正直、俺が悪くないと言ったら嘘になる。けど、俺が全て悪いと言うのも嘘になると思う。これはただの言い訳か。
「…スガくん、怒った?」 「怒った。」
何度も何度も通話ボタンを押すのに、一度も繋がらない。「電源が入っていないか…」アナウンスだけが脳内に響く。春乃のことだからきっと怒って電源を切ったに違いない。
「…スガく〜ん」 「今話しかけないで、ちょっと焦ってんだから」
ゼミ旅行中、まさかこんなことになるなんて。酔った及川達に携帯を取られていることに気付いた時にはもう遅かった。及川と咲良が楽しそうに写真を撮ったりメッセージを送ったりしているのを知って、アルコールを飲んだあとの緩くしか回らない頭を無理に回して彼らの元に駆け寄った。そこでは通話しているであろう咲良と高梨がいて。ガタンと音を立てて携帯が落ちた瞬間に拾ったけれど、時すでに遅し。
『……ばか!孝支くんの、ばか!!』
春乃が電話越しに叫んだ言葉はそれだけだった。何があったかわからないから、とにかく春乃の番号を何度も何度も押したけれど、それが繋がることはなかった。
隣でふわりと笑いながら声をかけてくる高梨の存在が胸をざわつかせる。彼女が俺の携帯を触っていたということは、きっと良くないことが起こっている。
「…スガくん、必死だね」 「当たり前だろ。お前、春乃に何した?」 「なんでわたしが何かしたって思うの?」 「…いや、咲良と及川かもしれないけど。あいつがこんなに怒ることなかったから」
くすっと笑う高梨の反応を見て、何かしたんだと確信を得た。けれどそれが何かまではわからない。俺の携帯には発信履歴しか残っていない。
「高梨、何かした?」 「スガくん、そんなことよりあっちで話さない?」 「そんなことじゃない」
こんなことなら先にちゃんと言っておけばよかった。ゼミ旅行に女子もいるよって。隠してたわけじゃないけど、こんな形で知って良い気はしない。
「……まさか、」 「スガくん?」 「……元カノだって、春乃に言った?」 「うん、言った」 「…ほかに何言った?」 「スガくんのこと、まだ諦めてないって言った。」 「……は?」
じっと俺の目を見つめてそう言う高梨が嘘を言っているようには見えなかった。
「……俺たち、ちゃんと別れたよな?」 「スガくんが別れたいって言ったから、別れたよ。でもわたしはスガくんのことすきでいるの辞めるなんて言ったこと無い」
高梨が俺の顔に手を伸ばそうとしたから、反射的にそれを制した。嫌な予感がしたのは間違いじゃなかった。春乃にそんなこと言ったら、心配する。だって俺が逆の立場だったらこの状況がたまらなく怖いからだ。春乃がもし、もしも誰かに言い寄られていたら。それが旅行中であれば。すぐ駆けつける事が出来ない場所に居たら。だから、誤解しているかどうかはわからないけれど、ちゃんと事実を伝えなければ。
「…高梨がどれだけ俺のことすきでいたとしても、俺が付き合うことはないよ」 「スガくん、わたしのことちゃんと見たことないでしょ。付き合ってもらえて舞い上がってすぐには気付かなかったけど、別れようって言われるちょっと前からスガくんがわたしに別の女の子を求めてるのがわかった。その子、どんな子かな?ってずっと思ってたけど……わたし、諦めたくないなって思っちゃったの」
ちゃんとわたしのこと見なよ。そう強く言い切った高梨に溜息が出た。「俺がすきなのは、春乃だけだ。それは絶対に変わらない」そう言い切ってその場を後にして向かうは及川の元だった。
◇
「スガちゃん!ゴメンってば〜。楽しもうよ、旅行!」
次の日朝から全力で謝ってきた及川の頭をポコンと叩いて怒りを表現した。相変わらず春乃からの返事はない。既読すらついていない。
「……あいつ、せめて既読ぐらいつけろよな」
旅行は終盤に差し掛かっている。今、どれだけ足掻こうとも連絡が取れないのであれば帰ってから直接会いに行くしか術はない。 今気にしていて解決する問題ではないから、頭から追い出すしか良い方法はないだろう。
「スガちゃんと中島ちゃんがまさか喧嘩するなんて思わなかったんだよ。あんなに二人ともお互いのこと大好きです!って顔に書いてるじゃん」 「はぁ…そういう問題じゃなくて!」
埒があかない。そう判断して会話を切り上げて別の話題を出した。
「とりあえず旅行中はもう何もしねえ!出来ないし!」 「おー言い切ったね〜」 「帰ってからちゃんと謝るし家知ってるしなんとかなるべや」
なんとかなる、そう思い込まないとやってられない。周りの人たちに気を遣わせるのも嫌だから俺は無理矢理思考の奥に春乃のことを押し込んだ。 高梨とは極力話さないように気を付けてさえいればなんとか話さずに済んでいる。これ以上、不安の種を増やしてはいけない。
「スガ〜!こっちだよ〜!」 「おー、今行く」
俺を呼ぶ友人の元へ足を運んだ。春乃のことを気にしないと決めた瞬間に、ポケットに入れた携帯が音を立てて震え始める。全く違う人からの連絡だと思えばいいのに、期待する名前は『中島春乃』なのが悔しいと思ってしまう。
「……え?」
携帯に表示された名前はなかなか見ることのない名前で、心臓が変に音を立てた。
「…月島?」
月島蛍。直接連絡なんて取ることなんてほとんどなかった名前。今たしか春乃達と一緒にいるはずなんじゃないのか。だったらどうして俺に直接連絡なんて取るんだろうか。 恐る恐る画面を開くと、絵文字や顔文字のない淡々とした彼らしい文章が並んでいた。
『菅原さんお久しぶりです。中島と喧嘩でもしたんです?先輩なら悲しませることは無いと思ってたんですけどね。今夜仕掛けます』
背筋がスウッと凍るような感覚がした。今夜仕掛けます?どういうことだ。
「まさか月島、春乃のこと…?」
文面から読み取れる感情は『挑発』だった。
そのことが気にかかって残りの旅行はどんな風に楽しんだか覚えていない。後から送られてきた写真に笑う自分自身が写っていたところから、それなりに周りに溶け込んでいたのだとは思う。 それより今きっと春乃は、月島に何か言われているのかもしれないことが気掛かりで仕方ない。
家に帰るまでが旅行だからね!と鼻歌を歌いながら並んで帰る及川は楽しそうで少し羨ましくなった。はぁ、ため息だけが宙に舞っていく。及川と二人きりで駅から家に向かって歩く道も残り半分くらいだ。
「スガちゃん何を気にしてるのさ?」 「……春乃が今、影山達と旅行してるんだけどさぁ、もしそいつらと何かあったらって考えると気が気じゃねえんだよ」 「へえ。何かあるんだね」
ぐっと言葉が出なくなった。今の言い方だと何かありますと相談を吹っかけたようなものだ。
「……連絡つかない時にこんなことになるなんて思ってなかったんだよ」 「まあスガちゃんも、ユリちゃんがこの旅行にいること言わなかったんだよね?お互い様じゃない?結局あの後ユリちゃんからのアプローチはなかったわけ?」 「及川から見てもあからさまなんだな、アイツって…。あの後は何もなかったよ」
みんな知ってるよ。そう俺の目を見て及川は言った。あの後の高梨は俺にあまり近付かなかった。けれど今後また何かあるかもしれないから、注意しないと。はぁ、大きなため息をついた。
「お互い様かぁ……」
春乃を責めるなんて俺には出来ない。きっと彼女も俺と同じくらい、若しくはそれ以上に焦りや不安を感じたのだろう。
「そんな落ち込んでるスガちゃんに良いこと教えてあげる」 「ん?」 「ユリちゃん、たぶん中島ちゃんの連絡先をスガちゃんの携帯から盗んだと思うよ」 「……は?」 「たぶんね。画面がちらっと見えたんだけど中島ちゃんのアイコンってカフェでコーヒー持ってる写真?」 「そ、うだけど……」
さあっと血の気が引いていくのがわかった。自分の携帯の履歴は発信履歴だけだったから、通話されていたことが全てだと思いたかった。
「……俺たちさ、順風満帆だと思ってたんだよ」 「まあそうだよね」 「でも、よくよく考えたら、お互い思ってることとかほとんどちゃんと話せてないような気がしてきた。春乃が嫌だと思うこととか、心配してることとか、なーんにも知らねえや」
ははっと笑って見せたけど、及川ははあ、と大きなため息をついた。
「それが今わかるだけでも十分なんじゃないの?」 「そう思う?」 「スガちゃんがどれだけ中島ちゃんのことすきなのかはわかった。失いたくないのもわかる。だから今こうやって喧嘩出来るって良いことじゃないの?大丈夫、中島ちゃんもきっとスガちゃんのことすきで仕方ないと思うよ」
及川に言われたくねえよ。そう言いながらも、少しだけ心配をかけたことを反省した。
「まぁ元はと言えば高梨が悪いけど、お前も若干悪いからな!」 「なんで!?」 「咲良達とふざけて俺の携帯見ただろ!?なんでパスワード知ってんだよ……」 「中島ちゃんと付き合った日じゃん、わかるよ」
バシンと及川の背中を叩いた頃に、別れ道がやってきた。またゼミでな、そう言って及川に手を振った。
家に着いて、真っ先に目に入ったのはテーブルに置かれた白い手紙と箱だった。見知らぬうちに俺の家で何か出来る人なんて、一人しか思いつかない。カバンを玄関に放り投げて慌ててテーブルに近付いた。
「……春乃だよなぁ、こんなことすんの」
"孝支くんおかえりなさい!旅行疲れただろうしあまいものでも、と思っておいしいクッキー買ったから食べてね。"
やっぱり俺はあの子には敵わないかもしれない。こんな可愛いことをする彼女を手放すことなんてきっと出来ない。
春乃が帰ってくるのは明後日の夕方。明日はバイトだ。それまで連絡はきっと返ってこないだろうし彼女の旅行は邪魔したくない。移動手段はたしか新幹線だったはず、そのことすらわかれば俺がするべきことは決まっていた。月島のことは気掛かりだが、そこはもう春乃を信じるしかない。
「……はぁ、早く会いてえなあ……」
呟いた言葉は一人きりの部屋に漂うのみだった。
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