◇ まずはあいさつから  中編






 苦しいリハビリを頑張って、何とか足を使えるようになって、久遠監督からイナズマジャパンに戻ってくるように連絡が来た時は本当に嬉しかった。
 また、皆と同じフィールドに立つことが出来る。皆とサッカーが出来て、世界の舞台で戦うことが出来る。僕は張り切って荷物を纏め、ライオコット島へ降り立った。
 そして、着いた先で僕はたくさんの新しい出来事を知ることになる。まず、僕がいない間に二つ公式試合があったし、どうやら事件もあったみたいで、当たり前のことだけど、皆もチーム全体も成長していた。
 そんな驚くことが一杯あって、それはとても嬉しいことだけど、ちょっと戸惑ってしまうこともあって。彼のことも、その中のひとつだった。






 元々そんなに多くはない荷物はすぐに片付いたし、今日から練習だ!と意気込んでいだ僕は興奮していたのか、珍しく一番最初の目覚まし時計の音だけで起きることが出来た(ちなみに、目覚ましは三つある)
 すっきりした目覚めは珍しいけど、とっても気持ちが良い。朝から気分が上向いた僕はとりあえずパジャマからジャージに着替えて、タオルと歯ブラシとか整髪料とかその他必要なものをぎゅうぎゅうに詰めたポーチを片手に洗面所へと向かった。朝早いからか、洗面所には一人だけしかいない。
 僕はその人物に少しびっくりしたけれど、今日の僕はずっと浮かれていて、だから僕は彼に対して、普段よりも明るい、跳ねるような声で挨拶をした。
 返事は、余り期待していなかった。だって彼、不動くんは僕が二十回以上挨拶しても、返してくれなかった唯一の人だったから。ところが、

「おはよう!」
「・・・・・・はよ」

 彼はぶっきらぼうで、少し聞き取りにくい小さい声だったけど、ちゃんと挨拶を返してくれたのだ。僕は思わず目を見開いて、驚いてしまった。
 今日も記録更新かなあ、なんて思っていた僕の予想はあっさりと裏切られたのだ。僕は内心、とっても動揺していたけど、それを不動くんに悟られたらきっと不機嫌になってしまうと感じたので、一生懸命、笑顔を浮かべた。大丈夫、バレてないはず。こういうのは僕、得意なんだから。
 不動くんは歯ブラシに歯磨き粉をつけて、どうやらこれから歯磨きをするみたいだった。僕は彼の隣で作業をすることにして、洗面台の上のところに持ってきたものを置いた。
 彼は僕をちらりと見たけれど、何も云わずに歯ブラシを口に突っ込んだ。だから僕も、何でもないふりをして、肩にタオルをかけ、蛇口を捻る。勢いよく出てきた水は、冷たい。ぱしゃ、と両の手で顔へかけると、一気に動揺していた頭が冷えていく。冷静さを取り戻した僕は、タオルで濡れた顔を拭いながら、歯みがきを終えて、軽く手櫛で髪を整える彼に話しかけてみた。

「不動くんって朝、早いんだね」
「・・・・・・そうでもねえよ。今朝はたまたまだ」
「そっか。僕もね、今日は珍しく早起きできたんだ」

 不動くんは素っ気無い態度だったけど、ちゃんと僕の言葉に答えてくれた。何だか凄く嬉しくなって、僕は思わず弾みそうになる声を抑えて、返事をする。
 それっきり、次の話題を見つけることが出来ずに僕は口をもごもごさせることしか出来なかった。何だか悔しい。せっかく不動くんがちゃんとおしゃべりしてくれるようになったのに。僕ってこういうおしゃべりとか空間を持たせるの上手い方だと思ってたけど、実は下手なのかな。まあ今回は不動くんが相手だから、かも知れないけど。
 そんなことを考えていると、不動くんは歯ブラシとタオルを持って、洗面所を出て行ってしまった。残念だけど、きっとこれからまた機会はあるよね。僕ら、同じチームで戦うチームメイトなんだから。
 そうして一人きりの洗面所で歯磨きをして、僕の意志を無視して好き勝手に跳ね回る癖っ毛と格闘していると、風丸くんがやってきた。

「おはよう、吹雪。今日は早いな」
「風丸くん。うん、今日は何だか早く目が覚めちゃってさ」

 定番の挨拶をしながら、僕の隣へと歩いてくる風丸くんに僕も髪から手を離して、微笑む。そして、さっきからずっと誰かに話したくてうずうずしていた気持ちを僕は風丸くんにぶつけるように唇を開く。
 風丸くんには前に一度、不動くんについてを相談したこともあるし、何よりどんな話でもちゃんと聞いてくれるから、僕にとってとても離し易い相手なのだ。
 風丸くんは僕の勢いに少しびっくりした顔をしていたけれど、すぐに真面目な表情になった。手に持った荷物を洗面台に置いて、じっと僕の話に耳を傾けてくれる。

「ねえねえ、聞いてよ。不動くんが、ついに僕に挨拶を返してくれたんだ!」
「まあ、おまえがいない間にあいつも丸くなったからな」
「そうみたいだね。ちょっとだけど、おしゃべりもしちゃった。もう僕、びっくりだよ」

 僕のはしゃぎように風丸くんは苦笑いを浮かべながら、でも律儀に答えを返してくれた。やっぱり風丸くんは優しい。

「嬉しそうだな」
「当たり前だよ! ようやくちゃんとお話してくれるようになったんだから」

 僕が余りに嬉しそうにぴょんぴょん跳ねて喜ぶものだから、風丸くんはついに若干呆れた様子で僕を見た。それにさすがに僕ははしゃぎすぎたかな、と少し反省する。
 それに、確かに僕は胸が一杯になるくらい、不動くんが僕とちゃんとおしゃべりしてくれたことは嬉しいけれど、でも、決してそれだけを感じた訳じゃないんだ。これも、僕が風丸くんに聞いて欲しいこと。

「でもね、ちょっと寂しいかも。皆、僕のいない間に随分先まで進んじゃってるんだもの」

 皆と再会して、改めて感じたんだ。皆と離れていた時間は僕が思っているよりもずっと、長かったこと。
 昨日はこの島に着いたばかりだからと、軽く身体を動かす、ウォーミングアップみたいな練習しかしなかったけれど、それでも皆と一緒にボールを追いかけてみて、改めて思ったんだよ。
 このチームは日々、凄い勢いで成長をしていたんだってことを僕は肌で直接、感じた。ブラウン管越しなんかじゃ掴めなかったものに触れることが出来た。
 そして、それは僕が予想していたよりもずっと、凄いものだったんだよ。

「吹雪なら、すぐに追いつけるさ」

 僕の声のトーンが僅かに落ちたことに、風丸くんは少し目をぱちぱちと瞬かせて、それから優しく笑うと、励ますように僕の頭を撫でた。僕より、背がちょっぴり高いからって子ども扱いしないで欲しいけど、何故だか僕は頭を撫でられやすいみたいで、染岡くんにも土方くんにも緑川くんにも撫でられたことがあるから、もう半ば諦めの境地に至っている。
 何より、風丸くんの手が温かくって、僕のことを考えてくれているのがその手から伝わったから、僕は跳ね除けずに受け入れた。

「そうかな? でも埋められないものって僕はあると思うんだよね。そういうの、やっぱりさ、ちょっとだけ悔しいなって思うんだ。皆と同じ時間を共有出来なかったこと」

 口から言葉が突いて出るままに語る僕の言葉を風丸くんは僕の目を見つめて、聞いていた。風丸くんの手が僕の髪を梳くように動くのがくすぐったくて、僕は微かに笑って肩を竦める。でもその指先は昨日から僕の心の隅っこにわだかまっていて、さっき不動くんと話をしたことから、一気にむくむくとふくらんできた気持ちを優しく溶かしていくようだった。
 リハビリ明けからまだあんまり経ってないからまだ本調子じゃない足のこととか、皆のチームとしての成長やサッカーの技術の上達とか、そういうことが僕は悔しい訳じゃないんだ。
 皆がチームとしてまとまって、仲間としての信頼関係が出来ていて、人間関係だけで幾つも問題を抱えていた僕が離脱する前とは大違いな皆の様子に、僕はほんの少しだけ、疎外感?というのかな、クラスで一人輪の中に入れない子どもみたいな、そんな気持ちになっちゃっただけ。
 勝手だなあって思う。皆は僕のことを仲間として笑顔で迎えてくれた。世界で待ってるって約束を、キャプテンは守って、僕のことを待っててくれた。それなのに、寂しいなんてね。アツヤに僕は寂しがりやだから心配だって、昔云われたけれど、その頃から僕ってば、全然成長していないみたいだ。

「これから、築いていけばいい。まだFFIは終わっちゃいないんだ」

 そう云って僕を力づけるように笑う風丸くんの声は少し低くて、でも、やさしい。その声は僕の心に染み込んで、手のひらの温かさと一緒にまるで魔法みたいに胸の中の何かを消し去っていった。
 僕は風丸くんにはつい甘えちゃうみたいだ。昨日からずっと意識の端っこで感じていたことを吐き出せて、僕は何だかすっきりした気持ちで、風丸くんの言葉に素直に頷くことが出来た。
 何でこんなことでもやもやしてたんだろうね。本当に馬鹿みたいだなあ、僕。

「そうだね。・・・・・・うん、これからもっと一杯、楽しいサッカーが出来るといいな! 僕、ずっと楽しみにしてたんだ。皆と、サッカーするの」
「俺もだよ。俺も、もう一度お前とサッカーするの、楽しみにしてた」
「ほんと? ふふ、嬉しいな」

 僕が元気を取り戻したことに気付いた風丸くんは、最後にくしゃりと僕の頭をかき混ぜて、それからとびっきりの笑顔で答えてくれた。それがちょっとくすぐったくて、僕はくすくすと声を上げて笑う。
 今日の練習が、目が覚めた時よりもっと楽しみになってきちゃった。リハビリ中に考えてた必殺技も、形にしたいな。そうだ、ずっと相手を考えてたけど、風丸くんと一緒にしよう。風丸くんがいいって云ってくれたらだけど、でもきっとこれには風丸くんのスピードが必要になる。一緒に、やれたらいいなあ。
 そんなことを考えながら、僕はまたどんなに頑張っても、思い通りにはなってくれない髪を何とかする為に櫛を手に取った。そして、作業を始める前に隣で歯磨きをしている風丸くんに声をかける。

「・・・・・・・風丸くん。話、聞いてくれてありがと」

 歯磨き途中の風丸くんは、歯ブラシを口に突っ込んだまま、それでも返事代わりに小さく、笑ってくれた。








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