「はぁー!楽しかったね!春乃ちゃん!」
新幹線に乗るために東京駅に向かう。二泊三日の旅はもうそろそろ終了するところだ。
あれから月島くんは、何もなかったかのようにわたしに接してきた。「何?そんなにみんなにバラされたいの?」なんてこっそり伝えられれば首を大きく横に振るしかできやしない。
月島くんの思いに応えることはきっと出来ない。わたしが孝支くんとどうなろうと、「仲直り出来なかったから月島くんと付き合うね」と軽く言えるようなタイプの人間ではないし、月島くんもきっとそれを知っているに違いない。 今までとなんら変わらない距離感を保ってくれた月島くんのおかげで、周りに茶化されることもバレることもなく時は進んでいった。
「中島、」 「ん?」
振り向いた先にいたのは、今まさに考えていたその相手だった。
「つ、きしまくん……!」 「ちょっと抜け出そうよ」 「えっ……!」
あと少しで駅に到着する、そんな時に彼は柄にもない無謀さを見せてきた。わたしの手をするりと握ってぐんと引っ張れば、身体は前には進まなくなる。飛雄たちは曲がり角を曲がってしまった。大きな声を出せばみんなは気付いてくれる、けれどそれをするのは違う気がした。月島くんがわたしに対して必死になっていると薄々勘付いてしまったから。
「……ごめん」 「いや、だいじょう、ぶ…です…」 「中島と今ちゃんと話さないともう帰っちゃうなって思って。みんなの前だからあんまり大きい声で言えないしね」
はあ、と大きく息を吐いた月島くんは、真っ直ぐな視線でわたしを射抜いた。ぱちんと合わさった視線は一切逸らすことを許されない。
「中島は、菅原さんとどうやって付き合い始めたの?」 「え…!?い、いやぁ…なんか、大学で再会して、ご飯とか行ったり…いろいろ?」 「そっか。中島、幸せ?」 「……う、ん、幸せなんだと思う。宮城に帰って孝支くんとちゃんと話し合うよ。わたし、まだあの人と腹割って話したこと、ないんだよ。だからわたしのヤキモチとか全部伝えて、嫌なところも全部見せて、それで、」 「そうだね」 「ひぁっ!!」
少しだけ、ほんの少しだけ悲しそうな顔をした月島くんの腕がわたしの頭に触れて、引き寄せた。力で男の人に敵うわけなんてない。背の高い彼の胸あたりに鼻がぶつかってしまって少し痛い。
「…つ、」 「本当はこのままキスぐらいしても良いけど、僕だって中島に嫌われたくない。だからこれだけ許してよ」 「……だめだよ」 「全部、僕が悪いってことでいいから」
孝支くんに謝ることが増えてしまう。抵抗の意を込めて彼の胸板を少し押した。けれどびくともしない。彼もちゃんと男の人なんだなぁと、今更ながらに実感してしまった。
「……ごめんなさい、月島くん」 「謝るの早くない?仲直りしてから僕をフる時にしてよ」 「仲直りしてもしなくても、わたしが月島くんと付き合うことはないと思う…。孝支くんのことすきなまま付き合うことは、ない、です……、だから、ごめんなさい。はっきりさせときたい」
とん、と胸板を押すと、今度は軽く押すだけで離れていった。上を見上げた瞬間に目に入るのは、見たことのないような顔をした月島くんだった。
「……ありがとう中島。そういう誠実なところが……」
彼の言葉は最後まで聞き取れなかった。彼の鞄の中に無造作に入れられたスマートフォンが、大きな音を立てて着信を知らせたからだ。
「……もしもし、」
きっと着信の相手は仁花ちゃんだろう。中島といるよ、合流する。そう淡々と告げ画面を操作した月島くんは、わたしの顔を見て薄っすらと微笑んだ。
「改札の中で待ってるってさ。行こう」 「う、うん」
わたしに背を向けて歩いて行く月島くんの後ろ姿が、なんだか少し大きく見えた気がした。
◇
何事もなく、と言えば語弊があるが、わたし達の東京旅行は終了した。新幹線に乗ってしまえばあとは全員眠るのみ。わたしも瞼を閉じて、隣に座る仁花ちゃんの肩に少しもたれかかると頭がぼんやりとした眠気に襲われた。
「……ん……ちゃん……!」 「んぁ……」 「春乃ちゃん!!」
大きな声で意識が呼び戻された。仁花ちゃんの声だ。ぱちぱちと乾いた目を閉じて開くと、駅に到着したということを理解する。
「ごめんね、寝ちゃってた」 「いろいろあったんだよね?また落ち着いたらちゃんと聞かせてね」
仁花ちゃんはきっとわたしが月島くんと何かあったことを察していて、それでいて今は問いたださずにいてくれているんだろう。 荷物を手にして慌ててホームに降りた。色々なことがあったなぁ、戻って来てしまったなぁ。そう考えた後に思い浮かぶのは、今すぐに謝りたい相手のことだった。
ガラガラとキャリーバッグを引きずりながら改札へ向かう。足取りが少しだけ重たくなった。孝支くんに早く会って謝らなければいけないのに、話さなきゃいけないことがたくさんあるのに、どうやって切り出そうか。
「春乃!!」
切符を改札に通そうとしたその時だった。聞き覚えのある、間違いようのないその声がわたしを呼んだ。
「な、んで……?」 「あれ?菅原さんじゃないっスか。なんでこんなとこに?」
改札の手前で足を止めたわたしなんて御構い無しに、飛雄が彼に駆け寄って行った。翔陽も同じように駆け寄り、久しぶりの再会を喜んでいる様子だ。
「……春乃を、迎えに来た」 「え?」 「なんでっスか?」
飛雄達が孝支くんに話しかける様子を見て慌ててわたしもそちらに駆け寄った。なんで迎えに来てくれたの、なんて聞かなくてもわかる。わたしと、会うためだろう。
「影山達に言ってねえの?」 「あ、こ、孝支くん…!ご、ごめ…」 「謝るのは後な。俺ら、付き合ってんだ。だから春乃借りてって良い?」 「ハァ!?」
驚く人を背に向けて、孝支くんがするりとわたしの手を絡め取った。有無を言わせずもう片方の手がキャリーバッグを奪い取る。飛雄達に慌てて「また連絡するねありがとう!」とだけ告げる、その時の仁花ちゃんの顔は少し安心したような顔だった。
行き着いた先は行き慣れた彼の家だった。辿り着くまで会話はなかった。彼の隣はどこよりも居心地が良かったはずなのに今は誰よりも緊張が走っている。連絡を返していなかった罪悪感がわたしを包んだ。
「コーヒー淹れるから座って待っててよ」 「……ありがとう」
荷物を玄関に置いたまま、部屋の中に足を踏み入れた。
「孝支くん、いつから駅にいたの?」 「んー、内緒。だいたいこんぐらいの時間かなってヤマ張って正解だった」 「連絡、返してなくてごめんなさい…」 「それはそう。連絡つかねえと何にも出来ねえじゃん、いや、まあ、返しにくい状況もわかるけど」
テーブルに並べられたコーヒーをぼんやり眺めると、隣に孝支くんが腰を下ろした。肩の触れそうな距離に、心臓が大きく一回跳ねた。
「……春乃、ちゃんと話したくて」 「わ、わたしも、ちゃんと…!ごめんなさい……!」 「俺から話すから、聞いてな?」 「…うん」
大きく息を吸って、吐いた。肺がうまく機能していないようだ。酸素が脳に回らない。どきどきする。
「ゼミ旅行に、女子がいたこと黙っててゴメン。元カノがいたことも。あいつが春乃に何かしたんだろうけど、元はと言えば俺がちゃんと伝えてれば春乃をここまで怒らせることなかったかなって思うし」 「……うん、そう、だね」 「元カノがいたってことは変えられねえ事実だし、そこをどうこうするのは無理だべ。でも、春乃にもう嫌な思いさせたくないし、ちゃんと話せる関係になりたい」
膝の上でぎゅうっと握りしめていた拳が、するりと解かれた。ぱちんと合う視線がわたしの心臓を掴む。彼の手がわたしのそれを温かく包んだ。
「…春乃のこと、離したくねえからさ」 「わっ、わたしだって…!!」
視界がぼんやりと滲む。声が震える。けれど彼にちゃんと伝えたい。全てを晒け出せる関係になりたい。
「…も、元カノさんから、連絡きて……孝支くんが、女の人と仲良くしてる写真見て…怖かった…、わたしの知らない孝支くんだった…。う、浮気は疑ってなかった、けど、でも、わたしも、飛雄達と旅行したし、嫌だったなんて言う資格ないって思って……!」 「あいつ、んなことしてたのかよ……」 「わ、わたしも謝らなきゃいけないこと、あって」 「月島のこと?」
どきっと大きく跳ねた心臓が割れてしまうかと思った。どうして知ってるの。その言葉は口に出さなくても彼に伝わったらしい。
「あいつ、俺に連絡してきたから。何かあっただろうなって思って内心ヒヤヒヤしてた。離れてる間に何かあるって知るのは怖かったけど、俺も春乃に同じようなことしてたからなぁ」 「月島くんが、そんなこと…言ったんだ…」 「春乃、俺達もう少し腹割って話さねえ?」
彼の手がわたしの頬にするりと触れた。久しぶりのその感覚に背筋がぞわりと粟立つ。
「…孝支くん……っ」 「春乃の嫌だと思うこと、全部話してよ」 「…あ、あのね……」
頬に添えられた彼の手に自分のそれを添えて力を込めると、涙腺がじんわりと緩むのがよくわかった。 元カノと旅行に行くのを黙っていたこと、その女の人から彼が別の女の人と戯れているような写真が送られてきたこと、宣戦布告のようなことをされたこと。ゆっくり話すわたしの言葉を一つも取りこぼすことのないように、じっくりと聞いてくれた。送られてきた写真にいた女の人は元カノじゃなくて、東峰先輩の彼女だってことを聞いて少しだけホッとした。 わたしも同じような不安を与えたこと、それを謝ると孝支くんは頬に添えていた手をわたしの後頭部に回した。
「…傷付けて、不安にさせて、ごめんな」 「ううん…孝支くんが謝ることじゃ、ない」 「あいつは俺がなんとかする、けど、その他にも、いろいろ不安にさせたし…」
髪に通された手に力がこもるのがわかった。その手が、少しだけ震えていることも。 彼を失うのが怖い。離れていってしまうことが他の何よりも怖い。それはもしかしたら、わたしだけじゃないのかもしれない。 何があっても諦めることが出来なかった人だから、まだしばらくは何があっても手放せないんだろう。それにきっと、この人もわたしを手放してはくれないんだな。妙な安心感を覚えることが出来たから、喧嘩も悪くはない、なんて言ったら孝支くんは怒るかな。
「孝支くんも、嫌だと思うことは全部話して。わたし、もう孝支くんと喧嘩したくない」 「ははっ、俺もだよそんなの。だからちゃんと月島の告白は断って」 「断ったよ、孝支くんじゃないとダメだって、伝えた」 「……はぁー…、ありがとう春乃、俺もちゃんとケリつけるからさ」 「…仕方ないけど、孝支くんモテるから心配。わたしで良いの?」 「不安にさせたくないからはっきり言うけど、春乃じゃねえとだめ」
スッと胸に落ちてきたその言葉が、わたしの不安を払拭してくれるようだ。わたしじゃないとだめ、それと同様にわたしも孝支くんじゃないとだめ。彼の背に回した手にさらに力を込めた。
「春乃、顔見せて」 「へ?……あ、」
少し見上げて彼の顔を捉えると、ずいっと近付いてくる唇が目に入った。小さなリップ音を立てながら、彼の唇がわたしのそれに触れて離れるだけで心臓がぎゅっとした。
「……久しぶりに、触れてもいいですか?」 「なんで敬語なんですか?」 「なんとなく」
喧嘩をしていたのが嘘だったかのように、緊張や不安がするすると溶けていく。まだまだ乗り越えなければいけないことや、解決しないといけないことは残っているだろう。今はそれよりも、彼の思いを確かめたい。そして、わたしの思いを受け止めてほしい。
「孝支くん」 「ん?」 「………孝支くんが、わたしのことをすきで、わたしも孝支くんがすきなのは、当然かもしれないけど、わたしにとっては本当に奇跡なの」 「……俺にとってもそうだけど」 「だから、こうやって、ちゃんと言いたいことを言えるって、しあわせなんだと思う。」 「そう、だな」 「…だから……ぎゅって、して?」
たくさん不安になった分を、埋めてほしい。多少のわがままくらい許してもらえるだろう。 孝支くんは、わたしが広げた両手の中に飛び込むようにわたしに抱きついてくれた。背中に回された両手の力は、今までに感じたことのあるそれよりも強くて、それでいて優しかった。
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