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目を開けたら、そこは全く知らない場所だった。
見たことのない天井。見たことのないベッド。見たことのない服を着ているわたしは、一体どうしてしまったのだろうか。

たしか、仁花ちゃんとバレーサークルの交流会に行った。タダでご飯が食べられるのは一人暮らしには有り難い!とかなんとか言いながら参加した飲み会は、未成年だからソフトドリンクだけで過ごしていたはず。烏龍茶をひたすら注文した記憶はある。
その時にとなりに座っていた先輩は結構な下心の見えやすい男の人で。「彼氏いる?」と聞いてきたから「いないけど好きな人がいるのでその人以外興味ないです」と言ったのもちゃんと覚えてる。
すると何故かムキになって、さらに下心を剥き出しにした男はお酒をどんどん勧めてきた。カシオレなら飲める?ファジーネーブルってやつも美味しいよ!飲んだってそんなに変わらないよ未成年もみんな飲んでるって!そんな言葉を全てへし折り断り続けていたが、お酒を飲ませることを諦めた様子を見せた後に渡されたオレンジジュースが飲んだことのない風味だったから、あれがきっとカクテルだったのだろう。そこまではわかる。お酒をまともに飲んだことのないわたしは顔が火照ってきた感覚が少し怖かった。頭がぼんやりとして、思考が緩やかになる感覚に恐怖を覚えた。だから近くにいた女の先輩にお願いして、水をもらったはず。水を何杯か飲んだ。たぶん。でもそのあとの記憶がすっぽり無いことを考えると、あれも水じゃなかったのかもしれない。お酒って、怖い。

「待って、まさかここって……」

ふと漠然とした恐怖が襲ってきた。こんな展開は漫画やドラマの中だけの世界だと思っていたのに。目を覚ましたら知らない場所で……だなんて。
わたしはよく知らない男の人に所謂お持ち帰りをされたのだろうか。裸じゃないだけまだマシかもしれない。ここで服を着ていなかったらもうすでに泣いてるだろう。でも今わたしが着ているのは見たことのないTシャツとジャージのズボン。知らない男の服を着せられた、ということは、着替えも見られたのだろうか。変なことを、されてしまったのだろうか。身体に違和感はないから、何もされてないことを祈るしか出来ないけれど、記憶がないということがこんなにも恐ろしいなんて。今ならわたし、昨日腹踊りしてたよ!って言われても信じちゃう。
二日酔いで頭が痛いことも相まって、疲れ切った脳じゃ状況を把握することが難しかった。考えても考えても記憶がすっぽりと抜け落ちていて全くわからない。目頭がじんわりと熱を持ち、涙腺が緩んできた。

その時ガタン、と廊下から物音がした。きっとここの家主だろう。足音が近づく。怖い男の人だったらどうしよう。どうしよう。どうしよう。

「あ、起きた?」
「…え……スガ、さん……?」
「ははっ。なにが起こってんのかわからんって顔してるべ」
「だって……何が起こってるのか……わからない……」

ニコッとしたわたしのだいすきな笑顔を見せながら部屋にやってきたのは、紛れもなくスガさんだった。一晩を瞼の内側で過ごしたコンタクトレンズが目に張り付く。少し見にくい視界の中で目を凝らして見ても、やっぱりスガさんに間違いない。

「どうして……!?」
「昨日の夜に中島達が参加してた飲み会してる隣で俺らも偶然飲んでたんだ。大地と旭と清水と。」
「え。」
「偶然会った谷地にベロベロになったお前のこと頼まれて、介抱させてもらったんだ。ここは俺の家。あの居酒屋から一番近かったから連れてきた。あ、着替えとかは全部清水がやってくれたから、安心してな。水飲む?はい」

ベッドに近づいて、そう言いながらミネラルウォーターのペットボトルを差し出すスガさん。それを受け取り、空っぽの胃に冷たい水を流し込んだところで、改めて自分の置かれた状況を理解した。
仁花ちゃんがスガさん達を見つけたから頼んでくれた、ということは記憶を失くすほどに酔ったわたしも見られているということだ。恥ずかしさで死にそうになった。顔が熱い。全身の血液が全て顔に集まってきて、とにかく穴があったら入りたい。

「ごめんな。起きたら知らない部屋でびっくりしただろ。今日は土曜だけどなんか予定は?」
「ないです……」
「そっか。俺も予定ないしゆっくりしてって良いよ。よかったら送ってくから、途中でなんか食うべ。二日酔い大丈夫?」
「は、はい……!ご心配おかけしてすみません…!」

あまりにも優しいスガさんの対応に、さらに目に涙が溜まってきて、泣きそうになった。それと同時に情けなさも込み上げてくる。仁花ちゃんと潔子さんに詳細を聞かねば。それ以前に先輩方にお礼を伝えなければいけない。

急いで携帯を取り出すと、仁花ちゃんからメッセージが来ていて。『菅原さん達にお任せしちゃってごめんなさい!大丈夫?頭痛い?』という言葉に、ありがとうとごめんなさいをたくさん詰めて返信した。


「服とか、昨日のやつちょっと汚れたみたいで清水がビニール袋に入れてくれてたぞ〜。着て帰る服ないだろうし、俺のパーカー貸すわ。たぶん女の子が着てても違和感ないと思うんだよな。」

優しさに溢れるスガさんは何のためらいもなくわたしの頭を撫でた。3年前とは違う、大人びた雰囲気のスガさんが、わたしに触れる。それだけのことでわたしは馬鹿みたいに宙に浮いた気分になるのだ。

スガさんはがさごそとタンスを探り、パーカーを差し出してくれた。それはわたしが普段ユニセックスを好むため違和感なく着こなせそうなデザインのパーカーで、ありがたく受け取るしかない。気遣いがぜんぶ、全身に染み渡っていく。

「……久しぶりに会ったのに、こんなダメなところばかり晒してごめんなさい。」
「いいんだよそんなの。俺は介抱したのが俺たちで良かったと思ってるぐらいだからさぁ」

変な男に引っかかってたらって思うと気が気じゃないなんて言うスガさんに心臓がばくばくと鼓動を速めていく。後輩思いな彼だから、きっとそれ以上の意味なんてない。期待したくないのに期待してしまうような台詞を投げつけてくるのが菅原孝支という人物だ。

「シャワー使うなら使ってもいいけど」
「いや!そこまでお世話になるわけには……!」
「そっか。着替えるよな?俺ちょっと違うとこにいるからここ使って。」

部屋を後にする彼の姿をぼんやり眺めた。非現実的だけれど、これは現実だ。頬を少しつねるとやっぱり痛かった。
不謹慎かもしれないけれど、こんなことでもスガさんと会えてよかったって思うし、こうやって助けてもらえて、手厚くもてなしてもらえることにしあわせを感じる。素直に、嬉しい。スガさんの優しさがわたしに向けられていることに胸が締め付けられる。

借りたパーカーは柔軟剤の匂いがして、しっかり家事をこなす先輩の姿を連想させる。男の一人暮らしなのに整頓された部屋で落ち着かないけれど、とりあえず借りたパーカーに腕を通しスガさんに声をかけた。

「スガさん、」
「お、着替えた?うんうん、なんか良いな!自分の服を女の子が着てるのって!」

彼パーカーとか彼ジャージとかが話題になってたけど、所謂それに近いものがあるなあ、そう思ってはいたけれど、スガさんが良いと言うなんて思わなかったから恥ずかしくて俯いてしまう。なんだか負けた気分がしてもう一度顔を上げスガさんを見つめてやった。優しい笑顔のスガさんの両目に射止められたのはわたしのほうで、やっぱり、負けを認めざるを得ない結果となるのは薄っすらとわかっていたのに。




◇◇◇





帰り道にいろいろ話してわかったことの1つが、スガさんの下宿先とわたしの下宿先が最寄駅を挟んで反対側に位置していることだった。歩いて15分、自転車を使えば10分もかからない距離。

「なんかあったらすぐ会えるな」
「えっ…まあ、そうですけど」

スガさんがさらっと放つ言葉に少し頬が赤くなってしまう。そんなことを言われたら、昨日から迷惑をかけっぱなしのわたしでも、またこうやって会ってもらえるんだなと安心するじゃないか。

「ていうか、ごちそうさまです。ご迷惑をおかけしたのはわたしなのに…」
「先輩だからな、これぐらい出させてよ。てかお前二日酔いしてるのによくあんなモン食べれたなぁ〜」
「胃は元気でした…お恥ずかしいです…」

駅前のファストフード店。高校の時もよく寄り道した店と同じ系列の店で懐かしさを感じながらお昼ご飯を食べた。今思えば、スガさんと二人でどこかに寄ることなんて全くなかったから懐かしさとともに新鮮さも感じて不思議な気持ちだ。

「スガさん、なんかいろいろと申し訳無さすぎるので、今度ちゃんとしたお礼しますね…!」
「そんなのいいよ。」

お礼されるほどのことしてねえべ、いやそんなことないです!とお互いに引くに引けない口論を繰り広げる。隣に並んでこうやって軽口を叩きながら歩いている相手があのスガさんだということがいまだに信じられないけれど。
うーん、引かねえなあ。そうこぼしながら口元に手を当て何かを考えるスガさん。数秒固まったかと思えば、ニヤリと口角を上げて、わたしの目を覗き込んだ。

「中島、甘いもの好き?」
「好きですけど…どうしたんですか?」
「このへんに最近オープンしたカフェあるだろ。あそこめっちゃ美味しいらしいんだけど、男だけじゃ行くの躊躇うんだよな。お礼に付き合って?」
「……!!わたしで良いんですか…!!」
「中島が良いんだよ、じゃなきゃ誘わないだろ〜。行く?」

スガさん、それはお礼になりませんよ。わたしにとって最上級のご褒美になってしまいます。良いんですか?心の声は言葉になってはくれなかったけれど、必死で首を縦に振りながら問いかけに応じた。
スガさんがカフェに行きたいというのもかわいいし、その相手にわたしを選んでくれたことが胸を締め付ける。嬉しい、思わず声が零れてしまって、慌ててスガさんを見たらさっきのニヤリとした笑いとは違う、ふわりとした笑顔で見つめてくれた。

「ライン高校ん時から変わってないよな?また空いてる日連絡入れるわ」
「はい!わたしまだバイトも始めてないので合わせること出来ます!」
「よかった。」

そのまま下宿先に向かって、歩いて数分の距離は終了。短くて名残惜しい気持ちもあるけれど、またすぐに会えるから寂しさよりも嬉しさがはるかに超えていた。

「もうアホみたいな飲み方する連中に捕まるなよ〜」
「わっ、わかってますよ…ちょっと怒ってます?」
「まあな。かわいい後輩ちゃん潰されたってなりゃあ怒るべ〜。」

"かわいい後輩ちゃん"
まだその位置でも構わない。けれどこうやって心配して、可愛がって、またご飯に行こうって、関わりを途切れさせないでいてくれる先輩が優しくて、すきだなあ。

じゃあな、と言いながらだいすきな人の手が頭に触れた。髪を梳いていくその手が触れた場所全てが熱くなる。スガさん、それはずるいです。