◇ 初恋ショコラティエ






 2月14日、バレンタインデー。恋人達の祭典であり、女の子たちが沸き立ち、町がピンクや赤のハートに包まれる一年に一度のイベントのひとつだ。その日、俺は去年とはまったく違う、別のどきどきに苛まれていた。クラスメイトの女子やマネージャーたちからの義理チョコ、さすがに日本代表にまでなれば知名度も上がるのか、靴箱や机の中に入っていた後輩からのチョコレート、体育館裏に呼び出されての告白。去年の俺だったらひとつひとつあたふたしていただろうけれど、今年はそれよりももっと心臓に悪いことが待ち受けているものだから、比較的平静でいられた。
 それは、学生鞄の片隅でひっそりと息を潜めて出番を待っていて、俺は今日、そのタイミングを逃してばかりいた。何せ相手は学年で、いや学校で五本指には入るモテっぷりだ。特にバレンタインなんて、たくさんの女子が周りを取り巻いていて、二人きりになんてなれそうも無い。同じクラスでしかも隣の席なのに中々上手く行かず、ずっとやきもきしていたのだが、神様はこんな俺にもチャンスというものをくれたようだ。放課後、部活の後片付け当番が丁度俺達二人だなんて、本当神様には感謝してもし足りない。
 ということで、俺は二人でグラウンド整備やボールの片付けなどを終わらせ、部室に戻って着替えをしたところで、何とか勇気を振り絞って、学ランのボタンを止めている吹雪に向かって声をかけた。瞬間、吹雪が振り向いて、唇を開く。

「あ、あのな」
「あ、あのさ」

 見事に重なった声に俺は驚いて目をぱちぱちと瞬かせる。吹雪も同じようで、大きな丸い瞳を見開いて俺を見つめた。

「な、何、風丸くん。先に云って良いよ」
「吹雪こそ。先に云えよ」
「ええっ、え、えっと、それじゃあ・・・・・・」

 お互いに引っ込みが付かずに譲り合った末に、最終的に吹雪が折れた。普段はまっさらな雪を思わせる白い頬を真っ赤に染めて、吹雪はスポーツバッグに手を突っ込む。そして何やらがさごそと漁ったかと思うと、中から白い小さな箱を取り出した。それをぐっと俺に押し付けて、吹雪はぎゅっと目を瞑る。

「バレンタインのチョコレート・・・、男同士で変かなって思ったんだけど、い、一応恋人だし! はいっ!」
「あ、ありがとう」

 手の中の箱は小さいながらも綺麗にリボンが結ばれていて、何処かの高級店のチョコレートみたいだ。吹雪が俺にチョコレートをくれるなんて思っても見なくて、俺は心臓がばくばくとうるさく騒ぎ立てるのを止められなかった。うれしい、うれしい。たかがチョコレートでこんなにも胸が高鳴るなんて、本当に俺はどうかしてるんじゃないだろうか。
 勢いよくまくし立てるように説明して、吹雪はううと唸りながら恥ずかしそうに俯いた。ふわふわのくせっ毛から覗く耳は林檎みたいに赤い。でもきっと俺の顔も吹雪に負けないくらい、赤いのだろうと思った。ぼっと火がついたかのように頬が熱くなる。きっと今、部室の扉を開けた人間は俺達を見て何事かと思うだろう。お互いに下を向いて顔を真っ赤にしているのだから。

「あ、あのな、これ、俺も・・・・・・」
「え、なに?」
「姉さんに作るの手伝わされて、その、出来たやつ、ちょっと貰ったんだ。だから、それ」

 羞恥心に打ち勝てる程の精神力を俺は持っていなくて、けれどこのタイミングを逃すと鞄の中のものは役目を果たせないまま終わってしまいそうで、俺は意を決して鞄の中の包みを掴み、吹雪の手に握らせた。ありがちなセロファンで出来たブルーのラッピング袋。真正面から吹雪を直視することも出来ず、しかし反応は気になる俺はちらちらと上目で吹雪の表情を窺いながら、しどろもどろに言葉を紡ぐ。吹雪はきょとんとした顔で袋をしげしげと眺め、ことりと小首を傾げる。

「くれるの?」
「あ、ああ」
「ありがとう」

 こくこくと頷くことしか出来ない俺に吹雪は花が咲くように朗らかに笑った。その顔があんまりにも嬉しそうなものだから、逆に俺の方が恥ずかしくなる。吹雪はじっと袋を見つめたかと思うと、俺を窺うように上目遣いで見上げた。

「ねえ開けて見て良いかな?」
「良いぜ」
「わあ、クッキーだ。可愛い」

 いそいそと黄色い針金を外し、中を覗き込む吹雪。ぱあっと頬を高潮させて微笑む吹雪は中身をひとつ摘んで、唇に運ぶ。バレンタインだからとココアを混ぜたそれは暗い色で、星の形をしている。さすがに姉の前でハート型に抜く度胸は無かった。
 さくり、吹雪の白い歯がクッキーを噛み砕いて、口内へ収めていくのを俺は横目で盗み見る。真っ直ぐ見れない、でも反応は気になる俺は臆病だ。

「美味しい。美味しいよ、風丸くん」

 吹雪が心の底から幸せそうに笑うのに、俺は口の中でもごもごと言い訳じみた言葉をひたすら転がし続ける。
 そんなに大層なものじゃないんだ。自分でも味見してみたけど、小麦粉が多かったのかちょっと硬かったし、形だって歪で、もう古いオーブンレンジだから均等に火が通らなくて、ところどころ焼きすぎてココアだけじゃない苦味があったりなんかもして、それで、それで。ラッピングだってそんなに金かけてなくて、そもそも姉さんの手伝いで作ったやつで。
 だけど、目の前でこんな風に喜んでくれるのが、どうしようもなく嬉しくて。胸が、あったかいものでいっぱいになる。

「ありがと。・・・でも、食べちゃうの、もったいないな」
「何でだ?」

 きゅっともう一度針金で袋の口を閉じながら、吹雪が呟くのに疑問符を浮かべる俺。じっと俺の目を見る吹雪の特徴的な眉がゆるゆると垂れ下がり、ブルーグレイの瞳を柔らかく眇められ、

「だって、たったひとつでこんなに幸せなんだよ。ちょっとずつ食べないと、溢れて窒息しちゃうよ」

 ぎゅうっと胸が痛いほど締め付けられた。そんなこと云われたら、俺だってそうだ。今までバレンタインなんてそんなに重要視したこと無かった。甘い物は好きだからチョコレートを貰えるのは嬉しかったけど、でもそれだけで。こんな風に心臓が痛くなることも、どきどきすることも無かったんだ。それなのに。
 俺だってそうだよ。俺だって、幸せで窒息しそうだ。こんなにもどうしようもなく誰かを好きだと思って、その人が俺のしたことで笑ってくれるのがこんなにも幸せなことだなんて。俺は、今まで知らなかった。
 胸の中に溢れる気持ちを伝えるには俺はやっぱりまだ臆病で。恥ずかしさに顔を背けながら、今度は俺の番だと手の中の箱についてを吹雪に訊ねる。

「俺も、開けて見て良いか?」
「うん、ど、どうぞ」

 さっきとは一転、今度は吹雪が恥ずかしそうに目を逸らす。俺は水色のリボンの端を引っ張り、丁寧にリボンを解くと、蓋を開けた。中身は綺麗に仕切られていて、それぞれ白や茶色や緑のトリュフが入っている。その中のひとつを摘もうとして、唐突に吹雪の声に遮られた。

「ちょ、ちょっと待って!」
「な、何だ?」
「・・・・・・風丸くん、」

 何が何だか解らずに目を見開く俺に吹雪は何度か口をぱくぱくさせて悩んでいたが、意を決したようにきゅっと唇を引き結んだ。俺を見る眼差しが試合の前のように強い光を宿している。吹雪は白い指先でココアのついたトリュフを摘み上げると、震える唇を恐る恐る開いて、擦れた声を響かせた。

「はい、あ、あーん・・・」
「へっ?」

 驚きに目が点になる俺の唇にトリュフが押し当てられる。現状を把握出来ず、吹雪の行為をそのまま受け入れながら、俺は呆然と赤くなっていく吹雪の顔を見つめた。口の中で転がるトリュフのココアの苦味が口に広がり、次第に溶けたチョコレートの甘さに変わる。とろけるようななめらかさで舌を滑るトリュフ。甘さに舌が痺れるようだった。
 口の中に十分にチョコレートが行き渡ったところで、俺はようやく正気を取り戻した。思いもよらない吹雪の大胆な行動に俺の思考はついていけなかったようだった。目もちゃんと焦点が合い、吹雪の白い指と真っ赤な頬が見える。そこで俺は、ふと思いついたことを実行した。吹雪の手首を掴み、離れていく指を追いかけるようにぱくりと口に含んだ。ココアで汚れた指を舌で舐め取る。

「か、風丸くん?」
「・・・・・・、ご、ごめんっ、あの、その、これは、その、あの」

 正直俺はあの時まだまともな思考は戻っていなかったのだろう。そうじゃなきゃ、あんなこと出来るはずが無い。だって臆病で仕方が無い俺が、吹雪の顔を真っ直ぐ見ることも出来なかった俺が、あんな恥ずかしいことをしてしまうなんて、それこそ正気じゃなかったとしか考えられない。
 ただでさえ丸い瞳を更にまんまるに見開いて驚く吹雪に俺はわたわたと口を突いて出るままに言い訳を連ねた。いや、言い訳にもなってなかったけど。

「ふふ。・・・美味しかった?」
「・・・・・・ああ。美味しかった」

 そんな俺の態度に吹雪は可笑しそうに笑い声を上げ、そして少しだけ眉を下げて、確かめるように俺を窺う。俺はさっきの衝撃がまだ残っていて、恥ずかしくてしょうがなかったけれど、これだけは伝えなければいけないと思い、しっかりと頷いた。そうだ、これだけは伝えないと。

「良かった」

 吹雪はほっと安心したように唇を綻ばせた。頬をピンク色に染めて笑う吹雪に俺の顔もまた熱くなる。恐々と視線を合わせ、ぎこちない笑みを浮かべる俺に吹雪はまた一層笑みを深め、頬を赤らめる。その様が可愛くて、思わずキスしたいなんて馬鹿なことを考えたけれど、実行するにはまだまだ勇気が足りない。だけど、こうして顔を見合わせて微笑み合うだけで、何故だかお互いに同じ気持ちなんだと思えるんだから不思議だ。ただ一緒にいられることがこんなにも幸せだなんて。この感情に気付いてまだ日は浅いけれど、こんなにも恋が謎に満ちているなんて思いもしなかった。

「ね、手、繋いで帰ろ?」
「・・・・・・ああ」

 でもこんな気持ちをひとつひとつ知っていくのも悪くない。学生鞄を肩にかけ、手を差し出してくる吹雪に小さく頷いて、自分の手のひらを重ねながら、俺はそんなことを思う。
 外は真っ赤な夕焼け。ぎゅっと繋いだ手を離さずに帰路を辿る俺達の頬もそれに負けないくらい真っ赤だった。






「でも良かった。後で鬼道くんにお礼云わなきゃ」
「何で鬼道に?」

 帰り道。沈みかけの夕陽に照らされながら、吹雪が笑う。何故そこでチームメイトの名前が出るのか解らず小首を傾げる俺に吹雪は少し眉を吊り上げて、唇を尖らせる。

「鬼道くんに後片付け当番代わって貰ったんだよ。こうでもしなきゃ渡せそうに無かったから。風丸くん、モテるんだもん。チョコ渡す機会掴めないし、女の子にキャーキャー云われてるし」
「それは吹雪もだろ。俺だってずっとどきどきしてたさ。中々タイミング掴めなくて焦ってた」

 神様から与えられたチャンスだと思ったものは、どうやら仕組まれていたものらしい。不満そうにじとっと俺を見る吹雪に負けじと云い返せば、吹雪はふっと頬を緩めて、俺の目を覗き込んできた。その目を見つめ返して、俺は唇を吊り上げる。

「ふふ。じゃあ僕達、一緒だったんだね」
「ま、似た者同士ってことかもな」

 二人、顔を見合わせて、笑った。








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