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街角シャングリラ

「お前のこと心配すぎて見てられへん。……いや、逆か。目ぇ離せへん。俺な、さくらのことすきやと思うねん。」

そう言う治くんの顔は、暗くてよく見えなかった。掴まれた手が熱くて、じわりとそこから熱が広がっていく。胸がぎゅうと締め付けられて、心臓がコントロール出来なくなってしまった。
近くにいるはずの同級生達の声も聞こえない。聞こえるのは、自分の心拍音と、彼が次に発する言葉だけだった。







2年のみんなでマクドに寄って帰ろう。そうなることは今日が初めてじゃない。部活終わりにくたくたになった身体にジャンクフードは良くないとは思うけど、高校生らしく安く腹ごしらえの出来る店の選択肢は少なかった。

「さくら〜お前そんだけしか食わんの?」
「家帰ったら夜ご飯あるもん。ジュースだけで十分やわ…って、うわっあぶな、」

侑くんが揶揄うようにトレーを抱えて近寄って来たせいで、危うくジュースの乗ったトレーをひっくり返してしまうところだった。

「貸して。」
「あっ、治くん…!」

ひょいと軽くわたしのトレーを奪い去った彼は、角名くんが確保していた席にスタスタと足を進めていく。後から追いかけて席に着く。

「みんなよお食べんなあ…」
「さくらが食わんだけやろ」

そうみんなに笑われながらジュースに口をつけた。きっとわたしが食べる量が少ないのではなくてみんなが多いだけ。そのことは黙っておこう。

「なあ銀、お前告られたってマジか?」
「なんで侑が知ってんねん。放っといてくれや」

バレー部のみんなは有名人で、よく告白とかされてるっていう噂は聞いている。今日も今日とて侑くんが楽しそうにそういった話題を持ち出していた。

「そういえばさくらの噂だけは聞かないよね。」
「角名くんそれわたしに対してめっちゃ失礼やで…事実やからしゃあないけど……!」

ポテトをつまんで食べながらそう言われると、ここに一緒に座っている人たちと自分との差に気付かされる。かたや有名人でスター扱いされている人たちだけれど、わたしはただの一般人に近い。鈍臭くて仕事もよく失敗するただのマネージャー。

「さくらに彼氏なんて出来ひんって。」
「はぁ!?侑くん酷い!なんで!」
「どんくさいもん。俺やったらヒヤヒヤしてデートどころやなくなるもんな〜。」

けたけたと大声を出して笑う侑くんに、少しカチンと来たわたしは彼のトレーからポテトをまるごと奪い取った。

「腹立った!ポテト没収!」
「ハァ?何すんねん太るぞさくらブタ!クソブタ!」
「うっさい!ブタは体脂肪率低いんやで!ブタに謝って!!」

謝る相手ブタかい。そう銀島くんが笑いながら突っ込んできた時、手に持ったポテトがするりと抜き取られた。それは隣に座った治くんの手に握り締められていて、彼は何の遠慮もなしに一本抜き取って口に含む。

「さくら、ツムのポテトは俺が食うたるわ。あとツム、ブタとか暴言吐くなや、女の子相手やねんから」
「サム返せ!俺のポテトや!ブタ!」
「なんでもブタ言うたらええと思うなよ。あ、銀、角名も食うてええで。」

やめろや俺のやぞ!そんな声が響き渡る。
バレー部のマネージャーはしんどい時の方が多かった。一緒に入った同期のマネージャーと馬が合わなくて辛い時期もあったし、夏は暑いし冬は寒いし、周りの目もまだ少し怖いし主将が怒るとこれもまた怖い。けれどこうやって同級生が仲良くて、楽しくて、居心地がいいから、わたしは頑張ることができる。


お店から出ると、みんなそれぞれの道を進む。徒歩圏内のわたしは歩いて家に向かうけれど電車通学の人は駅、バス通学の人はバス停へ。

「じゃあ、また明日ね」
「おー、気をつけて帰れよ〜!」
「またな〜」

駅に向かう人達と別れる場所に着いたため、手を振って角を曲がろうとした。その瞬間にくいっと後ろから腕が引かれて、身体がぐらりと倒れかける。

「うあっ」
「悪い、ちょっとええ?」
「あ、治くん、どしたん?」

サムーまだー?そう叫ぶ侑くんの声が聞こえる。侑くん呼んでるで、そう言っても、彼はわたしの手を離そうとしない。

「……さくら、俺はお前の噂なんか聞きたくない。」
「噂?…って、あぁ、角名くんらが言うてた、あれの話…?」

街灯がチカチカとわたし達を照らしている。けれど彼の顔は、影になってしまって見えない。

「お前のこと心配すぎて見てられへん。……いや、逆か。目ぇ離せへん。俺な、さくらのことすきやと思うねん。」

掴まれた手に力がこもると同時にばくばくと心臓の音が聞こえる。今、彼はわたしになんと言ったのだろう。想像も出来なかった言葉の羅列は、うまく脳に届いてはくれない。

「せやから、俺と付き合ってほしい」

彼が触れている部分から熱が生まれて、全身を巡っていく。熱い。
治くんが、わたしのことをすき?本当にそうなの?散々鈍臭いと揶揄われるようなマネージャーのわたしを、バレー界からも全校生徒からも注目されるような宮治が。

「……治くんも、わたしのこと揶揄うん?」
「お前、俺がそんなことする奴や思ってんねんな」
「ちがっ、…けど、信じられへん……」

暗くてよく見えなかったけれど、その時の治くんは苦虫を噛み潰したような表情をしていたように思う。
はあ、と聞こえるようにため息をついた彼の顔が近づく。びくりと身体を大きく震わせてしまうと同時に、視線がかちりと合わさった。

「じゃあ信じさせたるから、覚悟せえよ。」

やっとはっきりと見えた彼の顔は、いつも見ているそれよりもほんのりと赤くて、バレーをしている時と同じくらいに真剣だった。



▼△▼




「さくら、学食行くで」
「え?……うわあっ!」

昼休み、カバンからお弁当を取り出して開こうとした時に声をかけてきたのは、昨日わたしに告白してくれた彼だった。あろうことか治くんはわたしの首に自分の左腕を引っ掛けてきたのだ。
顔が近い、腕が触れてる、なにこれ。ぶわあっと顔に熱が集まっていく。

「わっ、わたし、お弁当あるんやけど…!」
「ええから。腹減ったねん。どうせ早よ食べて昼練顔出すんやったら俺と食うてもええやん」
「せやけど……!」

ずるずると半ば強制的に教室から引きずられていく。治くんは、わかっていない。自分の行動がクラスメイトの注目を集めるということに気づいていない。

「おっさむ、くん……!もう離してくれてもええよ、」
「嫌や。さくら逃げるやん」

逃げへんもん、そう呟いた声は小さくて、彼の耳にすら届いたかどうか危うかった。

何人かがひそひそとこちらを向いて話をしているのが目に入った。そのクラスメイトの声が、ちくちくと棘を指していく。

「えー、さくらちゃんズルない?マネってだけであんだけ治に良い扱いしてもらえんねんなぁ」
「ほんまそれ〜。治とご飯食べるとか今まで無かったやん、羨ましい〜。」
「え、待って。さくらちゃんて治狙いなん?勝手に侑や思ってたぁ、ショックー」

何がショックやねん、そう女子達はけたけたと声を上げて笑う。マネってだけで、だなんて言わないで。宮兄弟に近付きたいという気持ちだけしかない人はマネージャーが務まらないということは知っている。けれどハタから見たらわたしは侑くんや治くんを狙ってマネージャーをしているように見えるという事実が、心をぐちゃりと潰してくるようだ。

「黙っとれや」
「え……?」

彼が一言放っただけで教室はシンと静まった。治くんは眉間に皺をこれでもかというほど寄せて、先程わたしのことを揶揄した女の子を睨んでいる。

「俺の片思いや。ファンなら黙って応援しとけ。」

そう言い残してずんずん足を進めていく彼を必死で追いかけた。治くん待って、そう言っても止まってはくれない。
後ろから見上げた治くんの耳は赤く染まっていて、それが伝染したかのようにわたしの頬が赤く染まったのがわかった。







その日から治くんは誰が見ていようと容赦なくわたしに構うようになった。
おかげさまで授業中にも気が抜けないし、見られてるかもしれないと思うと寝癖も全力で直しておかないといけないし、部活中も気を張っていないといけなかった。緊張する。治くん相手に今更だと言われればそれまでだけれど、好意を抱いて接してくれる人がいるというだけでどうしてこうも緊張してしまうのだろうか。

部活中には治くんをじぃっと見つめてしまってボールを踏んでつまづいてしまった。いつも通り、北さん達からあほやなぁと言われて氷嚢を渡される。選手のために用意した氷を自分のために使うことの心苦しさはわたしにしかわからないだろう。自分の切り替え能力の無さに嫌気がさしてしまう。大きく吐いたため息が誰に気づかれることもなく消えていく。
部活中には俺のこと考えんでええから。集中力削いで悪かった。今まで通りしといて。その日の夜中に、わたしの脳内を占めている相手からそうメッセージを送られてきてしまえば、自分の切り替え能力の無さに肺をぺしゃんこにするほどのため息を吐くしか出来なかったのだ。




治くんとの関係を、どうすればいいのかいまいちわかっていないわたしは、ただただもやもやとした気持ちを抱えていた。

「お前、笹川のことすきってほんまなん?」

休み時間、お手洗いから戻ったタイミングでの出来事だった。教室のドアにかけた右手が思わずぴたりと止まってしまった。この声は、治くんと角名くんともよく一緒にいる男子のものだろう。
きっと"お前"の指す人物は治くんだろう。廊下にまで聞こえるような大きな声で聞かんくてもいいやん、そうクラスメイトを呪って廊下に立ち尽くすしか出来ない。

「おい、なんでそんなに笑うねん。なんも可笑しいことないやろ。」

少し低い声で、治くんはそう言った。
胸がどきどきする音が自分の耳に届く。手先が少し震えてしまう、ぎゅっと両手を握りしめて締め付けられる胸から意識を逸らそうとした。

「いや、意外やなぁって思ってな。治、あの美人な先輩とか可愛いで有名な後輩からも告白されてたやん。なんで笹川なん?角名も思わん?」
「俺に振らないでよ」

治くんはモテる。知っていたけれど、やっぱり事実だったんだ。握りしめた手に力がどんどんこもっていく。

「さくらは、かわいいで。」
「ちょっ、俺の前で惚気るのやめてよ。部活の時に気になるじゃん。」
「そういう流れにしたんはお前らや。」

全身の血液が沸騰したみたい。ぶわあっと顔が赤くなっていくのがわかる。熱い。

「バレー部におっても、クラスの奴らと話してるん見ても、誰があいつのことすきになるかなんかわからんやん。焦る。」

言葉がぐさりぐさりとわたしを突き刺してそこから溶けていく。沸騰していた血液は蒸発してしまいそう。

盗み聞きは良くない。けれどこんな話、聞いたよなんて本人にはとてもじゃないけれど言えやしない。
ぎゅっと握っていても震えたままの手はドアに触れることはなく、自分の頬に添えた。熱い。

「聞いてらんない。トイレ行く。」
「角名がおらん間に治のこと尋問しとくわぁ」

がたりと机や椅子の音がした。きっと角名くんが廊下に出てくる。逃げなあかん、そう思った時にはすでに遅くて、目の前のドアは音を立てて開いていた。

「……さくら、もしかして聞こえてた?」

治くん達に聞こえないように小さな声でそう尋ねてくれた角名くんに、ぶんぶんと取れそうな勢いで首を横に振った。けどきっとそんな嘘バレバレだ。真っ赤な顔は嘘をつかせてはくれなかった。角名くんはへぇ、とにやけた顔を隠そうともせずに廊下を歩いていったのだった。





すきやって言われたから目で追うようになったん?そう言われればはっきりと否定は出来ない。けれど、治くんがいつもわたしのことを支えてくれていたことに気付くようになってしまった。

前々から仲は良かった。休み時間も話したり部活帰りもみんなで一緒に帰ったりしていた。
こけそうになった時にさりげなく支えてくれたこととか、侑くんと口喧嘩になりそうなとき話題を変えてくれたりとか、寝ちゃった授業のノートを貸してくれたりとか。治くんのさりげない優しさを改めて実感してしまったのは最近のことだった。

クラスで男子と戯れている時の顔が可愛いとか、わたしと話すときは少しだけ目を細めて優しい顔で微笑んでいることとか、バレーボールを追いかけるときは真剣な目で怖いぐらいかっこいい顔をしていることとか、いろんな治くん全部が鮮明に思い出せる。
あぁ、もう。こんなんすきやん。ずっと治くんのこと、考えてる。


「笹川、最近何に悩んどんねん。上の空が前より悪化してんで。」
「うっ、すいません……」

日課であるボール磨きをしている北さんが、その横で部誌を書いているわたしに問いかけてきた。周りをきょろきょろと見渡すと誰もいなくて安堵の息をついた。

「……治のことやろ、どうせ。」
「えっ、あ、うぅ、えっと、あー」
「ちゃんと喋れや」
「……そう、です。はい。」

治くんがわたしのことすきやってこと。わたしもすきになってしまったかもわからんってこと。あんだけモテる治くんと付き合うとかよくわからんってこと。ゆっくりと北さんに言葉を伝えていった。彼は手を止めることなく、頷きながら全部聞いてくれている。頼もしい主将だなぁと改めて感じる。

「あいつは、だいぶ前から笹川のことすきやったと思うねん」
「え……?」
「お前と馬が合わんかった、辞めた元マネおるやろ。あいつらが笹川に嫌がらせしようとしたん止めたんは治や。」

わたしが気付いたことだけじゃなく、知らなかったところでも治くんはわたしを守ってくれていた。その事実を知った瞬間に胸が締め付けられて、苦しくなった。

「でも、部内恋愛やし、迷惑かけたくないんです…。周りに気を遣わせるのもいやや。わたしなんかの何が良いんやろ、治くんがわからん……!」

苦しくて苦しくて。胸に当てた手で着ているジャージを握りしめた。つむじに柔らかく手が触れたと思うと、ぽん、と二度ほど柔らかく叩かれた。

「北さん……」
「俺はお前がええ奴やってわかってるけどな。ちゃんと出来てへん時も多いけど、頑張っとるやん。そういうところが治はすきなんちゃうんかなぁ。部内恋愛が心配なんはわかるけど、笹川と治なら公私混同せんやろ。大丈夫や、素直になり。治も待ってると思うで。」

北さんの正論は怖い、みんなそう言う。けれど、怖くなんてなかった。こんなに彼の言葉に救われたと思ったことはなかった。
ありがとうございます、そういって大きく頭を下げながら、滲む涙をジャージの袖でこっそり拭った。




「……治くん!!ちょっとええかな、」

部室の前で待ち伏せなんて今までしたことがなかったから、ドアから現れた治くんは目をまん丸にして驚いていた。

「ええけど…」
「今日、途中まででええから一緒に帰らん…?」

制服のスカートをぎゅう、と握りしめてそう告げると、まん丸になっていた目をすっと細めて、ええよ、そう言ってくれる。

さくらとサム別で帰んの〜?おん、先帰っといて。そうやって会話して帰ろうとする侑くんとニヤニヤした顔で通り過ぎていく角名くんと、また明日な、それだけ言って帰る銀島くん。3人の背中が見えなくなった頃にどちらからでもなく歩き始めた。

「お、治くん、話あるからそこ座らん?」
「ん。ちょお待っといて。」

駅までの道にある小さな公園に、人影は見えない。その中にある綺麗なベンチを指差せば治くんは口角を少し上げてから自販機に向かっていた。
いつも飲んでるよなコレ、そう言いながら投げられた缶を受け取ると大好きな缶コーヒーだった。

「投げたら落とすか思ったけどそこまでどんくさくなかったな」
「食べ物は粗末にしたあかんもん」

コーヒーは飲み物や、そう言いながらベンチに腰掛けた治くんのとなりに腰を下ろす。暗くなってから気温が下がる季節だから、少しひんやりとした空気がわたしたちを包んでいた。

「話って、あのこと?」
「…治くんは、ほんまにわたしでいいん?」

質問に質問ぶつけんなや。そう言いながら治くんの右手は自身の刈り上げられた髪をガシガシと掻いている。

「さくらでいいんやなくて、さくらがいいんやけどな。」

少し目を伏せた彼と視線は合わない。わたしも下を向いているから当たり前といえば当たり前なのだけれど。
彼から与えられる優しい言葉に、胸がどんどん熱を帯びていく。心臓が今にも口からこぼれてしまいそう。

こんなわたしやけど治くんのことすきになってしまいました。そう伝えたくて呼び止めたはずなのに、ネガティブが染み付いたわたしの口から飛び出す言葉は180度反対のものだった。

「わたしなんかより、もっと可愛い人も、おるやろ。部内やから後々面倒なことになるかもわからんし、わたし鈍臭いし、侑くんもこんなん横に並ぶん嫌や言うてたし」
「ちょっと黙れや」

彼の手がわたしの頬を挟む。親指と人差し指が左右の頬にそれぞれ食い込んで、タコのような口になってわたしの顔は相当不細工だろう。

「おっおしゃむく、」
「俺はそれでもお前がすきや言うてんねん。まだ信じとらんねんな?」
「……信じてる、けど、」

不安やねんもん。その言葉はわたしの口から出ていってはくれない。彼の熱を帯びた視線がわたしを捉えて、目が逸らせない。

「さくら、うだうだと言い訳せんとってくれ。お前が最近可愛くなったから俺は気が気じゃないんや。」
「……うん、」

可愛くなった、だなんて言われ慣れていない。心臓の稼働速度を3倍にするスイッチを彼が押してしまった。鼓動が聴覚の大半を占めていく、心臓が、うるさい。

「……俺のことすきにならんのやったら、振り払ってくれ。」
「え?…あっ、」

頬を掴まれていた手は気づけば背中に回されていた。力が込められてしまえばわたしの頭は彼の胸元に簡単に飛び込んでいく。
汗の匂いと制汗剤の匂いが混ざったものが鼻から脳に行き届く。治くんの匂い。

振り払うことなんて、しない。全く動かないわたしをどう思ったのか、頭上からため息が聞こえると同時に、身体に回されていた両手にさらに力が入った。

「……早よ、振り払って諦めさせてくれ」

その声が、切なくて、優しくて、温かくて、だいすきで、胸にちくりと棘を残す。治くん、わたし、あなたのことが、

「……振り払わん、すき、やもん」
「は?」
「治くんと、ちゃんと、向き合う、って決めたねん……!すきになってもうたんやもん……!」

肩に手を添えられて、勢いよく身体が引き離される。拒絶されたのかと思って一瞬悲しさが溢れそうになったけれど、違う。治くんの表情を見れば、拒絶ではないことは一目瞭然だった。

「……ほんまに言うてんの?」

眉を少し下げて、目を細めて、頬を赤く染めてそう問いかける治くん。ほんまやで、すきやで。そう言葉で返したいのに、頬の赤さが彼から伝染してしまって、恥ずかしさで言葉が出ず、無言で首を縦に何度も振った。

「……嬉しいもんやねんなぁ、こういうのって。」
「そ、そんな喜ばんとってよ、恥ずかしい……」
「喜ばせろや、あーほんまよかった。」

ツムと角名は絶対いじってくるよな、北さんらに怒られへんようにちゃんとしよな、たまには一緒に帰ってデートとかしたいな。そう小さな声でわたしに語りかける彼を、初めて可愛いと思った。

「治くん、ありがとう」
「は?何がやねん」
「わたしのこと、すきって言ってくれて、可愛いって言ってくれて、嬉しかった。」
「すきは言うたけど可愛いなんか言うてな…ちょ、待てや、いつ聞いてん」

内緒。そう笑いながら言うと少しムッと顔をしかめた治くんが両手でわたしの顔を挟む。

「え、おさむ…ぅ…っ!」

かぷり、効果音をつけるならきっとそう。かじりつくように唇が治くんのそれで塞がれる。唇から全身に熱が放出されていく。
柔らかい感触が離れる前にぺろりと唇を舌で撫でられる。それだけで背筋がぞくりとした。

「……治くん、すきや」
「煽んな。もっかいちゅうすんで。」
「……ん、ええよ」

可愛い奴やなほんまに、そう言いながらもう一度塞がれた唇が熱い。合わさった唇だけでなくて、するりと指が絡められてぎゅっと力を込められる。しばらくそのままお互いの気持ちを確かめるかのようにキスをした。離れてしまうのが惜しい気もしたけれど、今のわたしにはもういっぱいいっぱいで。

「帰ろか、遅なってもうたな」

2人で並んで帰路につく。さっきまで空いていた距離がなくなって、彼との間には繋がれた手がある。変わってしまった関係がこれからどうなるのかわからないけれど、2人でゆっくりと、たまには転んだりするけれど、一緒に歩いていけたらいいな。そう思いながら彼の手を強く握った。


雪様より、『北さんシリーズifで、相手が治くんだったら』でした。
『ちぐはぐ』は付き合っているところからスタートしましたが今回は付き合うまでの過程を書いてみました。わたしの中の治くんはかなりの男前なので、鈍臭いマネちゃんと付き合うならこうなるといいなぁ…と。お望みのものと少し違うかもしれませんが、お気に召していただけましたら幸いです。
リクエストほんとうにありがとうございました!