◇ Blue Rainy Days






 ノイズのような雨音に耳を傾けながら、学級日誌にシャーペンを走らせる。窓の外は昼過ぎから降り続く雨で灰色だ。どんよりとした雲からはみぞれ混じりの冷たい水がひっきりなしに落ちてきて、グラウンドはびしょ濡れだった。これでは部活は出来そうに無い。体育館も使えないだろうし、とりあえず部室に集まってミーティングで終わりだろうと予想しながら、そのミーティングも終わっているかも知れないと思う。
 掃除当番と日直、更には学級委員としての雑用が見事に重なり、時計の針は4時半を回っている。もう解散した頃かな、と思いつつ、日付を書き込むと、ふいにまだ白いページに暗い影が落ちた。見慣れた髪型、揺れる度に擽るシャンプーの匂い。

「どう? もう終わりそう?」

 顔を上げると、スポーツバッグを下げた吹雪が小首を傾げて覗き込んでいた。途中、雨に降られたのか濡れた前髪が額に張り付いている。

「吹雪。部活はどうしたんだ?」
「グラウンド使えないし、とりあえず集まったけどすぐ解散だったよ」

 俺の疑問に吹雪は唇を尖らせて窓の外をじとりと睨んだ。案の定、まともに部活出来なかったようで、吹雪は酷く不満そうだ。ここ最近、ずっと微妙な天気が続いているのもあるかも知れない。

「大変だね。手伝うことある?」
「いや、これを書いたらもう終わりだ」
「そっか」

 黒板を綺麗にするのもノートを職員室へ持っていくのもその他の雑用も全て終わらせていたので、特に無いと云うと、吹雪は頷いてスポーツバッグを俺の隣の机に置き、椅子を引いて座った。肘をついて、手持ち部沙汰なのかぼうっと外を眺めている。
 そこでふと何故吹雪がわざわざ教室に戻ってきたのか不思議になった。最初は忘れ物でもしたのかと思っていたのだが、どうやらそうでは無いらしい。

「それより何でわざわざ教室に戻ってきたんだ? 忘れ物でもしたのか?」
「風丸くんと一緒に帰りたかったから・・・、じゃあ駄目かな?」
「・・・・・・駄目じゃないけど」

 話しかけると、吹雪はこちらを向いてふわりと笑った。丸いブルーグレイの瞳がゆるりと柔らかく弧を描いて、じっと俺を見つめる。吹雪の発言に俺は一瞬で顔が赤くなったのが自分でも解った。頬が熱い。
 吹雪が不意打ちで恥ずかしいことを云ってくるのはよくあることだけれど、何度云われても恥ずかしいものは恥ずかしい。何よりもそんな顔で、俺を見ないで欲しい。

「ふふ。風丸くん、真っ赤」
「吹雪があんなこと云うからだろ」

 楽しそうに吹雪が笑い声を上げるのに、俺はまんまと吹雪にからかわれたことに気付いた。まあ気付いたからと云って、俺が吹雪に敵う訳も無いのだけれど。結構抜けたところのある吹雪の世話を焼くにせよ、こういう風に遊ばれるにせよ、何時だって俺は吹雪に振り回される側であることに変わりは無い。

「でも嘘じゃないよ。教室、電気付いてたから風丸くんまだ残ってるんだなあって思って。一緒に帰りたいって思ったんだ」
「・・・・・・すぐ片付けるから待っててくれ」
「うん」

 俺の反応に満足したのか、唇を吊り上げて嬉しそうに微笑んだ吹雪は更に俺の顔を赤くすることを云う。まったくもって、天然なのか策略なのか知らないが、吹雪は俺を煽るのが上手すぎる。
 俺はシャーペンを握り直し、学級日誌の空欄を埋めることに集中した。これ以上吹雪の顔を見ていたら、俺の手はきっとこのまま動かない。今でさえ、心臓がうるさくて、手が震えるのに。
 今日の時間割と明日の連絡事項を書き込んで、最後に自分の名前を書く。これで終わり、と顔を上げると、こちらを覗き込む吹雪と目が合った。吹雪のことをなるべく意識の外に出すように心がけていたからか、吹雪がじっと俺を見つめていたことに気付かなかったらしい。吹雪は長い睫毛をぱちぱちと瞬かせると、ことんと首を傾ける。

「終わった?」
「ああ」
「じゃあ、帰ろっか」

 シャーペンの芯を戻し、ぱたんと日誌を閉じると、吹雪はにこりと笑って立ち上がった。スポーツバッグを肩にかけ、椅子を元に戻す。俺も日誌と鞄を手に持ち、吹雪の後を追うように教室を出て、二人並んで職員室へ向かった。担任に学級日誌を手渡し、今度は昇降口を目指す。

「雨、止まないね」
「確かに午後から雨が降るとは云ってたけど・・・・・・」

 昇降口から見える外の景色は見事な雨だった。さっきよりも大分雨脚は弱くなったようだが、それでもしとしとと雨は降り続いている。靴を履き替えて、俺は傘立てに差してあるブルーの雨傘を手に取った。面倒だったけれど、今朝ちゃんと母親の云う通り、傘を持ってきて良かったと思う。天気予報も信じてみるものだ。

「あれ、・・・何処行っちゃったんだろ・・・・・・」
「どうしたんだ?」
「いや、折り畳みの傘を入れたはずなのに見当たらなくて・・・・・・忘れちゃったみたい」

 隣で何やらスポーツバッグと格闘している吹雪に問いかける。がさごそとスポーツバッグの中に手を突っ込んで漁り、それでも目的のものは見つからなかったらしい吹雪は中身を取り出して覗き込み、そして顔を上げた。特徴的な眉がいつも以上に垂れ下がり、困ったように微笑むのに俺は咄嗟に普段の俺なら有り得ないことを口走っていた。
 いや、普通の友人ならば、別段おかしくは無いのかも知れない。円堂にならさらりと云える気がする。でも、相手は吹雪なのだ。好意を抱いている相手にするすると口に出来るほど、俺は手馴れてもいなければ、天然でも無い。

「入るか?」
「ほんと? 良いの? 風丸くん」
「ああ。このままじゃ帰れないだろ。方向一緒だし、送ってってやるよ」

 吹雪の表情がぱあっと明るくなる。その顔に俺は自分が恥ずかしいことを云ったのだと改めて自覚した。しかし云ってしまったものはもう戻らない。引っ込みがつかなくなって、俺は逃げるように傘を広げる。至ってシンプルなブルーの傘が灰色の雨雲を遮って、小さな空間を作り出す。その中に二人並んで収まって、俺たちは帰路を辿った。
 本当に相合傘なんてよく自分から云い出したものだ。肩が触れ合いそうなくらい近い距離で、吹雪は楽しそうに鼻歌を歌っている。耳慣れた童謡だ。まるで子どものような吹雪に意識している俺の方が馬鹿みたいに思えてくる。本当にマイペースなやつだと思いながら、そんなところも別に嫌いじゃないと思える自分に笑ってしまう。

「何笑ってるの、風丸くん」
「何でもない」
「えー嘘だー」

 ふいに吹雪が覗き込んでくるのに、素っ気無い態度を装う。今胸の内を見られたら、俺は羞恥できっと死ねるだろう。吹雪は不満そうに唇を尖らせたが、俺が答えないと知ると、再び鼻歌を口ずさむ。ぴっちぴっちちゃぷちゃぷらんらんらん。 
 吹雪の一人住まいのアパートは俺の家と雷門中のちょうど真ん中辺りにある。住宅街の狭い道で、吹雪は水溜りを器用に避けながら、他愛ない話を振ってきた。昨日見たテレビの話、今日の授業の話、明日の調理実習の話、来週の練習試合の話。そして、吹雪は宿題の話をしたところで、ふっと思い立ったように俺を見た。

「ねえどうせ送ってくれるなら、家に寄って一緒に宿題して帰らない?」
「別に良いけど」
「ありがと。風丸くん、数学得意だよね。教えてよ」

 吹雪の言葉にそう云えば、数学のプリントが出ていたなあと思う。吹雪は数学が苦手だ。頭が悪いという訳では無いのだが、ケアレスミスが多いし、難しい計算には時間がかかる。どうせ帰ってもやることがある訳でも無いし、何より相手は吹雪だ。願っても無い申し出に頷けば、吹雪は嬉しそうに笑う。どきん、と胸がうるさく鳴った。
 吹雪はそのまま左手で傘を持つ俺の手を上から覆うと、小さく肩を竦めた。幾重にも巻かれたマフラーがふわりと揺れる。

「風丸くん、手、冷たいよ」
「吹雪、」
「雨も、悪くないね。こんなに風丸くんと密着出来る」

 今日の吹雪はご機嫌だ。桜色の唇から吐き出される言葉の数々は俺の心臓を高鳴らせて止まないのだけれど、吹雪はきっとそんなこと知る由も無いのだろう。もし計算だったら、きっと俺は吹雪の思う通りの反応を返しているに違いない。
 吹雪の小さな手は、手袋をしている訳でも無いのに温かくて、まるで子ども体温だと思った。でもこの体温が、とても大切だと思う。掴んで、離さないでいたいと思う。
 雨は未だ降り止まず、狭い傘の中で吹雪が今までよりも10センチ寄せてきた肩は今にも触れそうだ。天使のようにも悪魔のようにも見える微笑みで俺を見つめる吹雪に、俺は顔を真っ赤にするしか無い。ああもう、本当にこいつは。だけど、俺だってこのまましてやられたままではいられない。ぎゅっと傘を持つ手に力を込めて、なるべく素っ気無く見えるように。

「そうだな。雨も、悪くない。こうして吹雪と一緒にいられるからな」

 一瞬、驚いたように目を見開いた吹雪に俺はとびっきりの微笑みを浮かべた。






「風丸くんもココアで良いー?」
「ああ、良いぜ」

 吹雪のアパートでこたつに足を突っ込みながら、吹雪がココアを作る背中を眺める。吹雪は帰ってすぐ暖房をつけるな否や、スポーツバッグを居間に放り投げ、台所へ走っていった。その間、俺は筆記用具やプリントを取り出しながら、吹雪を待つ、つもりでいたのだが。吹雪のスポーツバッグはどうやらファスナーが半分ほど開いていたようで、中からペンケースや弁当箱が飛び出していた。そしてその中に、

「ん? 何だこれ・・・・・・」

 水色と青のストライプ模様の細長い筒のような何か。水を弾くように防水加工されていて、何処かで見たことがある形状。

「吹雪っ、お前、傘持ってるじゃないか!」
「あ・・・・・・えっと・・・・・・」

 思わず大声を上げてしまった俺に両手にココアの入ったマグカップを持ってやってきた吹雪はしまった、と云った顔をした。特徴的な眉が見事に八の字を描き、情けなく垂れ下がっている。上手い言い訳が見つからないのか、しどろもどろな吹雪は最終的に意を決したように俺を真っ直ぐに見た。問い詰める側である俺の方が気圧されるような何かがある強い眼差しだ。

「ごめんなさい。風丸くんと相合傘してみたかったの」

 素直に頭を下げて謝る吹雪に俺は何も云えずに口を閉ざした。云える訳が無い。こんな風に可愛く甘えてくる吹雪に何か云えるやつがいたら俺は見てみたい。少なくとも俺には無理だ。

「今度からは、先に云ってくれよ」

 そう云って、真っ赤な顔を隠すように背けるくらいしか俺には出来そうも無かった。








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 匿名さま、リクエストありがとうございました!




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