泡沫末路



記憶が曖昧になってしまう病気の彼女と知り合ったのは、病院。
まだ俺が入院中で、全てに絶望を感じていた時の事。記憶がない彼女と初めて会ったのが、今日みたいに晴れた寒空だった。
のびのびと生活しているみんなが疎ましくて仕方無くて、でも病院独特の、あの雰囲気も好きじゃ無かった。外にも病院にも居場所がない、そんな孤独な感情を紛らわせたくて、重たい体を動かして病院内をうろついていた時、花壇のそばで花を真剣に見つめている彼女を見つけた。その様子が何だかとても不思議で、彼女に問いかけた。俺の何してるの、という声に肩を震わせ吃驚した顔で振り向いてあたふたしてたのが面白かった。なんとなくそのまま会話していくうちに噛みあわない会話と見た目とその喋り方があまりにもアンバランスで不思議に思った俺は、カウンターのナースにこっそり聞いてみた。花壇にいつもいる彼女は、一体誰なんだって。そしたらナースは言いずらそうにおずおずと説明してくれた。
彼女は、もうあと少しで、自分の事も、全て忘れてしまうそうだ。
それを知ってからも俺は彼女に会いに行った。彼女は必ず花壇にいて、何をしているの?と言っても、何をしているんだろうね?って言って答えてくれはしなかった。他愛も無い話をいくつもして、お互いの事を知っていく。とは言っても、彼女の記憶は曖昧だから、ほとんど同じ様な話ばかり聞いてたんだけどね。それでも俺は彼女に会いに行った。病院に似合わない彼女のその明るい雰囲気は、俺の中の嫉妬とか、そう言ったもやもやした黒い思いを解かしてくれるような気がしたから。記憶が曖昧でも、俺の名前だけは覚えてくれていた。それが嬉しくて、ほとんど毎日顔を合わせに行っていたのかも知れない。記憶の無い彼女が、俺を記憶していてくれる。なんでか分からないけど、それが嬉しかったんだ。その時の俺はあまりに幼くて、その気持ちの名前を知ることは無かった。


そのまま季節は巡り、俺は再びコートに立てるようにまでなっていた。


「精市君、退院するんでしょ?」
「…うん」
「良かったね!えーと、なんだっけ?バスケ?サッカー?」
「…テニスだよ」
「そっか!ごめんごめん!またできるんでしょ?頑張ってね!」


相変わらずの元気な笑顔で話す彼女は、重い病気を抱えているとは到底思えない。俺は頑張る、と笑顔で答える。彼女も笑顔を向けてくれたが、すぐに表情は曇ったものになる。首を傾げて、どうしたの?と問えば、精市君に無くなると私寂しいなぁ、なんてちょっと不貞腐れた様に言う君が可愛くて、そっと頭を撫でる。気持ち良さそうに目を細める君がまるで猫のようだったから、猫みたいだねって笑ったら、怒られてしまった。猫は嫌いだって、言ってたっけ。


「精市君、学校どこだっけ?」
「立海だよ」
「立海かぁ…って、どこにあるんだっけ?」
「すぐ近くだよ。私立の学校」


私立かぁ、なんてぼんやりと言っていた彼女だけど、きっと彼女の頭の中は立海って学校名を忘れないように覚えているから私立って言葉はもう記憶されていないんだろう。そもそも彼女が私立の意味を記憶しているかどうか問題だけど。そんな考えを巡らせて、一人笑いしそうになるのを抑えている時、精市君、と俺を呼ぶ声がした。彼女は立ち上がって花壇の花を見下ろしていた。ゆっくりと紡がれた、今にも消えてしまいそうな声で発せられた言葉は、信じられない言葉だった。私、知ってるかも。ほとんど記憶が無いはずの彼女が、知っていると言った。


「私、知ってる。立海…立海大付属…」
「…もしかして、そこの生徒だったりとか?」
「…だったら良いなぁ…精市君と同じ学校かぁ…」
「…俺も君が同じ学校だったならって思うよ」
「楽しいよね、きっと…」


たまに見る、彼女のシャツを握る癖。顔は笑っていても、悔しかったり悲しかったり、自分自身の記憶がない事に腹を立てている時によく出る彼女の癖。それに気付かない振りをして、そっと彼女の手を握る。明日、退院してしまう俺は君と一緒にいられるのはこれが最後だ。部活を引退するまで多分、会いに来れない。今日が、最後。


「精市君?」
「…ん?」
「難しい顔してるよ」
「そう?」
「うん。精市君は笑ってる方が格好いいよ」


そう言って笑顔を向けてくれた彼女を見たのはそれが最後。
次に会った時には、彼女は俺の事を覚えてはいなかった。



「…で、俺はその子に会いに来てるんだ。」
「そうなんだぁ。そんなに思われてる彼女さんが羨ましいなぁ。」
「そう?」
「でも彼女は覚えて無いんだ」
「うん」
「なんだか悲しいね…」


窓を見つめる彼女はあの日のまま。なのに、俺だけが、あの日に取り残されてるんだ。何も変わらない、変わっていないのに。あの日、会いに行かなくなった俺を忘れてしまった彼女は、俺が話した彼女の話しを自分の話だと信じない。何度説明しても冗談だと信じてくれない。自分には記憶があると思い込んでいる。いや、自分が忘れてしまっている事すら忘れているから仕方ないのだけれど。


「私も、ずっと待ってる人がいるの」
「…へぇ、どんな人?」
「優しくて、笑顔が格好いいの」
「…そう」
「もう、忘れちゃったのかなぁ…」


忘れる訳無い。そう叫びたくなる衝動をグッと抑える。何度説明しても俺を、その待ち人だと理解しない彼女。忘れて居る事を忘れるほど重い症状になっているのも関わらず、その誰かを覚えている。嬉しいのに、悲しいよ。ずっと待ちつずける君を、俺はどうすればいいんだろう。







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垂直線、平行線様へ提出。


2011/11/06 遅くなってしまい申し訳ないです…!




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