※若干ゲーム設定入ってますが、アニメだけでも普通に読めると思います。






◇ さよならナイトメア






 真っ白な空間に、立っていた。辺りは靄がかかったように白く、何も見えない。きょろきょろと辺りを見回すものの、何一つ存在しないだだっ広い空間が広がっているだけ。
 天井も無ければ空も無い、床も無ければ地面も無い、そんな世界に、ぽつん、とたった一人、僕は佇んでいた。

「夢、だよね」

 ぽつりと呟く。そうだ、これは夢だ。頬っぺたを抓ったら痛みを感じるけれど、でも、これは夢なのだ。何度も何度も念じるように、心の中で繰り返す。夢なら、早く覚めれば良いのに。
 白、は嫌いだ。特にこんな風に白に囲まれていると、何もしていなくても、気分が沈む。思い出してしまう、何もかもを奪っていった瞬間のこと。あの雪の日を。
 脳裏をあの記憶が過ぎった瞬間、急に風が吹いてきて僕は俯いていた顔を上げた。空気が、冷たい。

「雪・・・・・・?」

 いつの間にか、僕は白い雪原にいた。積もった雪、肌を刺すような凍える風、見上げた空はどんよりと曇った灰色だ。一歩、前に歩いてみると、足元には馴染んだ感触がある。
 ここは何処なのだろう。辺りを見回す僕の目に、人影が映った。大きな背中、跳ねた髪。忘れられない、その姿は。

「お父さん! お母さん!」

 思わず声を張り上げて名前を呼ぶ。すると、その人影は僕の方を振り向いた。よくやったなといつも僕の頭を撫でて褒めてくれたお父さん、強い子になりなさいと僕を抱き締めて云ったお母さん。
 片時も忘れたことの無い、目蓋に焼きついた二人の姿。お父さんとお母さんは僕の顔を見ると、あの日のように優しく微笑んで、その思い出の中と同じ声で僕のことを呼んでくれた。

「「士郎」」

 思わず、涙が出た。目の前が滲んで、ぼやけて、寒さに赤くなった頬を温かい滴が濡らしていく。何でだろう、何度も同じような夢を見たことがあるのに、僕は夢の中で必ず泣いてしまう。
 現実では、泣けないのに。いやむしろ、現実では泣けないから、なのだろうか。次々と溢れていく涙を僕は一生懸命袖で拭う。きっと顔はぐちゃぐちゃなんだろうな、と思った。
 だけど、この胸に去来する、どうしようもない甘い痛みを吐き出す術を僕はこれ以外知らない。

「兄ちゃん」

 懐かしい声に僕は勢いよく顔を上げた。涙を拭っていた袖を下ろすと視界には桃色の髪。大切な、僕の兄弟。ずっとずっと一緒にいて、誰よりも僕の近くにいた、大好きな僕の片割れ。
 あの日と同じ、幼いアツヤが僕を睨むように見ていた。その挑戦的な表情さえ、愛しくて堪らなくて、堰を切ったように溢れ出す感情がまた、涙になって流れていく。

「吹雪」
「染岡くん・・・」

 耳慣れた声に霞んだ視界を拭えば、そこには昨日会ったばかりの仲間。さよならと、当たり前のように手を振って別れた友達。無愛想な表情で、それでも優しい眼差しで僕を見ていてくれる人。

「「吹雪」」
「風丸くんに、鬼道くん?」

 そして、その隣には苦笑いを浮かべた二人。僕の顔、そんなにおかしいかな。・・・・・・おかしいか。こんなに涙でぐちゃぐちゃなんだから。
 吹き荒れる雪風が僕の身体を冷たくしていくのに、流れ落ちる涙だけはずっと温かいまま、僕の頬を伝っている。何でだろ、止まんないや。別に泣かなくたっていいはずなのに。
 だって皆には、いつだって会えるんだもの。明日、学校に行って、部室を覗けばいいんだ。そうしたらきっと、皆笑顔で迎えてくれる。ほら、こんな風に。

「「「「吹雪」」」」

 目を細めて微笑む二人の横に並ぶ、仲間たち。一緒にボールを蹴り合った僕の、大切な大好きな人たち。なのに、涙は止まらない。

「吹雪!」
「キャプテン」

 キャプテンが元気な声で僕を呼んだ。僕を見ているキャプテンの笑顔はいつだって眩しい。太陽みたいに、ずっと燃え続けて周りを照らす光。僕はその笑顔に何度も救われてきたんだ。
 大切な人がずらりと僕の目の前に並んで、皆、それぞれその人らしい表情で僕を見ている。優しく微笑むお父さんとお母さん、強い眼差しで僕を射抜くアツヤ。無愛想な染岡くん、苦笑している風丸くんと鬼道くん、笑顔のキャプテン。
 そして、無表情の中に熱く滾るものを持っている彼。

「吹雪」

 落ち着いた声が聞こえる。低くて芯をしっかりと持った、力強いそれは弱くて臆病な僕を叱咤し、すくい上げてくれた声音だった。皆の声に誘われるように、僕は足を踏み出す。
 その瞬間、
 視界が、白く染まった。







「っはっ、はっ、は・・・・・・、は・・・っ」

 胸の動悸が治まらない。どくん、どくん、どくん、ひたすら騒ぎ立てる心臓。荒い呼吸音が耳につく。何度息を吸っても落ち着かない。口は酸素を取り込んでいるし、心臓だって血を送り出しているのに、全然楽にならない。むしろ更に苦しくなっていく。
 何でどうして、くるしいよ。頭が、ボーっとする。目の前が、霞んで、白く、白くなって・・・。

「吹雪っ?」

 遠くへ飛びそうになった意識を呼び止める声。僕の大切な人の声。厳しくて最初は怖くて堪らなかった、でも本当はとても優しい響きを持つ彼の声。
 あれ、何で聞こえるんだろう。だって、だって、きみはいなくなっちゃった。いなくなっちゃったはずなのに。あの日みたいに、アツヤみたいに。僕の大切な人はいつだって、何の前触れも無くいなくなる。みんなみんな、白に飲まれて消えてしまう。きみだって、きみだってそうだった。なのに、どうして?

「吹雪、落ち着け、落ち着いて、ゆっくり息をするんだ」

 ぐっと力強い腕で身体を起こされて、抱き締められる。あったかい感触がした。それだけで、強張った身体が解けていくような気がする。
 口許を彼の手で覆われる。生温かい呼気が彼の手を湿らせていくのが解った。吐いた息を吸って、吐いてを繰り返しているとだんだんと意識がはっきりしてきた。
 背中を撫でる手が、あったかい。やさしい。彼の胸に押し当てられた左耳からとくんとくんと鼓動が聞こえて、何だか無性に泣きたくなった。生理的に滲んでいた涙が滴に変わる。

「ご、・・・えんじ、くん」
「吹雪」

 途切れ途切れに、掠れた声で名前を呼ぶと彼は確かなものを返してくれた。ぎゅ、と腕に込められる力。同い年なはずなのに、僕よりずっとたくましい身体は僕を容易く包み込む。
 ぼろぼろと溢れる涙が止まらなくて、彼の寝巻きのジャージに染みが広がっていく。あれ、止まんないや。どうしてだろ。僕、こんなに泣き虫じゃないのに。泣き虫じゃなくなったはずなのに。
 それでも涙は溢れる。しがみつくように彼の背中へ腕を回せば、彼は僕の髪に顔を埋めるように抱き締めてくれた。全身で、感じる。彼のあたたかさ、やさしさ、そして今ここに彼がちゃんといること。聞こえる心臓の音と触れる肌の温もりが教えてくれる。それだけなのに、それだけのことなのに、どうしようもなく、心が落ち着いた。
 きみは、生きているんだ。

「ご、めん。取り乱しちゃって」
「怖い夢でも見たのか」
「ん・・・・・・、ちょっとね」

 顔を上げて謝罪をすれば、彼は宥めるような、きっと夜、怖くて眠れなくなった妹さんにしているように―――、柔らかい表情で僕を見つめた。
 そんな顔をしてくれるのが嬉しくて、同時に気恥ずかしくて、心配かけちゃったな、と思う。真剣な声で問いかけてくる彼に僕は誤魔化すように曖昧に笑った。これ以上、心配をかけたくなかった。
 でも、その瞬間、彼の表情が一変した。厳しい顔。まるで、間違った完璧を目指していた僕を叱咤した時のような。真面目な顔。

「隠すな」
「え?」
「悪い夢は、人に話せば現実にはならない。だから、」

 彼の豹変についていけずに小首を傾げる僕に彼は一生懸命に言葉を紡ぐ。しかし元々、そんなに口数の多くない彼はすぐに詰まって、口を噤んだ。
 途切れた言葉の先を探すように、ああでもない、こうでもないと悩んでいるのが表情で解る。そんな彼が堪らなく愛しくて、僕はちゃんと伝わったことを示すためにひとつ、頷き返した。

「うん、そうだね。ちゃんと、話すよ。あのね、怖い夢、見たんだ」

 一度は飲み込んだ言葉をなるべく簡潔に口にする。

「僕の、大切な人が皆、いなくなっちゃう夢」

 お父さんとお母さんとアツヤ。それにチームの皆。皆みんな、僕の目の前で雪に飲み込まれちゃう夢。きみが、いなくなっちゃう夢。

「ダメだね、僕。生まれ変わった、はずなのにね。こんな風に豪炎寺くんに迷惑かけちゃって、」

 最後に自嘲するように笑うと、それまで真剣な顔で僕の話をじっと聞いてくれていた彼が口を開いた。怒ったような声音に僕は少しびっくりして、肩を揺らしてしまう。
 だけど、彼が苦しげに眉間を寄せるから、彼が僕に対して怒っているんじゃないことを知った。僕はいつも、君を強くて格好良くて優しくて、完璧な人だと思ってしまうけれど、でもきっとそうじゃないんだよね。

「そんなことはない。誰だって見るさ。・・・・・・オレも」
「豪炎寺くんも?」
「夕香がいなくなるかも知れないと、何度も夢に見た」
「・・・・・・そっか」

 その時のことを思い出しているのか、彼は眉間に皺を刻んだままだ。誰よりも家族思いな彼だから、それはとても恐ろしい夢だったんだろう。さっきの、夢みたいに。彼の手が、小刻みに震えている。
 完璧に見える彼でも、完璧じゃない。どんな人でも、一人じゃ完璧にはなれなくて。だから、こうやって寄り添うのかな。だから、こんな風に人は人を、大切に想うことが出来るのかな。

「誰だって、怖い夢のひとつやふたつ見る。怖い時や寂しい時に、少しくらい人に甘えたって別に罰は当たらない」
「・・・・・・ありがと」

 離れていた距離をぐっと抱き寄せられて、僕は彼の胸に頬を押し付ける形になる。降ってくる言葉が優しすぎて、眦に残っていた涙が零れた。大好きな気持ちが溢れて、胸が痛い。

「ねえ、じゃあひとつだけ、お願い聞いてくれる?」
「何だ?」
「今日はこのまま、一緒に寝たい」
「・・・・・・しょうがないやつだな」

 素直に甘えるのが恥ずかしくて、彼の胸に顔を埋めながら、恐る恐る問いかけてみると、彼は驚いたように目を微かに瞠って、それから糸が解けるように柔らかく笑ってくれた。
 彼に抱き締められたまま、彼の寝袋に入る。一人用に二人は狭かったけど、ぎゅっと密着していれば、寝られないことも無かった。何より、大切な人が傍にいてくれる。その温もりを、鼓動を感じられるから。

「手、繋いでもいい?」
「・・・・・・ああ」
「狭いけど・・・、あったかいね」
「そうだな。お前、体温低いからな」
「豪炎寺くんがあったかいんだよ・・・・・・」

 僕よりもずっと高い彼の体温に包まれて、僕はうとうととまどろむ。視界が白んで、意識が遠のく。
 だけどもう、怖い夢は見ない気がした。







「おーい、豪炎寺、吹雪ー、起きろー!って・・・・・・うわっ!?」
「どうした風丸?」
「鬼道。いやちょっと・・・・・・」
「・・・・・・そのまま寝かしといてやれ」
「そうだな」
「あんな顔で寝る吹雪、初めて見た気がする」
「ああ、良い寝顔だ。豪炎寺も眉間に皺が寄ってないし」
「いつも寄せてるのか?」
「大抵は」
「豪炎寺らしいといえばらしいな」
「まあ、こういうのもたまには悪くない、か?」
「そうだな。たまには、な」








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