02. 特等席








「ねえ吹雪くんは好きな人っている?」
「好みのタイプは?」
「今、どこに住んでるのー?」
「部活とか入るの? 風丸くんとおしゃべりしてたけど、やっぱりサッカー部?」
「風丸くんとは仲良いのー?」


 何というか、案の定。1時間目が始まるまでの休み時間、彼はクラスメイトに囲まれていた。その中にはななみもいる。情報を聞き出して、また誰かに回すんだろうか。
 教室の後ろから、困ったように微笑みながら、ひとつひとつ答えていく彼を眺めつつ、私は溜息を吐いた。とうの昔に自分の席は彼女らに占領されてしまったのだ。
 それは、隣で私と同じように遠巻きに彼を見つめている風丸君も一緒のようだった。彼も吹雪君に話しかけたいだろうに、きっと女子の勢いには勝てないのだろう。

「吹雪君も大変だね」
「あ、ああ、そうだな。確かに行く先々でもててたけど、まさかここまでとはな」

 私がぽつりと呟いた言葉に目の前の光景に呆然としていた風丸君は苦笑をもって、返してくれた。
 まったくもってその通りである。まさか、ここまでとは。私も同意見だ。
 教室内はおろか、廊下にも女生徒が詰め寄って、噂の王子様を一目見ようと一生懸命だ。制服からして、一年や三年もいるらしい。この短時間に一体どこから広まっているんだ、その情報は。肝心の王子様は女子に囲まれて、元々の身長の低さも相まってか、遠くからでは頭のてっぺんすら見えないのだが。
 そして、教室の後ろのほうでは女子の勢いに若干引いた男子たちがうろうろしている。彼らも転校生には興味津々らしいが、やはり、女子の勢いには勝てないようだ。

「風丸君、吹雪君と知り合いなの?」
「前に学校破壊事件があっただろ? あの時に一緒にエイリア学園と戦ったメンバーなんだ」

 どうやら付き合いがあるらしい風丸君に吹雪君について訊ねてみると、彼はすんなりと答えてくれた。
 ななみ、本人に直接聞くより、こっちから攻めたほうが効率良かったんじゃ、と思いつつ、私は風丸君の言葉に必死に以前テレビで見たエイリア学園との戦いを思い出そうとする。あの中に、目の前の小柄な少年はいただろうか。
 まだそんなに時間は経っていないはずなのに、平和になってしまえば、事件のことなんて中々思い出せない。あれ、学校壊されて思いっきり当事者だったはずなのにな。

「てことは、彼もサッカーやるんだ」
「上手いよ。うちで敵うのはフォワードだと豪炎寺くらいじゃないか。ディフェンスもこなせるしな」
「じゃあ、サッカー部に入るのかな」
「多分な」

 私の疑問に風丸君は懐かしそうに目を細めた。彼もまた、あの事件を思い出しているのかも知れない。実際にエイリア学園と戦った風丸君には、きっと思い出もたくさんあるんだろう。
 その時、女子に囲まれて談笑していた吹雪君がふいにこちらを振り向いた。人波の間から風丸君を見つけると、彼は少し困ったようにはにかんで、肩を竦める。その様に風丸君も同じように肩を竦めて返した。二人の間に流れる何かに私は何だか微笑ましくなって、唇を綻ばせる。

「・・・・・・にしても、どうしてこっちに来たんだろうな。向こうで頑張るって云ってたのに。こっちに親戚がいるなんて聞いたことも無いし」
「え?」

 風丸君の唇から零れた静かな問いかけに私が小首を傾げた瞬間、一時間目の始まりを告げるチャイムが鳴った。生徒達は皆、自分の教室や席に帰っていく。
 ようやく解放された吹雪君が嬉しそうに風丸君に笑いかける。そんな二人を眺めながら、私は風丸君のさっきの言葉を思い返す。意味深な彼の表情。何か、あるんだろうか。
 がらりと引き戸が開いて、担当教師が入ってくる。学級委員の掛け声に次の授業の教科書を取り出しながら、私はぼんやりと斜め前の風丸君の背中を見つめた。








 今日の一時間目は国語。それも私の苦手な古文だ。朝っぱらから苦手な教科の授業なんて、テンションが下がらない人間はいないんじゃないかと思う。
 私もさっきまでの色々な出来事に精神的に疲れていたのもあって、適当にノートと教科書を開いて、ぼんやりと先生が春はあけぼの、と枕草子の冒頭を読み上げる単調な声を聞いていた。
 すると、授業開始から五分ほど経った頃だろうか。おずおずと隣の彼、吹雪君が私に話しかけてきた。

「楢崎さん」
「な、なに?」

 ぼうっとしていた為に咄嗟に反応できず、目を丸くして彼を見つめる私に吹雪君はその垂れ気味な眉尻を更に下げて、困ったように微笑んだ。

「ごめん、驚かせちゃったかな。あのね、教科書を、見せてくれないかな? 僕、まだ貰えてなくて・・・・・・」
「あ、そっか、そうだよね」

 そういえば、そうだ。転校初日でまだ教科書が学校も用意出来ていないのだろう。しかも、こんな微妙に時期外れの転校生。事務も大慌てなはずだ。

「机、寄せてもいい?」
「ど、どうぞ」

 しかし、彼に私の顔色を窺うようにちょっと上目遣いで(私の方が座高が高い所為もあるが)頼み込まれて、断れる女子がいるのだろうか。
 長い睫毛をぱちぱちと瞬かせて、ブルーグレイの瞳が私を覗き込むのに、私はこくこくと頷くほか無かった。教科書を彼に見えるように広げると、彼は机を私の方へくっつけてくる。必然的に彼の身体も私へ近付いて、ふわふわの髪から甘いシャンプーの香りが漂う。
 こんなの、少女漫画の中だけの世界だと思っていた。王子様みたいな男の子が転校してきて、その上私の隣の席で、シャンプーの匂いが解るくらい近くに彼がいて、同じ教科書を覗き込んでいるなんてこと。まさか、現実に有り得るなんて誰が想像するものか。
 元々授業に集中などしていなかったけれど、余計に集中出来なくなって、私は先生の声なんてそっちのけで高鳴る心臓を収めるのに必死になる。

「楢崎さん」
「へ?」
「教科書、捲ってもいいかな?」

 ふいに話しかけられて、何かと思ったら、授業はいつの間にか次のページへと進んでいた。教科書を捲ろうと手を伸ばせば、同じように捲ろうとした彼の指先と触れ合う。
 びくっとして、思わず手を引いてしまうと、彼は少し驚いたように私を見て、曖昧に笑った。教科書は彼の桜色の爪先によって、次のページへと向かう。枕草子は冬の場面だ。
 あれ、と首を捻り、ふと黒板を見やれば、七割ほど白い文字で埋め尽くされている。私は慌ててシャープペンシルを手に取った。授業のことをすっかり忘れていた。
 黒板の内容をせっせとノートへ書き写す。そして、ようやく皆に追いついて、ほっと息を吐いた、瞬間。先生の鋭い声が降ってきて、私は顔を上げた。

「楢崎さん、次、読んでくれる?」
「は、はい・・・。え、えっと・・・・・・」

 教壇の隣で教科書を手にした真面目な顔の女性教師が私を見つめている。神経質なこの先生が私は苦手だった。いや、古文が苦手だからとか、そういう理由ではなく。
 彼女の銀色の眼鏡のフレームが光るのに、私はとりあえず教科書を手に席を立つ。一体、何処を読めばいいのか、皆目検討もつかない。そもそも先生の話なんて、ノートを取るのに一生懸命で聞いていない。
 余りの動揺に視界がブラックアウトして、周りが見えなくなった。そんな私の制服のブラウスをちょいちょいと引っ張る指先。

「107ページの三行目だよ」

 私の窮地を救う甘い囁き声。私は多少狼狽しながらも、しっかりした声で何とか教科書の該当部分を読み終えることが出来た。先生は満足げに頷いて、次の生徒を指し示す。
 ほっと胸を撫で下ろしながら、席に座る。ああ、良かった。皆の前で恥をかかずに済んで。衆人環視の中、授業を聞いていませんでした、なんて告白出来る人間がいたら、私は拍手して褒め称えよう。
 教科書を元の場所へ戻して、私は隣でノートにシャープペンシルを走らせる彼に恐る恐る声をかける。ちゃんと、お礼を云わないと。

「あ、ありがとう。ほんと、助かったよ」
「僕も、たまにど忘れしちゃうことあるからさ。・・・・・・気にしないで」

 彼は動かしていた手を止めると、こちらを向いて、はにかんでみせる。何だか後光が差してる気がするのは恐らく私の気の所為だ。それかきっと窓から太陽の光でも差し込んでいるのだろう。
 思わず呆けてしまった私に彼はもう一度優しく笑んで、ノートを取る作業に戻っていく。そのさり気なさに私は何も云えずに授業に戻るしか無かった。
 宙ぶらりんになった私の言葉は感情の風船を膨らまして、今にもぱちんと弾けそうだ。もう、本当に。こんな、少女漫画みたいなことがあって良いのだろうか。
 ちらりと彼を窺えば、彼は当たり前のように自然に笑い返してくれた。風船がまた膨らんで、伸び切ったゴムはそろそろ限界を叫んでいる。
 黒板にチョークが文字を刻んでいく音、カチカチとシャーペンの芯を出す音、教科書を捲る音、女子たちのひそひそ声、先生の重要箇所を読み上げる声。淡々と進む授業をぼうっと聞き流しながら、私はたった一時間前はあれだけ嫌だったこの席が、嫌いじゃないかも知れないと思った。








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