◇ まずはあいさつから  後編






 晩御飯を食べ終えた後の自由時間は何をしても良いことになっている。チームの皆はそれぞれ、部屋で本を読んだり、談話室でテレビを見たり、お風呂に入ったり、誰かの部屋に集まってゲームをしたり、好きなようにその時間を満喫しているようだった。
 僕もキャプテンに一緒にトランプをやろうと誘われたけど、今日はやりたいことがあったから断って、ボールを手にグラウンドへ出た。夜のグラウンドは誰もいなくて、しんとしている。
 ボールを地面に落とし、小さく跳ねるそれを足で受け止め、駆け出す。とにかく、身体を動かしたかった。ゴール前まで軽くドリブルして、シュートを打つ。うん、足の違和感はもう無い。
 だけど、今ひとつ、パワーが足りない気がした。やっぱり筋力が落ちているのかな。基礎の筋力トレーニングをもっと増やすべきなのかも。ゴールネットに絡まったボールを拾いながら、そんなことを思う。
 今日、風丸くんと走り込みをしたけど、スピードも案の定少し落ちてたし。アメリカ戦までにやらなきゃいけないことがたくさんあるみたいだ。自分の身体の調整くらい、ちゃんとしておかないと。
 二ヶ月近いブランクは結構大きいけど、僕のことを待っててくれたキャプテンや皆にちゃんと応えられるサッカーをしたい。

「風丸くんとの連携技ももっと詰めていかないといけないし、やることいっぱいだ」

 やる気を出すように頬をぱんっと叩いてから、もう一度、ボールを蹴る。まずはシュート練習。考えた連携技の為にはエターナルブリザードをもっと強化しないといけない。
 スピードは明日の朝、早起きして走り込みするとして、今日お風呂に入った後、いつもより筋トレの回数を増やそう。アメリカ戦まで後数日しかない。時間は有限、有効活用しなくっちゃ。
 これからの計画を立てながら、ボールをゴールへと運ぶ。そこで、渾身のエターナルブリザード。ボールは氷塊を纏って、ゴールネットへと吸い込まれていく。

「っは・・・・・・」

 軽く上がった息を整えながら、唇を噛む。当たり前のことだけど、体力も落ちていた。リハビリ中も出来る限りの筋力トレーニングや体力作りはしていたつもりだけど、上半身はともかく、あんまり足を動かすとせっかくくっ付きかけた骨が離れてしまうということで、思いっきり身体を動かすことは出来なかったから。
 病院でもう大丈夫だと云われ、久遠監督から電話がかかってきた時はやっと皆とサッカーが出来る喜びに舞い上がっていたけれど、現実的に考えると、課題は山積みだ。
 思ったよりも自由に動かない身体に僕は悔しくなって、固く手のひらを握り締める。
 だけど、ここで諦めたらダメだ。立ち止まったら、いけない。乗り越えないと。せっかくまた、皆と同じグラウンドに立てるようになったんだから。栗松くんの分も頑張らないといけない。それに、約束したんだ。必ず、世界一になるって。
 決意するようにゴールを見つめる。と、いきなり背後から挑発するような声が聞こえて、僕はパッと振り返った。

「また一人逸ってんのか。成長しねえな」

 同時に勢いよく迫ってくるボールを咄嗟に右足で蹴り返す。ボールは飛んできた方向―――、不動くんの方へ真っ直ぐに向かっていった。それを軽くトラップして、不動くんはにやりと満足げに笑う。

「鈍ってはなかったみてえだな」
「不動くんにそう云って貰えて嬉しいよ」

 いきなりの攻撃的な挨拶に僕もまたにこりと笑ってみせる。内心、びっくりして心臓がちょっとうるさかったけど、顔には出さない。だって、そんなことしたら不動くんに笑われるに決まってる。
 にしても、瞬発力は鈍ってなかったみたいだ。良かった、とほっと胸を撫で下ろす。顔面でボールを受け止めるなんて羽目になったら、僕は色んな意味でしばらく立ち直れなかったに違いない。

「僕、何か君の気に障るようなこと、したかな?」
「別に。ただ練習しようと思ってグラウンドに出てみたら、成長しない馬鹿が見えたんでな」

 僕をじっと睨むように見つめる不動くんに僕は首を傾げる。動機は薄々解ってはいたけど、突然背後からボールをぶつけられるようなことをした覚えは無い。
 不動くんは僕の疑問を鼻で笑って、足元のボールをもう一度、僕に向かって、力強く蹴った。それを受け止めながら、僕は不動くんの言葉に反論するように口を開く。

「そういう訳じゃ、ないんだけどねっ。・・・・・・逸ってるつもりはないよ。自分の満足のいくプレーがしたいだけ」

 一緒にボールも不動くんに返す。不動くんはそのボールをまた僕に向かって蹴りだした。

「僕ね、努力とか根性とか、そういうのあんまり好きじゃない。練習だって出来れば、楽しい方がいいと思ってる」

 僕たちの間をボールが往復する度に、僕は言葉を紡いだ。別に不動くんにここまで説明する必要は無いはずなのだけど、でも、聞いて欲しいと思った。
 不動くんは僕の何処を見て、逸っていると判断したんだろう。確かに自分の身体が思い通りに動かないことに焦れてはいたけど、それは決して前みたいなものじゃないんだよ。自分の身体の現状を把握することは大事なことだし、何よりも僕はもう、忘れてなんかいないんだから。

「だけど、今は身体を動かせるだけで嬉しいんだ。皆と一緒にサッカー出来るのが楽しくて堪らないんだよ。だから、前みたいに焦ってる訳じゃないよ。ただ、ボールを蹴るのが楽しいだけ」
「そういうもんか」

 最後に思いっきり不動くんに向かって、気持ちを込めてボールを蹴ると、不動くんはそれを片足でさらっと受け止めて、僕の顔を見て、微妙な表情をした。投げやりな返事が聞こえる。
 その様子に僕は小首を傾げて、問いかける。不動くんはポンっとボールを蹴り上げて、それを胸で受け、つまらなそうな顔をしてポンッ、ポンッと遊んでいる。

「不動くんは、皆とサッカーするの、楽しくないの?」
「そういう風に考えたことがねえ」
「そうかな。僕には不動くんは十分、楽しそうに見えるけど」

 またぶっきらぼうな答え。だけど、僕の不動くんに関してのそう多くは無い記憶を信じるならば、不動くんは皆とサッカーをするのを楽しんでいるように見えた。少なくとも、僕はそう感じた。
 あからさまな態度に表している訳では無いけれど、何ていうのかな、楽しそうな雰囲気?が感じ取れる。まあこれは僕の直感で、不動くんにとっては全然見当違いのことかも知れないけれど。
 そんなことを考えながら、ボールと戯れる不動くんを眺めていたら、ふと良いことを思いついた。不動くんがボールから視線を外したのをきっかけに、話しかけてみる。

「ねえ、一緒に練習しようよ」
「はあ?」

 一歩近づいて、不動くんの目をじっと見つめる。不動くんは案の定というか予想通りというか、驚いた顔をして僕を見た。
 露骨に迷惑そうな表情に一瞬怯みかけるものの、ここで引き下がったら不動くんはきっと付き合ってくれないと思い直す。不動くんと付き合うには押しが大事なんだって僕、気付いたんだよね。
 基本的に他人と関わりたがらなくて、皆から外れたところで冷めた目をしている不動くんと仲良くなる為には、多少のことで引き下がっていたらダメなんだって。

「何でオレが、」
「ディフェンス練習したいんだ。不動くんが相手ならきっともっと楽しいと思うし。それに不動くんにとっても、相手のディフェンスを抜く練習になるでしょ?」
「・・・・・・・・・・・・仕方ねえな」

 不動くんの言葉を遮って、にっこりと出来る限り満面の笑みで、不動くんが納得しやすいように理屈を添えて云う。
 不動くんはたっぷりと間を取って、しばらく考え込んでいたけれど、最終的に面倒臭そうに頷いてくれた。地面に落ちたボールを軽く蹴って、走り出す。そのボールを奪おうと僕は彼に立ちはだかるように駆け出した。






「っはあ、・・・ふっ・・・」
「おっまえ、全然、鈍ってねえじゃねえか・・・っ」
「そう・・・、かな?」

 お互いに荒い息をしながら、グラウンドに座り込む。立てた膝に体重を預けて、呼吸を整えていると、不動くんが悔しそうに悪態をついた。
 でもその目はいつもの何処か冷めた鋭い眼差しじゃなく、グラウンドを照らす外灯の光を反射しているからか、別の理由からかは解らないけれど、とても輝いて見えて、僕は何だか嬉しくなる。
 額に滲む汗をジャージの袖で拭いながら、不動くんを見遣ると不動くんもまた丁度タイミング良く、顔を上げたところだった。にこっと笑うと、居心地が悪そうに目を逸らす。
 だけど、僕がさっきまでの練習の結果を口にすると、

「10対10、同点だね」
「・・・・・・もう一回だ」

 一気にやる気を取り戻したように挑戦的に僕を見た。その目はぎらぎらしていて、負けるもんかという闘争心に溢れている。不動くんって凄い負けず嫌いなんだなあと初めて知る事実に目が丸くなった。
 身体を起こした不動くんはボールを右足で押さえ、僕を見下ろす。僕も負けじと勢いよく立ち上がった。
 見た目に反して、って皆に云われるけど、僕だって負けるのは嫌いだ。昔はよくそれが原因でアツヤと喧嘩したっけ。アツヤも僕と同じで負けず嫌いだった。

「行くぞ」
「うん!」

 少し距離を取って、僕と不動くんは向き合う。不動くんが合図をするのに僕は大きく頷いた。不動くんがボールを蹴る。右に行くのか左に行くのか、相手の動きを見ながら判断する。
 僕の場合、半分は直感だ。身体に馴染んだ感覚に任せ、不動くんの動きに合わせて、シュートさせないように立ちはだかる。
 フェイントをかけてくる不動くんに誤魔化されないように、一生懸命ボールを目で追った。不動くんの右足が動く。左だ、と思った僕は身体を左へ傾けて、足を踏み出した。
 と、ふいに目の前からボールが消える。瞬間、僕は唇を噛んだ。やっちゃった。不動くんの足によってポンッと空中へ上げられたボールはあんまり高くない僕の頭上をすっと追い越していく。

「へっ、下ばっか見てるからだ」
「うう〜・・・」
「オレの勝ちだな」

 僕も不動くんがシュートするのを阻止しようと頑張ったけれど、結局、ボールはゴールの中。不動くんが勝ち誇ったように、得意げに僕を鼻で笑うのに、とっても悔しくなる。
 何もそこまで馬鹿にしなくたっていいじゃないか。ちょっと判断ミスしただけなのに。・・・・・・でもその自信に満ち溢れた顔は、心底楽しそうで、悔しかったけど僕は、唇に歯を立てるのを止めた。
 僕の直感はこの練習に置いてはミスをしたけれど、別の部分では当たってたみたいだ。

「今日、僕は楽しかった。不動くんとの練習、とっても為になったよ。・・・・・・不動くんはつまらなかった?」

 ゴールネットに絡まるボールを外しながら、問いかける。不動くんの顔は見えないけど、それで良いと思った。見えない方が答えてくれるんじゃないか、そんな気がした。これも僕の直感だ。今日、不動くんに対することについて、僕は自分の感覚というものを信じることにした。
 しばらくの沈黙。やっぱりダメかな、そう思いつつ、ボールを手に立ち上がると、

「・・・・・・たのし、かったぜ」

 小さな声だったけれど、はっきりと、僕には聞こえた。振り返ると、不動くんが僕を見ていた。僕が振り返るとは思っていなかったらしい不動くんは急に眉を顰めて、表情をいつものものに戻してしまう。
 だけど、僕には見えてしまった。不動くんの普段とは違う、少し柔らかい顔。恥ずかしそうな、照れたような、色んな感情が混ざった表情。
 そんな顔も出来るんだね、僕はまたひとつ、新しい不動くんを知った喜びに唇を綻ばせる。純粋に、ただただ嬉しかった。

「そっか。良かった」

 思わず自分でも気付かない内に跳ねた声で頷くと、不動くんは罰が悪そうな顔をして、そっぽを向く。そんな不動くんに手に持ったボールの片方(不動くんが持ってきた分だ)を蹴る。
 易々とそれを受け止めた不動くんは驚いた顔で僕へ視線を向けた。僕はにっこりと笑って、手に持ったボールを掲げた。

「また、やろうね。僕、負けたままで終わるのヤだし」
「・・・・・・おまえ、結構負けず嫌いなんだな」
「知らなかった?」

 不動くんが驚いたとでも云いたげに微かに目を見開くのに、大げさに小首を傾げてみせる。不動くんはそんな僕を見て、ふっと呆れたように笑った。
 ボールを片付けて、宿舎への道を二人、並んで歩いていく。何故だか自然と揃う足並みに、僕は密かに微笑む。気取られないようにしているけど、ほんとは優しいんじゃないか。だって、日常動作のことごとくをとろい!と染岡くんに一喝されている僕と並んで歩いてくれるんだもの。勘違いかも知れないけど、それって僕に合わせてくれてるってことだよね。
 ああでも、不動くんには僕がこんな風に思ってること、気付かれないといいな。気付かれたら、きっとまたいつもみたいに、わざと悪ぶってしまうから。

「ねえ今、何時かな」
「さあな。オレが出てきた時、9時過ぎだったからもう10時は回ってるんじゃね」
「あー、早くお風呂入らなきゃ。浴場閉まっちゃう。消灯に間に合うかな」

 他愛ない会話。だけど、それもまた楽しい。本当に今日は、朝から色んな不動くんを知った気がする。僕がいない間に不動くんは随分と人当たりが良くなったみたいだ。というより、強がらなくなったのかな。
 横目に表情を盗み見ると、不動くんはつんと澄ました表情ながら、僕の話にちゃんと相槌を打ってくれていた。
 宿舎の扉を開けると、皆、自分の部屋へ引き上げてしまっているようで、中はしんとしていた。玄関の壁掛け時計を見上げると、時刻は午後10時40分。
 まずい。急いでお風呂入らないと。消灯時間に間に合わない。
 即座に頭を過ぎったのがそれだった。どうやら僕は不動くんとボールを追いかけるのが楽しすぎて時間を忘れてしまっていたみたいだ。

「うわ、もうすぐ消灯時間だね。ごめんね、こんな時間まで付き合わせちゃって」
「別に。気にしてねえ。オレも練習、したかったしな」
「・・・・・・でも、ありがと」

 廊下を歩きながら、不動くんの顔を覗き込み、謝罪する。せいぜい10時過ぎくらいかな、なんて思ってた僕の時間感覚の無さを今は恨むしかない。
 謝る僕に不動くんは素っ気無い態度で、顔を背けた。でも、その顔は前よりもきつい険が取れているように感じて、僕は微かに笑って、今度はお礼を云った。
 そうこう云っている内に分岐路に差し掛かる。この奥が僕の部屋で、不動くんの部屋は階段を上った二階にある。

「じゃあ、また明日ね」

 今日の感謝と、そして明日からも今日みたいに仲良くしてくれるといいな、という願いを込めて、にこりと微笑むと不動くんは少し考え込むように眉を寄せた。
 何を思案しているんだろう、そう思ったけど、あんまり深く突っ込んではいけない気がして、僕は不動くんに背を向けて、自室へと足を向けた。
 瞬間、背後から名前を呼ばれて、予想外の事態に肩がびくんと揺れる。ああ、びっくりした。

「吹雪」
「な、なに?」

 振り返ると、不動くんが神妙な顔で僕を見ていた。何だろ、何か僕に伝えたいことでもあるのかな。不動くんが僕にって、いったい何だろう。
 不動くんは二、三度、視線を彷徨わせて、唇を開け閉めしてから、呆れた顔で小さく溜息を吐いた。僕、何か不動くんの気に障ることしちゃったかな・・・?
 さっきまでとは違う刺のある態度に不安になりつつも、僕は黙って不動くんの言葉をその場でじっと待つ。不動くんが面倒くさそうに唇を開いた。

「・・・・・・その、おやすみ」
「・・・・・・うん、おやすみなさい」

 一瞬、拍子抜けしてしまった。だって、あんな態度を取られたら、もっと何か、僕に対しての不満とか、文句とか、そういうものかと僕が身構えてしまったのは仕方が無いと思う。
 びくびくしながら待っていた言葉が余りにも呆気なく廊下に響くのに、僕はきょとんとした顔で不動くんを見つめた。不動くんは罰が悪そうな顔で顔を背ける。
 そこまで来て、僕はようやく現状を把握して、ほっと胸を撫で下ろした。少なくとも、不動くんに嫌われちゃったとか、そういうことでは無かったみたいだった。
 じわりと滲み出る安心感に僕は自然と満面の笑みでその、有り触れた、何処にでもある何でもない挨拶に同じように返事をする。
 不動くんは僕の返事を聞くと、ばっと背を向けて勢いよく階段を上がっていく。やっぱり僕、何かしてしまったのだろうか。その背中を呆然と見送りながら、僕は残された疑問に小首を傾げる。






 それが、不動くんからかけてくれた、僕への初めての挨拶だったことに気付いたのは、お風呂に入って、ストレッチをして、ベッドに入ってからのこと。








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