◇ 新しい日々を






 こたつにみかん。日本の冬の定番であるそれを満喫しながら、僕はぼんやりと目の前のテレビ画面を見つめた。
 最近買い換えた新しいテレビの中では綺麗な着物を身に纏った妙齢の演歌歌手がマイクを片手に熱唱している。もうそろそろ、番組も終わりそうだ。もうすぐ、年が変わる。
 年越し蕎麦も食べたし、ささやかながらお節の準備もして、大掃除も年賀状も、所謂正月準備というものは全て終わらせた。新年を迎える用意はばっちりだ。

「おばあちゃんもみかん、食べる?」
「じゃあ、貰おうかな」
「剥いてあげるね」

 卓上に置かれた籠からみかんをひとつ、取りながら隣でテレビを見ているおばあちゃんに訊ねた。おばあちゃんは皺の刻まれた頬を緩めて、ゆっくりと頷く。
 僕は、手に持ったみかんを置いて、もうひとつ、大ぶりなみかんを手に取った。丁寧に皮を剥きながら、こんな穏やかな気持ちで大晦日を過ごすのは何年ぶりかな、と感慨深く思う。
 事故の後、おばあちゃんに引き取られた僕は、それ以来ずっと一緒に暮らしてきた。でも、大晦日に限らず、この家でイベントごとというものは存在しなかった。お母さんもお父さんもそういうイベントごとが大好きな人だったから、どうしても思い出してしまって、僕はクリスマスも誕生日も嫌いだったから。
 おばあちゃんもそれに、気付いていたんだろう。無理に祝おうとしないで、僕に合わせてくれた。それから五年、この家には祝い事は無かったのだ。だけど。

「はい、おばあちゃん。それね、多分甘いよ」
「ああ士郎、ありがとう」

 綺麗に皮を剥いて、大体の筋を取ったみかんをおばあちゃんに手渡す。一瞬触れた、皺くちゃなおばあちゃんの手は温かかった。
 おばあちゃんはみかんを一房口に運んで、僕の顔を見て、柔らかく唇を綻ばせた。それに僕も嬉しくなって、微笑み返す。

「本当だ、甘いね」
「でしょ?」

 クリスマスにケーキが食べたいとねだった瞬間の、おばあちゃんの顔を僕はきっと一生忘れないと思う。大掃除の手伝いを申し出た時、一緒にお節を作ろうと云った時、どれもおばあちゃんは最初はとても驚いた顔をして、それからゆっくりと微笑んだ。
 その顔を、僕はどれくらい見ていなかったんだろう。いや、見ようとしていなかったんだろう。
 家族がいなくなってから、僕はずっと下ばかり向いていた。だだっ子みたいに膝を抱えて、目を瞑って、目の前の現実から逃げていた。だからきっと、気付けなかったんだ。
 僕の傍にはずっと、こんなに優しく僕に笑いかけてくれる人がいるということに。

「今年ももう終わるねえ」
「うん、早かったね」

 テレビの中はもう既に番組が変わって、鐘の音が鳴り響いている。しみじみと呟くおばあちゃんに僕もみかんを食べながら答える。うん、やっぱり今年のみかんは甘いな。
 ぼんやりとテレビを見ながら、こたつの温もりに身体を委ねていると、ふいに携帯が震えた。メールだ。

「・・・・・・? 何だろ?」

 こんな時間に誰だろうとサブディスプレイを覗けば、そこにはキャプテンの文字が。キャプテンからメールなんて珍しいな、そう思いながらメールを開いて、僕は思わず笑った。

『明けましておめでとー! 今年も宜しくな!』

 キャプテン、まだ早いよ。素で突っ込みつつ、携帯のキーを打つ。時計の針は日付が変わる十分前を示している。

『まだ明けてないよ、キャプテン』

 返事はすぐに来た。メールの内容を読んで、僕の頬は自然と緩む。

『だって年越し蕎麦食ったらもう年越した感じになっちまったんだ。10分くらい変わらないさ』
『ふふ。キャプテンらしいね』
『それ、褒め言葉か?』
『もちろん。今年はどうもありがとう。来年も宜しくね、キャプテン』
『ああ! また一緒にサッカーしようぜ!』

 何度か続く、メールの往復にキャプテンは変わってないなあ、と思う。それが何だか懐かしくて嬉しくて、ぎゅっと携帯を握り締めた。
 この底抜けの明るさが、きっと今も誰かの救いになっているんだろう。僕が、そうだったみたいに。

「どうしたの? 嬉しそうだね、士郎」
「お世話になった東京の友達からね、メールが来たんだ。僕を、・・・助けてくれた人」

 携帯をぱたんと閉じると、みかんを食べ終わったおばあちゃんがお茶を啜りながら、小首を傾げてくる。そんなに顔に出ていただろうかと少し恥ずかしかったけれど、僕は素直に今の気持ちを言葉にした。
 思えば、今年はとってもたくさんのことがあった。去年の今頃には僕の中にはまだアツヤがいて、僕はこんな穏やかな気持ちで新しい年を、未来を迎えることが出来なかった。でも、今は違う。
 苦しいことや辛いこと、悔しいこともいっぱいあった、だけど。何よりも、大事な仲間に出会うことも出来たんだ。

「・・・そう。そういう友達は、大事にしなさいね」
「うん」

 おばあちゃんは静かに頷いて、幼い子どもに云い含めるように微笑んだ。それに僕はしっかりと首を縦に振る。
 うん、大事にするよ。こんな風に過ごせるようになったのも、皆、キャプテンたちのおかげだから。見回してみたら、本当はこんなにも世界は優しくて、臆病で怖がりで仕方が無い僕でも見守っていてくれる人がいるってこと、気付かせてくれた。僕の大切な人たちはまだ、ここにもいるんだって。

「あっ」
「ふふ。いつの間に」

 気付いたら、日付が変わっていて、僕は目を丸くした。流れるテロップは0時3分。おばあちゃんも気付かなかったみたいで、可笑しそうに声を上げて笑っていた。
 そうしたら、何だか僕も笑えてきて、僕はおばあちゃんに向き直って、新年の挨拶をした。昔はよく、お母さんとお父さんとしたな。何年ぶりだろう。こうして、新しい年の始まりを素直に嬉しいと思えるなんて。

「明けましておめでとう。今年も宜しくね、おばあちゃん」
「こちらこそ。明けましておめでとう。今年も宜しく」

 おばあちゃんもぺこりと頭を下げる。顔を上げた瞬間、おばあちゃんと目が合って、意味も無く笑い合った。








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