たり前」の一つなんだ。
 俺は極々普通の一般家庭に生まれ育っていて、吹雪やヒロトに声をかけられるほどの何かを持ち合わせていない。だから出来ることがあるとするなら、当たり前を当たり前のこととしてしてやることだけだ。風邪を引いたら心配して、出来るだけ消化の良いものを作って、氷枕を用意して、薬を飲ませて。そんな、何処にでもある当たり前。そうして、心配しているんだって伝えること。病気の時くらい甘えても良いんだと云ってやることくらいしか出来ない。そして俺はその中の一つとして、自然にコンポートを作ることを選んだ。それはきっと、あの家で育まれた日常の中で「当たり前」の一つとしてあったからなのだろう。

「……喜んでくれると良いけどな」

 どんな料理だって相手の笑顔を考えて作ることが一番のスパイスなのよ、そう云って笑った母親の顔が瞼に浮かんだ。








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