※ 未来設定。吹雪と冬花は同棲してます。






◇ 虹色のシュプール






「吹雪くん、お昼ご飯です」

 キッチンから何度呼んでも部屋から出てこない吹雪くんに少しだけ冷たい声を出しながら、彼の部屋のドアノブに手をかける。
 もう二十歳をとうに過ぎているというのに、未だ子どもっぽさが抜けない彼はすぐに色んなことに夢中になって、他のことを疎かにしてしまう。だから今もきっと、自室で何かしていて、私の呼びかけに気付かなかったのだろうと思った。
 そして私の予想を裏切らず、彼は部屋の真ん中で大切そうに分厚い水色の表紙の本を見つめていた。ドアを開けた瞬間、ふわりと起こった微かな風がフローリングを埋め尽くしていたものを舞い上げる。

「……これ、」

 するりと足元に滑り込んできた一枚を拾い上げて見てみると、そこには懐かしい光景が広がっている。笑顔の春奈さんと秋さんに挟まれて、困ったようにはにかむ私。バックはあの頃、彼が着ていたユニフォームのようなはっきりとしたブルー。日本では見られない深い青空だ。
 何だか懐かしくなって辺りを見回せば、床は一面、あの頃を切り取った写真だらけだった。フローリングが見えないくらい敷き詰められた写真の中には色とりどりの思い出が溢れている。
 ふざけて頭をぐりぐりと撫でる綱海くんに苦笑いの立向居くん、悪戯を春奈さんに叱られる木暮くん、ストレッチ中の風丸くんにヒロトくん、いきなりカメラを向けられて戸惑ったような顔の鬼道くんと豪炎寺くん。
 どれもレンズ越しに写された顔はきらきらと輝いていて、あの南の海の水面のように眩しい。

「あ、冬花さん。ごめん、ちょっとクローゼットを整理してたら夢中になっちゃった。お昼ご飯だよね、すぐに行くよ」
「私も手伝うよ」

 ようやく私の存在に気が付いたらしい吹雪くんが顔を上げて、申し訳無さそうに眉を下げた。ぱたん、とアルバムを閉じて、辺りの写真を拾い始める。私もまた同じようにしゃがみ込んで、散らばった写真を一枚、一枚重ねていった。
 嬉しそうにおにぎりを頬張る壁山くん、トランプで負けて悔しそうな染岡くんに得意げな虎丸くん、トマトゼリーを嫌そうに見つめる不動くんに苦笑いの佐久間くん。
 手のひらの中に収まっていくあの日々の欠片に私は僅かに目を伏せた。

「……懐かしいな」
「春奈さんがね、撮ってたのを焼き増しして貰ったんだ。箱の中に詰めてそのまま仕舞ってあったみたい。ドジってさっき引っくり返しちゃったんだけど、」

 零れた声に吹雪くんが微笑んで、私の手から写真を受け取ると、白くて大きな菓子箱の中にそっと入れる。その手付きが優しくて、私は何だか切なくて、何処かあったかい気持ちになった。
 再び写真を手にしながら、私はあの日々を思う。今でも確かに胸の奥底にある鮮やかな思い出。どんなに時が経っても、色褪せない感情。
 足許の覚束ない私は何処でも浮いた存在だった。記憶とはその人を形成する大事な要素だ。それを失くした私はきっと何かが欠落していた。
 記憶を消すという方法を取ったお父さんを責める気は無いし、あの頃の自分は一人では悲しみに耐えられず押し潰されていたから、むしろそのことに関しては感謝している。何よりもお父さんは私の足りない何かを埋めるようにずっと傍にいてくれた。
 けれど、どんなにクラスが変わっても、場所が変わっても、地に足の付いていない私が本当の意味で仲良く出来る友達を見つけられなかったのも確かだった。
 だから、初めてだったのだ。あんな風に、失くしたくないと心底思える何かを手に入れられたこと。マモルくんの力強い声がふわふわと浮かぶ私を掴んで、地面に立たせてくれた。皆の笑顔がどんなに強い相手にだって立ち向かい諦めないその横顔が、私にどんなことも受け止められるだけの強さをくれた。
 もうどんなに苦しくても、忘れたくないと思えた。皆との記憶が大切だと思った。「仲間」なんだと秋さんに云われたあの時に感じた気持ちは今でも胸の奥に息衝いている。
 何よりも、どんなに悲しみという青い絵の具で塗りたくられた記憶でも、乾いた絵の具を落としたら、本当はもっと色鮮やかで、優しくてあったかい部分が顔を出すことに気付けたから。

「思い出を、思い出として取っておきたいと思うんだ」

 ぽつり、優しい顔で呟く吹雪くんの手の中であの頃の無邪気な彼が笑っている。にかっと元気に笑うマモルくんに肩を抱かれて、少し照れくさそうにはにかむ彼は今よりもずっと幼い。きっとそれだけ、あれからたくさんの時間が流れている。積み重ねた時間の数だけ、思い出は彼の白い手の中にあるのだろう。大切に大切に白い箱の中、仕舞われている。
 そして、それはきっと私も同じだ。思い出した優しい両親と過ごした時間、悲しい事故の記憶、無口なお父さんと一緒に動物園に行った日、あの一瞬で駆け抜けたように思える日々も、それから育んだ彼との日常も。どれも忘れたくない大切な思い出だから。

「……私も、そう思う。忘れたくないって」
「どんな出来事も、僕らが歩いた足跡には変わりないもんね」

 丁寧に写真を重ねて箱に仕舞いながら、吹雪くんはふっと柔らかく私に笑いかけた。私も頷いて、微笑み返す。
 例えばどんなに失った痛みが辛くても、最初から無かったら良かったのにと思っても、それは私が重ねた時間の一部であることに変わりは無くて。楽しいこと、嬉しいこと、切ないことや悲しいことも、きっと全部私の歩いてきた軌跡に深く刻まれている。振り返ればそこにある、虹色のシュプール。

「ねえ冬花さん、午後は何か予定ある?」
「ううん、特には無いよ」
「じゃあさ、一緒にして欲しいことがあるんだ」

 最後に彼の骨張った指先が優勝カップを手に満面の笑顔ではしゃぐ皆を摘んで、白い箱の中へ運ぶ。そして大切そうに蓋を閉めてから、私を見た。私が首を横に振ると、吹雪くんは小さく息を吐いて、脇に置いたままだった水色のアルバムを手に取った。
 手のひらで表紙を撫でる顔が普段通りの笑みのはずなのに、私には少し強張って見えて、何だか胸が締め付けられるような感覚がする。

「このアルバム、冬花さんに一緒に見て欲しくて」
「それは、」
「僕のね、子どもの頃のアルバム。……君と一緒なら、きっと大丈夫だと思うから」

 そう云って、吹雪くんは微かに目を伏せた。彼の云う「大丈夫」の意味が痛いほど解って、ぎゅっと膝の腕の手を握り締める。私は自分の部屋のクローゼットの奥に仕舞われた何冊ものアルバムを思った。あの泣きたくなるくらい、優しい記憶を。
 私がまだ「小野冬花」だった時のパパやママとの写真をお父さんは私から隠れたところで大事にしてくれていて、それを、私はあの大会の後、お父さんから受け取った。合計四冊になる分厚いアルバムには、「冬花が生まれた日」から始まる私の日々の成長が綴られていて、私は見た瞬間、ボロボロと泣いてしまったのを覚えている。
 一枚一枚、写真に付けられたコメントにはパパとママの私への深い愛情が溢れていた。日常の小さな出来事から幼稚園のお遊戯会、遠足に家族旅行、小学校の入学式。泣きじゃくる私を困ったように笑って宥めるママ、パパに肩車をされてはしゃぐ小さな私。貼られた写真にはいつだって笑顔のパパとママがいて、確かにそこには幸せな、あたたかい家族がいた。私が忘れてしまっていた、大切な記憶があった。
 あのアルバムは今、クローゼットの奥に眠っている。あの時はお父さんが泣きじゃくる私の肩を何も云わずに抱いてくれた。だからきっと、私は受け止めることが出来た。だけど、どうしようもなく、あたたかくてやさしい幸福に一人想いを馳せるには、躊躇いがある。…まだ勇気が足りないと思う私は、きっと意気地なしなのだろう。
 だって、きっと泣いてしまう。戻らない過去を嘆くほどもう子どもでは無いけれど、全てをセピアに染め上げてしまうには、まだ大人になりきれない。それはきっと、彼も同じなのだろう。すっと伸ばされた彼の指が、私の手を掴んで、小さく力が込められる。縋るような仕草なのに、その手に強い意志を感じて、私は彼を見つめた。

「それに、…大切な思い出だから、君にも見て欲しいんだ」

 強張った頬が緩んで、微笑みを形作る。柔らかく笑う彼に私は繋いだ右手をぎゅっと握った。普段はお互いに低体温に悩んでいるくらいなのに、私の手も彼の手も熱を持っている。
 一人じゃ怖いことも誰かと一緒なら大丈夫だって云ったのは誰だっただろう。それが大切な人なら、きっと何倍もの力になる。どんなことだって、二人なら受け入れていける。
 二人で過去を受け入れて、それを思い出として大切にしながら、未来を歩いていけたなら。きっとそれは素晴らしいことなんじゃないかと私は思う。私が知らない彼、彼が知らない私。お互いに歩いてきた道をひとつひとつ辿って、そして今度は二人で同じ道を進んでいく。その先にあるのがでこぼこ道だったとしても、それはかけがえのない二人だけの道になるはずだ。

「うん。私も、見たいな」
「じゃあ、お昼ご飯の後で、一緒に見よう」

 頷いた私に吹雪くんは一度笑いかけてから、たくさんの写真が詰まった白い箱の上にアルバムを重ね、立ち上がった。それをデスクの上に置いて、振り返る。彼の言葉にそう云えば私は彼を呼びに来たんだったと当初の目的をようやく思い出す。

「今日のお昼って何?」
「オムライス」
「やった。僕、冬花さんのオムライス好きなんだ。とろとろでさ、ソースも美味しいし」
「ふふ、でももうきっと冷めちゃってるよ」
「大丈夫。冷めても美味しいもの」

 他愛ない会話をしながら、ダイニングへ向かう。机の上にはもう昼食の準備が整っていて、無地のテーブルクロスの上にオムライスの載った皿が並んでいる。吹雪くんが食器棚からグラスを取り出すのに、私は冷蔵庫からミネラルウォーターを出して持って行く。そしてグラスにミネラルウォーターを注ぎながら、スプーンを並べる吹雪くんに話しかけた。

「ねえ、吹雪くん」
「なあに?」
「私もね、ずっと仕舞ったままのアルバムがあるの」
「じゃあ、後で一緒に見よう。僕も冬花さんの小さい頃、見たいな」
「うん」

 私が云った言葉の意味を吹雪くんはすぐに理解して、穏やかな顔で望む答えをくれた。それに私は何だか凄く勇気付けられた気がして、自然と笑顔になる。何だかとても優しい気持ちで、私はリビングを振り返った。
 テレビデッキの上には二人で遊園地に行った時の写真に高校の大会で優勝した時の写真、更にはお父さんと三人で写ったものと三つの写真立てが飾られている。席に着き、向かいで手を合わせる彼に同じようにいただきますと挨拶しながら、私はそこに彼の家族と私の家族が並べられる日を思った。そして、新たな未来が並べられる日を思って、小さく微笑んだ。








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お題元 : ふたりへのお題ったー



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