まずはあいさつからの続編。話が繋がってます。






◇ バナナチョコロールケーキ






 例えば、ほんの些細なこと。毎朝の挨拶、練習中パスされるボール、連絡事項を伝える声。何気ない日常の一幕。そしてそこに、自分もちゃんと存在していること。
 本来ならば、当たり前のことだ。オレだってこのイナズマジャパンのメンバーとして数えられていて、皆と一緒に共同生活を行なっている以上、別に何の不思議でも無い。
 でもそれを、本当に「当たり前」として受け入れられたのはきっと、今まで積み重ねたたくさんの時間があって、幾つかの事件があって、あいつらがそこにいたからなのだろう。
 頑なに拒否していた。周りは全員敵だと思っていた。自分が強くなる為に、勝つ為に利用出来るから共にいるのであって、それ以外の意味をそこに見出すことは無いのだと。
 ただ、強くなる。「自分が」、強くなる。そのことだけを考えていた時はグラウンドで目の前に映るのはボールだけで、他は人の形をした何かだった。
 足手纏いになるのなら、要らない。本気でそう思っていた。それが今はどうだろう。ぼやけていた視界は見違えるようにクリアになって、チームメイトの顔もちゃんと見える。
 そうなって、ようやく気付いた。自分を守る為に常に肩肘を張らなくても、自分を取り巻く世界は必ずしも攻撃を仕掛けてくる訳では無くて、オレが思っているよりもずっと冷たくも辛くも無いということ。
 例えばほら、






「おはよう、不動くん」
「・・・・・・はよ」

 食堂のテーブルの片端で味噌汁を啜っていると、朝食のトレイを持った吹雪がオレの目の前に立った。視線だけ上向ければ、そこにはいつものふわふわとした笑顔がある。
 何でも無いことのように自然に吹雪はオレに声をかけてくる。昨日のことがあって、オレは少し気恥ずかしかったが、表情に出すのは嫌で、ポーカーフェイスを貫き通したまま、返事をする。
 吹雪はトレイをオレの前のテーブルに置いて、椅子を引いて座った。余りに自然な動作だったので、許可取るとか無いのかよ、という突っ込みをオレは飲み込む。

「昨日は大丈夫だった?」
「ああ」

 箸を持って行儀良く、いただきますと手を合わせる吹雪を横目に焼き魚を解す。今日は鮭だ。塩加減もちょうどいい。
 吹雪が茶碗片手に昨夜のことを問いかけてくるのに、オレは素っ気無い返事をする。昨日のことを掘り返されたくなかった。
 自分でも、らしくなかったと思っている。こいつの意外と熱いところや呆けた顔は見ものだったが、それ以上に自分に対する羞恥心が勝る。些細なことだった。だが、きっと吹雪は気付いただろう。

「良かった。お風呂、間に合った? 僕が行った時には、不動くん、いなかったよね」
「お前が遅すぎるんだよ。部屋で何やってたんだ」
「えーっと・・・・・・、何やってたんだろ・・・?」

 箸を唇に当てて、うーんと考え込む。昨日のことだろ、すぐに思い出せよ。そう思ったが、黙ってオレはサラダに箸を伸ばした。
 吹雪はそれでも思い出せないらしく、忘れちゃった、とあっけらかんと笑った。そして、テーブルからドレッシングを取って、サラダにかけていく。

「不動くん、トマト駄目なの?」
「・・・・・・うるせえな」

 大方食べ終えたオレの皿を見て、吹雪が小首を傾げた。ご飯も味噌汁も焼き魚も綺麗に片付いた、その中にひとつだけ残っている赤い物体。
 吹雪は親や教師のようなしたり顔をした。それに思わずイラっとして、オレは舌打ちをしてしまう。別に好き嫌いのひとつやふたつ、誰にだってあるだろうが。あの円堂や壁山にだってあるんだぞ。

「好き嫌いは駄目だよー」
「お前にはねえのかよ」
「え、好き嫌いのこと?」
「ああ」
「うーん、あんまりないけど。・・・あ、でもコーヒーは飲めないや。苦いの苦手なんだ」

 吹雪は思案しながら、焼き魚を口に運ぶ。そして、咀嚼して飲み込んだ後に今思い出したとでも云いたげに口を開いた。

「あるんじゃねえか、お前にも」
「それはそうだけどさ。でも、出されたものを残すなんて作ってくれた人に失礼だよ」

 突っ込めば、吹雪は不満そうに唇を尖らせる。ご飯粒のひとつも残らない茶碗を置いて、今度は味噌汁を啜った。
 確かに云っていることは正しい。だが、何となく釈然としないのは何でだ。
 云い返すのも面倒臭くなって、胸のもやもやを飲み下すように、茶を含む。吹雪はサラダのトマトをこれみよがしにオレに見せ付けるように食べている。結構性格悪いなお前。

「じゃあさ、好きなものは?」
「は?」
「だから、好きなもの。僕はね、ケーキが好き。後、ココアとかオレンジジュースとか、甘いのが好き。不動くんは?」

 吹雪の問いかけにオレは一瞬反応出来なかった。グラスを持ったまま、間抜けな声を上げてしまう。吹雪はもう一度、今度は語気を強めて云った。
 正直、意味が解らなかった。さっきの話の続きなのだろうが、オレの好きなものを聞いてお前はどうしたいんだ。ついでに云えば、オレは別にお前の好みなんか知りたくない。
 だが、大きな目をきらきらさせてオレを見るその期待に満ちた眼差しにオレは逆らえなかった。昨日練習に誘われた時と云い、オレは何でこいつに逆らえないんだ。

「・・・・・・バナナ」
「ん?」
「云ったぞ、もういいだろ。オレ、先にグラウンド行ってっから」

 云った後にふっと我に返って、急に恥ずかしくなる。吹雪は聞こえなかったのか、軽く小首を傾げて、窺うようにオレの顔を見ていたが、オレはそれを振り切ってトレイを持って席を立った。
 何で答えちまったんだオレ。胸を満たす後悔に苛立ちを覚えながら、トレイを返却して、オレは食堂を出た。何だか吹雪がじっとオレを見ている気がして、落ち着かなかった。






 休憩!という円堂の掛け声を合図に、皆それぞれ好きなように散らばって行く。オレはと云えば、とりあえず近くの木陰に腰を下ろして深呼吸をした。
 そんなに息が乱れたという訳では無いが、さすがに試合が近いこともあって、皆、練習には自然と熱が入っていた。アルゼンチン戦を落とした今、もう一試合も負けられない。吹雪が復帰し、栗松が離脱したことで、チームの編成が変わった影響もあり、更に相手は元々雷門にいた一之瀬と土門ということで、フォーメーション練習は特に事細かに行われた。
 休憩を挟んで、次はそれぞれポジションごとに練習だ。練習メニューを頭に思い描きながら、ほっと一息つくと、足元の影が濃くなった。見上げると、逆光の中でも解る笑った顔。

「お疲れさま! はい、ドリンクとタオル」
「・・・・・・おう」

 吹雪は手に持ったドリンクボトルとタオルを掲げると、オレの隣に座り込んで、二つある内の片方を手渡した。冷たいドリンクを一気に飲み干すと、身体が潤っていくのが解る。
 吹雪もまた、タオルを肩にかけ、水分補給をしていた。随分走っていたみたいだから、咽喉も渇いていることだろう。前髪が汗で濡れている。
 昨日の件に今朝のことがあって、オレは何となく居心地が悪くて、タオルで額の汗を拭った。大体、こいつも何でわざわざオレのところまでドリンクとタオルを持ってきたんだ。

「朝、ごめんね」
「は?」
「昨日もだけど、不動くんとおしゃべり出来るのが嬉しくて、ちょっと調子乗っちゃった」

 吹雪はドリンクから口を離すと、涼を取るように汗をかいたボトルを頬に押し当てながら、そう云った。唐突な謝罪にオレは何かあったっけと一瞬、記憶を巡らせた。
 オレの返事を気にせず、吹雪は理由を訥々と説明していく。それでようやく合点がいった。今朝や昨夜の強引な態度を謝罪しているのか。
 正直、オレは吹雪がこんなにしおらしく謝るような性格だとは思っていなかった。物腰が穏やかなようでいて、吹雪はフィールドでのプレイもそうだが、意外と強引なところがある。人好きのする笑顔や柔らかい口調に周りはだまされて、わがままを受け入れてしまっているが、こいつは案外したたかだ。まあ、多分無自覚なのだろうが。
 だから、昨日のことにせよ、今朝のことにせよ、吹雪がオレを振り回しているという自覚があったことに驚いた。更に謝りに来るなんて。まったくもって予想外だ。

「僕、本当に嬉しかったんだよ。不動くんが昨日、僕に挨拶してくれたこと。・・・初めてだよね、不動くんから挨拶してくれたの」

 タオルを握ったまま固まっているオレを放置して、吹雪は膝を抱えるようにして、じっとグラウンドを見つめながら、ゆっくりと話し始めた。
 小首を傾げてオレを見る吹雪にオレはうっと言葉に詰まる。確かにそうだ、確かにそうなのだが、オレにとって触れられたくない話題だ。何であんなことしたのか、自分でも解らねえ。
 ただ、何となくだった。何となく、云うなら今しかないと思った。それだけだ。そもそも何で云わなきゃならないんだって話だが。

「本当に、嬉しかったんだ。何て云っても君は、僕の記録を塗り替えた人だからね」
「・・・記録?」
「そう、記録。僕の挨拶にあんなに頑なに返事をくれなかったのは不動くんが初めてだよ」

 心の底から嬉しそうに特徴的な眉を下げて、にこにこと笑いながら云う吹雪。オレだって初めてだよ。あそこまで徹底的に無視し続けたのに、毎朝毎朝挨拶してきたやつ、お前以外、会ったことねえ。どんなに素っ気無い態度を取っても、吹雪は毎朝笑顔を絶やさず、おはようと云い続けた。
 ・・・・・・ああ、だからなのかも知れない。吹雪に、声をかけなければいけないと思ったのは。

「オレだって初めてだよ、あんなにしつこかったやつは」
「ふふ。でもさ、挨拶って人と触れ合う第一歩でしょ? 僕は不動くんと仲良くなりたかった。でもあんまりしつこく話しかけたらあれかなって思って」

 だから、毎朝おはようって云うことにしたんだ。これなら、あんまり迷惑にならないでしょ?
 そう云って、吹雪は笑う。その顔を、オレは毎朝見ていたはずなのに、初めて見たような気がする。ああ、そうだ。だって、こいつも例外なく、木偶の坊だったんだ。オレの中では、ずっと。
 思い返せば、記憶には残っている。だけど今になってようやく、認識できる。こいつは、こんな顔で笑うのか。そんな、当たり前のこと。

「十分迷惑だった」

 口が悪いのはもはや、癖のようなものだった。口から飛び出た言葉は本音だ。
 毎日毎日、顔を見る度に声をかけてくる吹雪はオレにとって酷く疎ましい存在だった。かけられる言葉がたった一言のそれだとしても、馴れ合いの象徴のように思えた。鬱陶しくて無視しているのに、吹雪はそれでも挨拶を止めない。
 アジア予選が終わって吹雪が怪我で離脱するまで、それは続いた。清々した、と思った。怪我を喜んだ訳では無いが、朝、あの甘ったるい声が聞こえないことにはほっとした。
 でも、改めて周りを見回した時。それがどれだけ大切なものだったのか、気付いた。ウザくて仕方が無いのは今も同じだ。だけど、確かにそこに自分がいること、このチームに、世界に組み込まれていること、他人がいて自分がいること。それを知らせようとしてくれたのだと、今なら解る。ただ毎朝声をかけるだけ、それだけなのに、そこにはきっと大きな意味が込められていて。それにオレは、ようやく気付くことが出来た。
 だから、

「ありがとな」

 小さな声はきっと吹雪には聞こえないだろう。むしろ、聞こえないほうが良い。これは、自己満足に過ぎないのだから。大体、オレが素直に感謝の言葉を述べたりなんかしたら、チーム全員が大爆笑するだろう。要するに、こいつと違って、素直さはオレの柄じゃねえんだ。

「へ?」
「何でもねえよ。ほら、もう練習始まるぞ」
「あ、うん」

 案の定、聞こえなかったらしい吹雪は軽く小首を傾げ、オレの顔を見つめた。オレは首を振って、タオルとドリンクボトルを片手に立ち上がる。遠くで円堂が集合!と叫ぶのを指差して、吹雪を置いて、そちらへと向かう。頷く吹雪の声は戸惑いに満ちていたが、オレは全力で無視した。
 オレの後を追うように立ち上がる吹雪の気配を感じながら、オレはタオルで額の汗を拭う。耳が赤くなっていないか、それだけが気がかりだ。
 ・・・・・・だから、オレの柄じゃねえんだよ、こういうのは。






「不動くん・・・・・・?」
「・・・・・・何だよ」

 夕食後。食堂でだらだらとおしゃべりをしたり、自室でのんびりしたり、テレビを見たり、トランプをしたり。各自自由時間を満喫している中、オレは自室でベッドの背に身体を預け、雑誌を読んでいた。パラパラと雑誌を捲りながら寛いでいると、こんこんと小さくノックの音が聞こえ、手を止める。
 次いでオレを呼ぶおっとりとした特徴的な声。吹雪だ。昨日今日と復帰してからオレはよくよくあいつと縁があるようだった。・・・・・・九割方、あいつに絡まれているだけだが。
 正直、面倒臭かったので、だるいという気持ちを隠さずに不機嫌そうな口調で返事をすると、吹雪はおずおずとドアを半分ほど開けて、顔を出した。

「あのね、ケーキがあるんだけど、一緒に食べない?」
「は?」

 手に持った茶色い紙袋を軽く持ち上げて、吹雪は控えめにはにかむ。思いもよらない発言にオレは間の抜けた声を上げてしまった。ぽかんとしているオレに吹雪は一生懸命説明を始める。
 そういえば、夕食前に吹雪の姿が見えないと風丸が探していたような気がする。きっとケーキ屋にでも行っていたのだろう。
 吹雪は最後にオレの顔色を窺うように小首を傾げ、不安そうにオレを見つめた。心なしか、その目は潤んでいるように見える。

「バナナチョコロールケーキ。美味しそうだったからつい買っちゃったんだ。一人で食べるにはちょっと大きいし・・・、ダメかな?」
「・・・・・・」

 オレは押し黙る。
 ・・・・・・まさか、聞こえていたとは思わなかった。
 今朝の好きな食べ物の話だ。きっと吹雪には聞こえていたのだろう。オレがバナナを好きだと云ったこと。だから吹雪は、ケーキを買いに行ったのは自分の好みであるにせよ、わざわざバナナロールなんてものを選んだのだろう。吹雪の心境など知る由も無いが、何となく、居心地が悪かった。
 別に甘い物は嫌いでは無かったし、それが好物であれば、尚更、断る理由なんて無い。だが、何だか吹雪に乗せられているようで、オレの口は素っ気無い言葉を吐き出す。

「他のやつ、誘えばいいだろ? 甘いもの好きそうなやつなんか、たくさんいるだろーが」
「あ、甘いのダメだった? ごめんね、迷惑だったかな」
「・・・・・・そういう訳じゃねえけど」

 そんなオレの言葉を吹雪はどう勘違いしたのか、慌てたように弁解をした。吹雪の元々垂れ気味な目許はこれ以上無いくらい下がって、何とも情けない顔をしている。それを見たら、何だか意地を張っている自分が馬鹿らしく思えてくるんだから不思議だ。

「じゃあ、一緒に食べよう? バナナチョコロール」

 何がじゃあ、になるのかは解らないが、吹雪はさっきの落ち込んだ表情から一転、嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。許可してもいないのに、オレの部屋に入り込んだ吹雪は机の上に紙袋を置くと、用意周到に食堂から借りてきたのだろう、皿とフォークを並べ始める。るんるんと鼻歌でも聞こえてきそうな雰囲気にオレにこいつを止められるはずも無いと諦めを感じた。
 そうだ、こいつは無自覚に強引で、わがままなのだ。ならば、付き合うしか無い。

「ちょっと待ってろ」
「え?」
「飲み物、持ってきてやる」
「・・・うんっ!」

 はしゃいだ声で弾むボールのように頷く吹雪を背に部屋を出る。仕方が無いから、あいつの好きなココアでも入れてやろうかとそんなことを思った自分に内心、苦笑しながら、オレは食堂へと向かった。








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