「スガちゃん、おはよう!」 「おー、及川おはよ〜元気だなあ朝から」 「いやぁ、だって面白いもの見ちゃったし。スガちゃんに言わなきゃと思ってね?」
一限に間に合うように大学に行き、適当な席に腰掛けた。喉乾いたなぁ、お茶飲も。ペットボトルをキュッと開けると、見慣れた男が目の前の席に座る。その後くるりと後ろを向いた及川は相変わらず元気そうだった。
「面白いもの?」 「スガちゃん、中島ちゃんとのエッチどうだった?長年の片思い相手との相性は?」 「ぶはっ」
もう!汚いなぁ。呆れた及川の声が聞こえるけれど関係ない。飲んでいたお茶のペットボトルの蓋を閉めながら、ため息を吐いた。
「なんでそんなこと聞くんだよ」 「さっき見かけた中島ちゃんがスガちゃんのパーカーとTシャツ着てたから。あんなの『泊まりました!』って言ってるのと変わらないよね?」 「目敏いなあ…」
してねえよ。そう言えば大きな目をさらに大きく見開いた及川。
「エ!?なんで!?据え膳食わぬは男の恥とか言うのに食わなかったの!?なんで!」 「うっせぇ!朝から下品なんだよ!言わねえよ!」 「なんで!?泊まったら食べちゃうのが普通じゃないの?」 「っあー…」
抱きしめただけで眠るなんて世の大学生が聞いたら耳を疑うだろう。でもそれだけで充分だと思えた。それぐらい大切にしたいと思えた相手だったんだ。
朝起きたら、隣に春乃が居た。それだけで胸がぎゅっと締め付けられそうだったのに、彼女の格好がさらに俺の胸を締め付けた。貸したティーシャツを着ているだけならまだ良い。貸したジャージを履いているくらいならまだ良い。けれど、起き抜けの彼女は生足を晒していた。あぁ、そうだよなあ、腰回りだって俺よりも細いんだ。足元にくしゃっと丸まったジャージが春乃の無防備さとちょっとした寝相の悪さを物語っていて、少し笑ってしまった。大きいティーシャツを貸していて良かった、じゃなきゃきっと下着が見えるだろうし、我慢出来なくなってしまう。そう朝から悶々と頭を抱えることになったのだ。
「そういうことしなくても良いって思える相手だっつーことだよ」 「ハァ、すごいねえスガちゃん。普通何もないまま何年も想える?しかも念願の相手でしょ、なんで我慢しちゃうかなぁ。」
大きくため息を吐く及川に俺もため息をついた。彼は俺のことを凄いと言うけれど、そうじゃないことを俺は知っている。
「すごいのは、俺じゃなくて春乃だよ」 「え?」 「3年近く、ずーっと想ってくれてた。会えない間も俺に彼女がいた間も、ずっと。俺からは何もアプローチ出来なかったけど、同じ大学来てくれて告白するきっかけ作ってくれたのも、春乃。」 「ひゅ〜、一途だねえ。」
それだけ一途な春乃を大切にしようと決めて何が悪い。その思いを込めて及川の額を人差し指で弾いた。痛い!大袈裟に叫ぶ及川を無視して俺は講義のレジュメを鞄から取り出した。
◇◇◇
バイト先に向かおうと机の上をがさりと片付けていると、スマホの画面が光るのが目に入った。
「……春乃?」
メッセージアプリの示す名前は「中島春乃」で、心臓がふわりと温かくなる。
『明日、孝支くんの誕生日だけど、学校終わったらそのままわたしの家に来てもらってもいいですか?』
その言葉に頬が緩んでしまう。あいにく授業があるから、夕方からしか会えない。サボろうか?春乃はそう言ったけれど、必修の授業をサボらせるわけにはいかないし、終わってからでも十分に時間はある。俺もゼミがあるから丁度いい、そう言って夕方以降に会う約束をしていた。
「スガ、にやけてる〜」 「なんだよ、別にいいだろ?お前だって旭に会う前はニヤけてるし。今から旭?」 「ふふ、スガにはバレバレだなぁ〜。会ってきまーす!」
旭の彼女とはゼミが同じで仲が良い。彼女に旭を紹介して早2年。順調そうで何よりだなぁと親のような気持ちでいた。
「スガの彼女かわいい?」 「ん、かわいい。チョーかわいい。」
軽く話をしていると、後ろからトンと肩を叩かれた。
「……高梨」 「楽しそうに話してるね。今度のゼミの課題聞きたくて声かけたんだけどお邪魔だった?」 「いや、大丈夫。次はアレ、前もらったプリントに書いてある題材から研究したいやつ選んで深めて来いっていうやつ。」
高梨ユリ。声をかけてきた彼女は、俺が大学生になってすぐに付き合った元彼女。ゼミが同じで今でもよく話す機会がある。
「ユリ〜、一緒に駅まで帰ろ〜!じゃあねスガ!」 「スガくん、ありがとう、また明日。」
ひらひらと手を振る彼女たちを見送りながら、自分もバイトに向かう。
「その前に、」
ロックを開き、LINEを開く。春乃のページを開くだけで頬がまた緩んでしまう。それを片手で隠しながら彼女にメッセージを送った。『了解、明日すげー楽しみ!』送信ボタンを押すと既読がすぐについて、返事を心待ちにしていたけれど既読をすぐにつけてしまったことに慌てる春乃の姿がふっと思い浮かんだ。
◇◇◇
「孝支くん!いらっしゃい。」
誕生日当日。授業を終わらせて早足で春乃の家に向かった。インターホンを押すと、すぐに開く扉からひょっこりと顔を出す春乃の頭をするりと撫でると、ふわりと笑った。
一人暮らしらしいワンルームに、白で統一された家具が並ぶ。ベッドにはぬいぐるみがいくつか置いてあって、これが女の部屋かぁって。
「あんまりじろじろ見ないで…?」 「んー、なんか春乃っぽいなぁって。」 「何それ。とりあえず適当に座っといていいよ、孝支くん。」
家にいるからか、いつも会う時よりも少しラフな格好の春乃に頬が緩んだ。
「夜ご飯食べる?早い?」 「んー、用意してくれてんの?」 「うん。もう全部出来てるよ。」
なら食べる!そう言えば春乃はふわっと笑いながらキッチンへ向かった。
ローテーブルの上に並んだのは麻婆豆腐と唐揚げや春巻き。それからホールケーキが並んでいた。
「すげー!全部作ったのか!?」 「見た目あんまり綺麗に出来なくてごめんね。辛い麻婆豆腐すきだと思って、中華頑張ってみたんだけど…あと、ケーキも頑張ったんだよ!」
どやぁ。そう口で言いながら俺のとなりに腰を下ろした春乃に、きゅんと胸を掴まれた。肩を引き寄せると、こてん、と頭を俺の肩に乗せられて、自分から仕掛けた行為なのにひくりと身体が揺れてしまう、もっと恥ずかしがられると思ったのに。
「…やけに素直に甘えてくれますねえ春乃サン」 「孝支くんの誕生日なので、存分に甘えてみようと思います」 「ははっ、存分に甘えられたいと思います」
誕生日なんてただの平日だと春乃と付き合う前の自分なら思ったかもしれない。けれど、あまりにも嬉しそうに隣に座る春乃を見ているとそれだけで世界で一番しあわせな気がしてくる。用意されているのが麻婆豆腐っていうところからも春乃の好意が手に取るようにわかるし、愛されてんだなあ、そう感じてにやける口元を必死に締めた。
◇
「ごちそーさまぁー!」 「へへ、孝支くん、生クリームついてる。」
俺の頬にするりと指を這わせて、それを取って舐めた春乃の仕草がやけに色っぽくて、心臓がどきりと音を立てた。
「春乃」 「ん?……ん、」
クリームの味の残る唇を塞いで、ぺろりと舐めた。その時に震える春乃、まだキスすら慣れていない様子が愛おしくてたまらない。 大切にしたい。先に進みたい。相反する気持ちがざわざわと全身を取り巻く。どうしよう。するりと彼女の後頭部に手を回して、髪をくしゃりと握る。すると、春乃の手が俺の胸元の服を掴んだ。
「……春乃、いい?」 「な、にが……?」 「口、開けて」
え?そう言って開いた口をすぐに塞いだ。ぬるりと舌を差し込むと、春乃の身体がまたぴくりと震える。ぎゅうっと俺を掴む手に力がこもったのがわかった。 逃げようとする春乃を逃がすまいと追いかけた。何度も何度も絡めていると、どん、と胸を叩かれて我に帰る。
「っ悪い…!」 「はあっ、息、できな…っ!」
真っ赤な顔で息を切らす春乃。あぁもう、そんな顔するなよ。可愛い、そう呟けばふいと顔を逸らされてしまう。それを阻止するかのようにもう一度頭を引き寄せた。 キスなんて初めてじゃない。深いキスだってしたことある。けど、違う。春乃だからこんなに心臓が痛い。手放したくないなぁ、やっと手に入ったんだ。
「……限界?」 「っふぅ…こうしくん、……すき」 「え?」 「…だいすき。お誕生日、おめでとう。」
真っ赤な顔で、俺の目をじっと見つめられるとその赤が俺にも移る。ありがとう、そう言えば春乃はきゅっと唇を噛み締めた。
「…あ、のね、」 「ん?」 「プレゼントは、ちゃんと、あるんだけど、」 「おー、ありがとうな」
春乃の手がするりと俺の頬に這う。両手で包み込むように、そして顔を覗き込んで、薄っすらと口を開いた。
「……プレゼントは、わたし…?」 「ハァ!?」 「わ、わたし…のこと、ほしい?」 「はぁ!?欲しくないわけねえべ!?でも待てよいきなり何言って……!?」
誰の入れ知恵だ!そう言えば言葉を詰まらせながら目を逸らされた。この反応はきっと誰かに何か言われたんだ。それにしても破壊力の大きすぎる台詞に、目眩がしそうだ。
大切にしなきゃ。俺が初めての彼氏なんだから。そう考えて頭をぶんぶんと横に振った。
「…春乃、俺はお前を大切にしようって思ってるよ。怖いなら無理しないでいいし、ゆっくりで良いと思ってる。」
キスだけで震えるくらい初心な彼女に触れたら壊してしまいそうだなんて、柄にもないようなことを考えてしまう。 今だって少し震えているのを悟られないように必死だろうけれど、それが伝わってしまうから余計に我慢した方が良い気がして。
「……だって、孝支くん、だから」 「え?」 「今でも、今じゃなくても……、は、はじめての相手は、ぜったい、孝支くん、だから!!」
春乃が途切れ途切れに紡ぐ言葉の全てが、心臓をぐさりぐさりと突き刺す。あぁもう。折角我慢しなきゃと思ったのに。 ここまで彼女に言わせてしまったんだから、俺も覚悟を決めよう。春乃の脇に手を入れ、ひょいと抱きかかえればすぐ背中にはベッドがある。ぼふりと音を立てて春乃の身体が沈み込む様子を眺めながら、俺を見つめるその顔の隣に手をついた。
「…ハァ、我慢するって言ってんのに……」 「だ、だって…!」 「煽ったのはお前だべ。あーもう知らねえからな!もう絶対我慢しない!」 「ひあっ…!」
目の前に見える首筋にちゅっと音を立てて唇を落とした。
「明日、1限ある?」 「ない、午後からしかない」 「ん、俺も。」
出来るだけ優しくする。そう言えば顔をさらに赤くする春乃が目に入って、あぁ今から俺こんな純粋な彼女に手を出すんだなぁって。
行き場を失ってどうすれば良いかわからない様子の春乃の手に指を絡めて、ベッドに縫い付けた。
「春乃、愛してるよ」
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