走ることが好きだった。特別、足が速い訳じゃない。むしろ、運動神経の良い、足の速い子には到底敵わない。だけど、私は走ることが好きだった。
 特に早朝、河川敷を走るのは私の日課だ。朝の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込みながら、風を切るように走る。その時、耳を通り抜けていく音、頬に当たる冷たい空気、全てが私を風にしてくれるようで。
 軽やかにまるで子どもが跳ね回るみたいに、私は河川敷を駆ける。ああ、気持ちいいな。うなじに張り付いた髪をかき上げて、私は吹き抜ける風を感じて、微笑んだ。








 冷蔵庫の中身は空っぽ、ガスの元栓も閉めた、その他、危ないと思われるものは全部捨てた。誰に見られても大丈夫なように、見られたくないものは押入れの中に仕舞ったし、傍に置いておきたい大切なものはダンボールへ詰めて、宅配便で送った。
 これで大丈夫。吹雪は綺麗に片付いた部屋をひとつひとつ確認して回ってから、改めて、空になった家の中を見渡した。
 ついこないだまで、生活が息づいていた場所が今はがらんどうだった。日常の気配さえしない空間に吹雪の胸はしくしくと痛む。
 ここは、雪崩で家族を失った吹雪にとって、全てと云っても良かった。生まれたときからずっと暮らしてきた家、そこは暖かい家族の象徴のような場所で。リビングでアツヤと大喧嘩をしてお母さんに叱られたこと、庭でお父さんとサッカーをしたこと、アツヤと一緒に眠った子供部屋。何もかもが大切で、愛しくて。
 鮮明な記憶として残るそれが、吹雪にとって唯一、縋りつけるものだった。本当は寂しくて堪らなくて、一人が嫌で仕方ないくせに、臆病で他人に自分を見せるのが怖くて。また失ってしまうんじゃないかとそればかりを恐れて、手も伸ばせずに。だけど、そんな自分でも受け入れてくれる居場所が、いつだってすぐ傍にあったのだと気付けたのは、きっと彼らがいたから。
 だから、大丈夫。自分に言い聞かせるように吹雪は頷いた。そして、玄関に置いた旅行鞄を手に家を出る。鍵を閉め、それをズボンのポケットに入れた。

「隣のおじさんに挨拶して行かないと」

 それから、アツヤにも。ちゃんと挨拶して行かなくちゃ。
 お父さん、お母さん、おばあちゃん、そして・・・・・・アツヤ。僕、もっと強くなって帰ってくるから。だから、待ってて。皆に誇れるくらい、必ず、強くなってみせるから。








「詩織、今日空いてる?」
「どうかしたの?」

 新学期初日。始業式と課題提出、簡単なHRを済ませたら、今日の学校はおしまいだった。午前中には終わったのを良いことに、夏休みボケの抜けない皆ははしゃぎまくっている。
 それは私の友人である安藤ななみも同じようで。昇降口へと歩く道すがら、忙しなく携帯でメールを打ちながら、彼女は私に放課後の予定を聞いた。

「いや、この後、A中の男子と集まることになってるんだけど、詩織も行かない? かっこいい子、いっぱいいるよー」
「またゲーセン?」
「ううん、今日はカラオケ。悠里と晴香も誘ってるんだけど、向こう4人だから人数足んなくて」

 メールを打ち終わったのか、ぱたんと閉じて、彼女は明るい声で私を誘う。嬉しそうに話す彼女の横顔に私は何だか微笑ましくなる。A中ってことは、例のタクミ君と一緒なんだろうなと思った。
 ななみが最近気になっているらしい男子、タクミ君。彼はA中のテニス部の部長らしい。試合中ね、すっごくかっこいいの!とは彼女の弁だ。

「ごめん、私はパス。これから部活なんだ。大会来月だしさ、ちょっとでもタイム縮めたいの」
「そっか。ならしょうがないね。部活、頑張って」
「ありがと。そっちこそ、タクミ君と上手く行くと良いね」
「うん!」

 上手く行ったら首尾を報告するねー!と彼女は叫んで、校門へと駆けていった。その後姿を見送って、私は自分に喝を入れるようにぐっと手のひらを握り締める。
 よし、今日はいつもより10本多く、走り込みをしよう。頑張って、タイムを上げなくちゃ。努力しなければ、成果は現れない。才能が無いのなら、なおさら。
 私は一人決意をして、陸上部の部室の方向へ走り出した。








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