◇ うそつきの日






「アツヤ、僕、アツヤのこと嫌い」
「は? いきなり何だよ」

 リビングのソファに身体を預け、携帯ゲーム機に夢中になっている弟に向かって、士郎は唐突にそんな言葉を放り投げた。
 アツヤは目の前の目まぐるしく動く液晶画面をとりあえずストップさせ、丸く見開いた瞳で兄を凝視する。いきなりそんなことを云われる理由が思い当たらない。家事当番をサボってはいないし、冷蔵庫の兄の好物を許可無く食べた訳でも、はたまた兄の私物を勝手に使った覚えも無い。
 けれど、隣でぼんやりと夕方のテレビのニュースを眺めている士郎の横顔はいつもと違って、とても冷たいように、アツヤには見えた。

「なあ兄貴、オレ、何かしたか?」

 兄の機嫌を損ねるようなことを自分は何かしただろうか。考えても考えても解らないので、アツヤは素直に兄に直接聞いてみることにした。
 士郎は相変わらず、ぼうっとテレビ画面に視線を注いでいる。どうやら本州の方では桜が綻び始めたようで、レポーターが上野の桜の様子を伝えていた。だが、ニュースの話題は春でも、今のこの部屋の空気は冬だった。元々、北海道の春は遅いから、今も暖房を利かせてはいるのだが。

「何かしたなら謝るから、オレのこと嫌いとか云わないでくれよ・・・・・・」

 アツヤはとうとう、ゲーム機から手を離して、縋るような眼差しで兄を見つめた。普段は柔和な笑みで人当たりの良い士郎だが、一度怒ると手がつけられないことは生まれてからずっと一緒にいるアツヤが一番知っている。それに何より、アツヤは兄に嫌われることが恐ろしかった。
 両親が死んでからたった二人、寄り添って暮らしてきた兄弟である。傍から見れば、おかしいかも知れないくらい、士郎とアツヤは仲が良かった。兄のことが、アツヤは好きだった。
 何時の間にやら潤んできた瞳を隠すように俯くアツヤに士郎はついにテレビから視線を外して、アツヤのほうを見た。そして、一瞬、眉を顰めるとアツヤの背中に腕を回して、宥めるように撫でた。あたたかい体温に何だか余計に涙が出てきて、アツヤは更に顔を下に向ける。

「・・・・・・嘘だよ」
「え?」
「だから嘘。アツヤのこと、嫌いなんて嘘だよ」

 囁くように落とされた言葉にアツヤは自分の耳を疑った。気の抜けたアツヤの反応に士郎は罪悪感が滲んだ声でもう一度、同じ言葉を丁寧に言い含めるように繰り返す。
 アツヤは思わず顔を上げた。そこには普段から垂れ気味な目尻を更に下げて、アツヤを見つめるブルーグレイの瞳がある。アツヤは込み上げる衝動を抑え切れずに吐き出す。

「なっ・・・んでそんな嘘、」
「アツヤが知らないとは思わなかったんだ。ほら、だって今日は」

 それを遮って、士郎は言い訳をするように言葉を重ね、壁にかかったカレンダーを指差した。そこには今朝、めくったばかりの真新しい春の景色が今日の日付を示している。そう、今日は。

「エイプリル、フール・・・・・・」

 呆然とカレンダーを見つめて呟くアツヤに士郎は控えめに頷いた。まんまと騙されてしまったアツヤの脳裏を今までのやり取りが過ぎる。
 ついさっきまで全身を支配していた怒りも忘れて、アツヤはぎゅっと目の前の身体を抱き締めた。嘘を吐かれた怒りよりも、兄に嫌われていなかったという安堵の方が強かった。

「てことは、オレのこと嫌いじゃないんだよな」
「当たり前だよ。僕がアツヤのこと、嫌いになるなんて有り得ない」

 息が苦しくなるくらい、きつく抱き締められても、士郎は抵抗せずに身を任せた。背中に回したままの腕がアツヤにしがみつくような形を取る。
 耳元で確かめるように紡がれた問いかけに士郎ははっきりと答える。余りにも潔い返答にアツヤの顔が赤くなる。だが、続けて囁かれた甘い声にアツヤは更に腕に力を込めた。

「好きだよ。ずっとずっと、アツヤだけが好きだよ。・・・・・・あいしてる」

 悔しいけれど、アツヤが兄に敵わないと思うのは、こういうところかも知れない。何のてらいも無く、感情を率直に言葉にしてしまう士郎にアツヤは勝てた例が無い。
 でもこのまま負けて終わるのは何だか悔しくて、アツヤは士郎の顎を持ち上げると、その桃色の唇にキスをした。触れるだけのそれは一瞬で離れていく。
 しかし、それだけでも士郎には十分だったようで。ぽんっとまるでテレビの中の桜のようにピンク色に染まった頬にアツヤはにやりと笑う。

「嘘吐いた罰」
「えっ?」
「兄貴が嘘吐いたのが悪いんだからな」

 そのまま首筋に噛み付くように顔を埋めれば、戸惑うような士郎の声。けれど、その腕は抵抗どころか、アツヤから離れようともせずに、ぎゅっと抱きついてくる。
その甘えたな仕草に煽られるように、アツヤはもう一度、桜色の唇に口付けた。








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