◇ 強がりの目標






 僕のお母さんは、イベントごとが好きだった。僕たちの誕生日はもちろん、結婚記念日もクリスマスもお父さんの誕生日も子どもの日や七夕、節分、とにかく、イベントごとがあると張り切って、僕たちに自慢の料理を振舞ってくれた。それはお正月も例外では無くて。
 大晦日の晩はお母さんが作ってくれたいつもよりも豪華な晩御飯を食べて、今思えばくだらない特別番組を見て笑いながら、新しい年の訪れを待っていた。その夜だけは、夜更かしをしても怒られなかったから、僕とアツヤは眠い目を擦りながらも除夜の鐘が鳴り終わるまで起きていたものだ。そして年が変わって一番最初に、家族で顔を突き合わせ、挨拶をする。
 明けましておめでとう、今年も宜しくお願いします、と。






 付けっ放しのテレビから流れるはしゃいだ声が、アパートの狭い部屋に響いた。新年明けましておめでとうございます! 番組の司会をしていうタレントが大きな声で叫ぶ。
ああ、いつの間にか新しい年になったんだ。潜り込んだこたつの中で身体を丸めながら、僕はぼんやりとテレビ画面を見つめる。
 眠たいという訳では無いけれど、テレビの中の人々のように明るい気持ちにはなれそうに無かった。もうどうってことは無いはずなのに、やっぱりどうやったって、寂しいという感情を消すことは出来ない。どんなに上から塗り潰しても、じわりと滲み出るもの。特に、こんな大勢にとって特別な日には、一人が「独り」なのだと身に沁みる。

「あいさつ、しないと」

 暖房が聞いた室内はこたつから出ても十分暖かい。北海道で生まれ育ったからか、僕には必要以上に暖房を利かせてしまう癖があって、たまに部屋を訪れる染岡くんや風丸くんには無駄遣いだとよく怒られる。でも、寒いよりは暖かい方がずっと良いに決まっている。寒いことは、怖いことだって知らないから、皆、そんなことが云えるんだよ。本当に身体の芯から凍えそうになったことが無いから、云えるんだ。
 むくりと身体を起こして、テレビのリモコンに手を伸ばす。電源を切ると、急に静かになった気がした。静寂は嫌いだ。あの雪原を、孤独を、思い出させるから。でも、今、この場に空気の読めないバラエティのすかすかの笑い声は必要無いのだ。寂しさを紛らわせる為だけの、人の声は。

「お父さん、お母さん、・・・・・・アツヤ」

 のそのそと立ち上がって、部屋の片隅、僕の私物の大半が詰まった戸棚に向き直って、正座をした。そこには、最後に皆で撮った家族写真が飾られている。
 試合に勝って喜ぶ僕らと笑顔のお父さんとお母さん。雪に埋もれたカメラの中から出てきたフィルムは、在りし日を鮮明に写し出していて、しばらくは直視することも出来なかった。一目見た瞬間、泣いてしまいそうになるから。僕はずっと長い間、この写真を机の奥深くに封印していた。こうして飾るようになったのは、このアパートに越してきてからだ。

「明けまして、おめでとう」

 膝の上に手を置いて、背筋を伸ばして、畏まった姿勢で僕は宣言をするように口を開いた。握り締めた拳が今にも震え出しそうで、ぎゅっと力を込める。
 写真の中の僕は、まだあどけない幼さを残した顔で笑っている。あれからもう何年も経って、僕は少しずつ大人になっている。成長、している。
 今も、僕が生きている限り、時間が止まることは無くて、きっとまだまだ背も伸びるし、肩幅も手のひらも大きくなって、そうして僕は、あの日々から離れていくのだろう。
 アツヤと同じサイズの服は、きっともう着れない。あんなに瓜二つ、お揃いだった僕らは、もう二度と同じにはなれない。今に僕は、お父さんやお母さんの歳を追い越してしまう。それが怖くないと云えば、嘘になる。僕だけが前に進む、生きているから。いつの間にか、遠ざかってしまう。アツヤも、お父さんも、お母さんも。それが、怖い。だけど。

「僕、頑張るから」

 目頭が熱くなる。鼻の奥が、つーんとした。ぎゅっと目を瞑る。祈るように、願うように。
 寂しい、寂しいよ。どうして僕一人、置いていってしまったの。
 そんな気持ちを全て捨てられるほど、僕は強くなれない。でも、だからこそ。僕は、言葉だけでも前を向いていたかった。この胸の痛みや、どうしようもなく頬を濡らす何かを言葉にして認めてしまったら、もう僕は立っていることさえ出来なくなってしまう。それをきっと、アツヤもお父さんもお母さんも、望まないことだけは、馬鹿な僕にだって解る。

「・・・・・・っ、見ててね、僕、強くなるから、ぜったい、ぜったい」

 今は強がりだけど、いつか本当に強くなって見せるから。








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